散歩
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五日後の朝。ニーダーは手ぶらで訪ねて来た。
予め、ニーダーの訪問の予定をメイドたちに伝えてあったので、ラプンツェルの支度は整っている。手の一振りで人払いをしたニーダーは、ぼすん、と長椅子に腰をおろすと、深く身を沈めた。早起きして所用を済ませ、多忙な体をなんとか開けてやって来たのだ。
二人で秘かな作戦をたててから、決行までに五日も要したのはニーダーの、きつきつに詰め込まれた予定の調整のためである。
この五日間で、ニーダーはきっちりと公務の目途をつけたが、心の整理は途中らしい。長椅子でへたばっていたかと思えば、今度は、貰われてきたばかりの子犬のように、そわそわと部屋の端から端を、行ったり来たりしている。
ラプンツェルはこっそりと苦笑いして、長椅子から立ち上がった。俯き加減にぶつぶつ呟いているニーダーの前に立ちはだかる。ニーダーはたたらを踏んで、なんとか立ち止った。いくら意識散漫でも、流石にラプンツェルを蹴飛ばしたりしない。ラプンツェルは無邪気に微笑んで、首を傾げた。
「ニーダー、このドレス、どう?」
白いフリルが段々に縫いつけられた、淡いモスグリーンのドレスの裾をちょいと摘まむ。右の足を軸にして、その場で軽やかに回って見せた。クリノリンで押し上げられていたドレスは、空気を含んでふわりと膨らむ。今日のドレスは首が詰まったデザインなので、安心して動ける。
どう? と今一度聞くと、ニーダーは儀礼的に微笑んだ。
「美しいよ、とても」
この言い方だと、誰が聞いても、お世辞だと思うだろう。摘まんだドレスの裾を翻して、ラプンツェルは唇を尖らせる。
「美しいよね、ドレスは。……もう。似合わないなら、はっきり言って欲しいなぁ」
しまった、まずい態度だった。と、ニーダーは思い至ったようだ。慌てて、言い繕おうとする。
「そんなことはない。よく似合っているさ」
「本当にそう思ってるなら、そんな言い方にはならないと思いますけど?」
ラプンツェルはつんとそっぽを向いた。本当は、誉めて欲しいとは思っていないけれど、こうすると、ニーダーが喜ぶ。「毎日毎日、あなたの為に綺麗にしてるの。だから、あなたは綺麗だと誉めてくれなきゃ」そう言うスタンスをとっている。
こんな面倒くさい女を、ニーダーは可愛いと思うらしい。ラプンツェルなら鬱陶しいと思うような振る舞い、例えば、纏わりついたり、拗ねてみせたり、そういうのがニーダーは好きなのだ。ニーダーは幼稚なところがあるから、あけすけな好意でないと、汲み取ることが難しいのかもしれない。
「美麗な言葉を尽くして、君を礼賛したい気持ちは山々だが、生憎と、私は口不調法者でな」
ニーダーはそうやって宥めながら、ラプンツェルの髪に触れる。髪を留める螺鈿のベレッタに軽く触れていた。毎日の装いのどこかに、ニーダーの贈り物を取り入れることにしている。ラプンツェルが気に入っていると勘違いしたニーダーが、こっそり喜ぶのだ。そうした媚びが、贈り物攻撃を助長してしまうのだけれど。
今のニーダーは嬉しそうではあるけれど、やはり、なんとなく落ち着かない様子だった。この後の作戦に気を取られている。内容や首尾にではなく、やるか、やらないか。根本的なところで、悩んでいる。
ラプンツェルはむすっとしてニーダーを睨み上げる。幾許か遅れて反応したニーダーの困り顔がおかしくて、ぷっとふきだした。
「ニーダーあなた、緊張し過ぎだよ」
「そんなことはないと……言いたいところだが……」
「言えないことは、わかってるのね」
ラプンツェルは軽やかに笑う。ニーダーが眉間の皺を揉み出したので、半歩退く。動作が不自然にならないように気をつけて、窓から外を見た。
「もう、ルナトリアが来る頃かな?」
ニーダーが掛け時計に目を向ける。視線の動きは淀みない。この部屋の何処に何があるのか、ニーダーはもう知り尽くしている。
「毎朝、この時間に城に上がる。そろそろ、東屋についた頃だろう」
目を眇めて、ニーダーは言った。しかし、いっこうに腰を浮かせようとしない。
ニーダーは、まだうじうじと迷っている。親友を偵察するなんて、友情に反する卑劣な裏切りだ。とでも思っているのだろう。
その潔癖さは、ニーダーの美点なのかもしれない。でも、ラプンツェルは融通が利かないだけだと思う。柔軟になって対処しなければならない事象というものが、必ずあるのだ。なんでも型に嵌めようとする、ニーダーの頑冥さに、いらいらすることもしばしばである。
もしも、気心の知れた仲だったら、ちくりと厭味を言うことも出来ただろう。しかし、相手は怖いニーダーだ。我慢するしかない……のだけれども、焦れてしまう。
ラプンツェルはニーダーの両方の手首を掴み、二人の両腕で輪をつくった。体重をかけて、ニーダーの体を引っ張る。
「いーこーうー!」
びくともしない。ラプンツェルは、爪先を浮かせて、重心を踵にうつして、全体重をかけて、ニーダーを引きあげようとした。力んで真っ赤になった顔に、ニーダーの無遠慮な視線を感じる。かっとして怒鳴りつけないだけ、ラプンツェルも思慮深くなった。
ニーダーは不動と見せかけて、いきなり、上体を背もたれから起こす。ラプンツェルは体制を崩して、後ろに倒れそうになった。クリノリンが潰れる前に、ニーダーはラプンツェルを抱き寄せる。綿の入った人形でも扱うみたいに、まるで重さを感じていなかった。




