出会ってしまった二人
「マリアは、ひとが好きなんだ」
言葉を合図にして、小鳥がルナトリアの指から飛び立つ。真っ直ぐに、蔦薔薇が絡まる支柱の陰から姿を現したノヂシャの許へ飛んでいき、当たり前のように肩にとまる。
ノヂシャは小鳥の頭を指の腹で撫でた。ルナトリアの顔を見ることが出来ずに、ぼそぼそと言う。
「でも、あなたは特別だと思ってる……マリアも」
その後も何か言っていたが、ラプンツェルには聞きとれない。ノヂシャはそろそろと目を上げた。ルナトリアが、ぱっと立ち上がる。本が膝から滑り落ちた。はしばみ色の瞳はノヂシャに釘付けだ。ルナトリアは動けない。
「あなた様は……ノヂシャ様、でいらっしゃいますか?」
語尾に疑問府がついていたけれど、それは問いかけではない。時間稼ぎのようなものだった。混乱して、ばらばらに散らかった思考を、纏める時間が欲しかったのだろう。
ブレンネン王国に銀髪碧眼の男性は、ニーダーとノヂシャしかいない。そこのところの事情は、辺鄙な森の奥に隠れ住んでいたラプンツェルすら知っているのだから、公爵夫人であるルナトリアが知らない訳がない。ノヂシャの出自も、どういう経緯で廃嫡されたかも、もちろん知っているだろう。
ルナトリアは、さっと畏まって頭を垂れた。
「失礼いたしました、わたくしは……」
「知ってるよ、ルナトリア。……いきなり出てきて、驚いたよな。なんだこいつって思うだろ」
ノヂシャは自嘲気味に言い、無造作に歩み寄っていく。ひょいと屈んで、ルナトリアの足元に落ちた本を拾い上げた。
「あっ……」
ルナトリアが慌てて腰を屈めると、思いもよらず、二人の距離が縮まる。ノヂシャは尻尾を踏まれた猫のように、俊敏に飛び退さった。耳まで真っ赤になって俯いている。
それを見たラプンツェルは、やはり、ブレンネン王家の男たちは何らかの呪いをかけられている、と思った。恋愛が絡むと、言動が少女めいてしまう呪いを。女性に幻滅させて、子孫を残しにくくする狙いがあるのだろうか。
ノヂシャは無言で、本をルナトリアの胸に押し付けた。ルナトリアのほんの些細な動作も見逃すまいと目を見開いているので、異様な目力を発揮している。ルナトリアは気の毒なことに、おろおろしていた。
「あのさ」とノヂシャが素っ頓狂な声を出す。反射的に、ルナトリアが「はい」と返事をした。本を胸にぎゅっと抱きしめて、体を固くする。
警戒するのはあたりまえだ。ノヂシャはあやし過ぎる。憧れの人との初対面であっても、上ずりすぎた。
(……もしかして、取り成さなきゃいけない? でも、私が出て行ったら、余計話がこじれそうだ……)
ラプンツェルが考えあぐねていると、ノヂシャが一歩、間合いを詰めた。ルナトリアが下がらなかったのは、すぐ後ろに椅子があったから。上体は心なしかのけ反って、ノヂシャから距離をとろうとしている。
ルナトリアの心は、引き波のように離れていこうとしていた。鈍感なノヂシャは気付かないらしい。ノヂシャは肩を怒らせ、拳を握りしめると、意気込んで言った。
「あなたと、話しがしたい。気になって、ずっと見てた。でも、なかなか踏ん切りがつかなくて、ぐずぐずしてて……そしたら、痺れを切らせたマリアが、先に出ていっちまってさ……す、座っていいかな?」
微笑もうとして失敗したノヂシャの表情は、いやらしい半笑いだった。ルナトリアの目が泳いでいる。断る口実を探していたのだろうが、ノヂシャの奇妙な気迫に負けて、頷いた。
すると、ノヂシャのぎこちない笑顔が、ぱっと輝いた。
「ありがとう」
ノヂシャの笑顔には濁りがない。純粋な喜びだけで、澄みきっている。今までの挙動不審を巻き返してしまえるだけの、魅力をもった微笑みだった。
ルナトリアが呆けている間に、ノヂシャはいそいそとルナトリアの向かいに腰を下ろす。ルナトリアが立ち尽くしたまま、着席せずにいると、ノヂシャも立ち上がった。
ノヂシャは目線をあちこちに彷徨わせていたが、やがて覚悟を決めたように、ルナトリアの目を真っ直ぐに見返す。綺麗なブルーの瞳の中で、星が瞬いたようだ。
「俺は、ニーダーと違ってなんの力もない、ただの男だけど……話を聞くくらいなら、出来る。あなたの為になにかしたい」
そう言ったノヂシャは、柔らかく包み込むように、微笑む。ルナトリアはつりこまれるように、ノヂシャを見つめていた。穏やかな陽の光が、二人を照らしている。
二人が着席するのを見届けて、ラプンツェルはそっとその場を去った。
ノヂシャをけしかけたのは、正解だった。ルナトリアに必要なのは、優しさと思いやりなのだ。ルナトリアに憧れつづけていたノヂシャなら、適任だと思った。
そう遠くないうちに、ノヂシャはルナトリアの特別な存在になれるだろう。ニーダーのあけた穴を、ノヂシャが埋める。
背後から聞こえてきた、ルナトリアの笑い声がそれを裏付けていた。




