告白1
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ニーダーはラプンツェルの部屋目指してまっしぐらに突き進んだ。足が縺れて失速すると、腕が抜けそうになるので、ラプンツェルは必死になって足を動かしてついて行く。皮肉なことだが、顧みられなくなると、ニーダーがどれだけラプンツェルを気遣って歩いていたか、身にしみた。
部屋に戻ったが、使用人たちも、親衛隊の騎士たちも、姿を現さなかった。ニーダーが著しく気分を害しているので、息を潜めて隠れているのだろう。ドアが閉まる音に振り返ると、覆面の騎士までもが、部屋の外に逃れている。
(私も逃げ出したい)
ラプンツェルは項垂れて、痛む手首を擦った。部屋に引き込まれて、やっと解放されたのだが、白い肌にはくっきりと、赤い手形が張り付いている。疼く様に痛むのは、ニーダーの熱の名残のようだった。
『君の思った通りになったな』とノヂシャは言ったが、実を言うと、この展開はラプンツェルにとって想定外だった。
ラプンツェルは、ニーダーがルナトリアの一番から転落し、なおかつ、そのことをニーダー本人に知らせることが出来れば、それで良かったのだ。ノヂシャにもその意思を暗に仄めかしたつもりだった。ノヂシャが覗かれている可能性をすっかり失念して、ルナトリアにキスをする程、逆上せあがっているなんて、思わなかった。
(……ううん、そんなの言い訳だ。ノヂシャはふつうじゃないって、わかっていたんだもの。もっと、気を配るべきだった)
後悔したところで、もう遅い。ニーダーは二人が特別な関係だと知ってしまった。予想していたより、ずっと深い関係を、二人が短い間に築いていたことも、誤算だった。それだけ、二人は人の温かみに飢えていたのだろう。身につまされる話だ。
わかっていたけれど、ニーダーは男女の不適切な仲に、強烈な嫌悪感を示す。ルナトリアが身を呈して庇わなければ、ノヂシャは確実に、あの場で切り捨てられていた。二人が捨て置かれたのは、友情のお陰だ。美しく、硬い輝石のようなそれは、ルナトリアの身を守り、砕け散ってしまった。
ニーダーは長椅子に沈むように腰かけている。膝に肘をおき、組んだ五指に突っ伏している。ラプンツェルは、足音を忍ばせて近づいた。卵の殻の上を歩いているような気分だ。鉤の部屋にいたころを思い出す。
ラプンツェルはおずおずと、ニーダーに問いかけた。
「ニーダー、あなた、大丈夫?」
「なんてことはない。友情が終わっただけだ」
返事がすぐに返って来る。声調から怒気は感じられない。
ラプンツェルはひとまず、肩の力を抜いた。怒鳴りつけられようものなら、ぱったりと倒れてしまっただろう。
ニーダーがラプンツェルに八つ当たりすることは、今のところ、なさそうだ。ラプンツェルは体が触れ合わないように、ニーダーの隣に腰をおろした。すると、ニーダーが項垂れた姿勢のまま、腰をずらして擦り寄ってくる。
甘ったれた仕草に、ラプンツェルは戸惑いつつ、ニーダーの背を擦った。
「そんな言い方じゃ、私に心配させたいみたい」
少し笑みを含ませて茶化すように言う。ニーダーはひとつ息を吐き、ゆるゆると頭を振った。
「なんだか、疲れた。少し、ここで休んでも構わないか」
「ここは、あなたと私の寝室じゃなかったっけ」
ラプンツェルは軽く笑った。ニーダーが黙ったまま動かないので、ラプンツェルはなんとなしに、窓辺に視線を向ける。
花瓶に活けられた白薔薇は、瑞々しさを失いつつある。花弁の端から黄ばみはじめていた。あんなに輝くようだった白薔薇が色褪せていく。ニーダーに微笑みかけていたルナトリアの姿が重なった。
「ルナトリアのこと……残念だったね」
ラプンツェルが口にすると、言葉は薄っぺらで軽かった。同情も憐憫も、かなり不足している。あると言えば、秘かな罪の意識だけだ。それすら、ニーダーに対するものではない。
しばしの沈黙を経て、ニーダーが出しぬけに言った。
「私のものは全て、お仕着せのものだ」
ラプンツェルが視線を戻すと、ニーダーは顔を上げていた。窓辺に飾られた、零落間際の白薔薇を、悲痛な面持ちで眺めている。
「王位、家臣の忠誠、国民の尊敬。ありとあらゆるものが、私だから得られたものではなく、それらに私が選ばれたものでもない。ルナトリアとの友情だけが……私がこの手で掴んだ唯一つの、掛け替えのないものだった」
そう言って、ニーダーは己の掌に視線を落とした。
怒りが突き抜けると、今度は感傷的になったらしい。ころっと気を変えて、処刑だと事を荒立てるようなことはなさそうで、安心した。
こうなったら、どうするべきか。明白だ。甘やかせばいい。落ち込んだ心に付け込むことは、怒りを宥めるより、ずっと簡単だろう。ラプンツェルはニーダーの背をそっと抱いてやった。心にもない笑顔、心にもない言葉。慣れたものである。
「私がいるよ」
ニーダーがラプンツェルを見やる。健気なふりで、もうひと押ししようかと思案していると、ニーダーが言った。
「ラプンツェル。歌ってくれないか」
「え?」
思わぬニーダーの要求に、ラプンツェルはまごついた。
「歌って? なにを歌えば良いの? それに私、歌はそんなに得意じゃないんだけど」
咄嗟に白状してしまう。高い塔から森を見下ろし、よく歌っていたけれど、人に聞かせられるようなものではないのだ。
その時々の心に浮かぶメロディをラララにのせて、調子外れの、歌のようなものを口ずさんでいただけ。
ラプンツェルのことを、何かにつけて誉めそやす家族たちも、歌だけは褒めなかった。ヒルフェにははっきり「姫姉さんは音痴だね」と言われたこともある。そんな粗悪品を差し出せと言われても、困る。
「もしかして、ニーダー……私の歌、聞いちゃったことがある?」
その可能性は否定しきれない。ニーダーは足しげく高い塔に通って来ていた。樹の陰などに隠れていれば、ラプンツェルはそれと気付かずに、歌ったことがあったかもしない。顔から火が出そうだ。
ラプンツェルの歌を聞いたら、確かに、元気が出るかもしれない。あまりに下手くそだから、笑えるかもしれない。しかし、それではラプンツェルが面白くない。
恨めしく思って睨みつけると、ニーダーは、こっくりと頷いて言った。
「何度も聞いたよ。初めて聞いたのは、十年も前だったな」
ラプンツェルは訝しんだ。ニーダーが求婚を始めたのは、ラプンツェルが十五歳になってからだ。十年も前となると、ラプンツェルはまだ幼い子どもで、ニーダーとて少年から脱皮しきれていない年頃である。そんな昔から、高い塔の周辺をうろうろしていたというのか。
ニーダーは一呼吸置いて、僅かに目を細めた。遠く霞む何処かを見ている。そして、語り出した。