牙を磨ぐ
あれからニーダーは、毎晩欠かさずにラプンツェルを訪ねて来るようになった。
ニーダーは必ず、土産に珍しい小物を持参する。遠い海からは珊瑚の髪飾り、遠い山からはスゲの櫛。螺鈿と真珠のベレッタに、絹糸を糾った組緒。
どれも貴重なものであることが、世俗に疎いラプンツェルにもわかる。きらきらしい宝物をおさめる小物入れも、ちょっと触るのも緊張するような、見るからに高級そうな代物だ。楕円形の赤い本体を、金色の線が縁取っており、蓋には蝶の形のクリスタルガラスが嵌めこまれている。
どれもこれも、きっと、目玉が飛び出るほど値が張るだろう。
ニーダーが臣民に嫌われるのは、大いに結構。どんどん嫌われて、孤立を深めればいいと思っている。
しかしその原因が悪遣いで、しかもそれがラプンツェルの為だと言うのなら、心苦しい。止めて欲しい。すべてお金に換えたら、いったい、いくらになるのだろう。その分を稼ごうとしたら、どれだけ汗水たらして働かなければならないだろう。
贅を尽くした品品に囲まれ、ラプンツェルの心は怯んだ。復讐に関係のないことには、こだわらないつもりだったのに、つい、口出ししてしまう。やんわりと浪費を窘めると、ニーダーはあっけらかんと笑った。
「奥ゆかしいことだ、ラプンツェル。それらの素晴らしい品々は、君の見事な髪を飾ってこそ真価を発揮すると、君の手許に集まったのだよ」
ラプンツェルは、剥がれかける愛想笑いを、なんとか貼りつけていた。ルナトリアの教えに従っているのか、はたまた、思ったことをそのまま口にしただけなのか。どっちにしたって、嬉しくはない。
それでも、つくりものの微笑みを浮かべて、心にもないお礼を述べることは簡単だ。ちょっと微笑めば、今のニーダーはいちころなのだ。
ばかばかしいことだが、ニーダーはラプンツェルとの仲が順調に進展していると、信じている。寝室こそ、別に分けたままだけれど、ニーダーには不満も苛立ちもなさそうだ。愛する妻の据え膳を逃げ出す、乙女のように奥手な男だから。ラプンツェルが機嫌よくニーダーを迎えいれたら、もう、それで上機嫌だ。
鞭の味と共に教え込まれた、彼独特の逆鱗にさえ、触れないよう気をつければ、ニーダーはよく躾けられた犬のように、大人しくて扱いやすい。そして安全だ。
二人の仲が、一見すると良好に見えても、ラプンツェルがそのように偽装しているからに過ぎない。そんなことは露知らず、二ーダーは二人の関係を、努力で作り上げたと思っているだろう。
実際、忍耐とは縁遠いニーダーが、よく我慢していたとは思う。
ニーダーは、恋愛指南役のルナトリアの働きを高く買っていた。ラプンツェルとすっかり打ち解けたと見たニーダーは、これまでの薫陶に感謝し、褒美をとらせようとルナトリアを城に招いた。
ところが、召喚に応じたルナトリアの顔を見るなり、ニーダーはルナトリアを帰してしまったという。
なんでも「二目と見られない、ひどい顔」をしていたからだそうだ。
ニーダーは国政に参与し滞りなく治世をしき、妻ともうまくやっている。順風満帆の日々を忙しく過ごすニーダーの、唯一の心がかりは、意気消沈したルナトリアのことらしかった。
ラプンツェルの前では、気にする素振りは見せない。ラプンツェルが、他人に関心を寄せると、ニーダーは気を揉まずにはいられないから、彼自身も、気をつけているのだろう。
ルナトリアの近況については、ノヂシャから聞いた。ノヂシャの話では、ニーダーはルース公爵を呼び出し、ルナトリアの様子を訊ねたそうだ。ルナトリアが伏せっていると聞き、彼女を気遣う手紙をしたため、持たせたという。
「ニーダーは、賢いのに時々、バカになるんだ」
ノヂシャは無表情で、淡々としつつ、冬の寒さのような苛立ちを纏っていた。
「そんなことしても、ルナトリアがますます痛めつけられるだけだぜ。ニーダーだって、君が他の男と関わったら、妬けるだろうに。なんでわかんないかな」
ノヂシャが遺憾にたえないと頭を振る。ラプンツェルは、さり気なく伸びあがって、ノヂシャの襟首を覗き込もうとした。うまくいかなかった。
(……もしも、私と会ってるせいで、ノヂシャが鞭打たれてるなら、こんなに元気なわけない。それに、ニーダーはここのところ、自由な時間はずっと私のところに入り浸ってた。ノヂシャを鞭打つ時間なんてないよね)
ノヂシャは心配ない、と結論付ける。ラプンツェルは思考を切り替えた。
ルナトリアは、まいっているようだ。さもありなん。ニーダーに抱いた幻想という、精神的主柱を失ったルナトリアには、何もかもが耐え難い筈だ。ラプンツェルはひとりごちる。
「……このままじゃ、ダメになっちゃうかも」
物言いたげに口元を歪めるノヂシャに、ラプンツェルは構わず続けた。
「だから、やっぱりノヂシャしかいないんだよ。ノヂシャが、ルナトリアのこと支えてあげればいいの。なんとかしてあげて」
ラプンツェルはノヂシャに発破をかけた。ラプンツェルを見つめ返したのは、ネズミと小鳥だけ。肝心のノヂシャは、茫洋とした、どこか遠いところを眺めているような目をしている。それでも、手応えがない訳ではない。
ノヂシャが考えていることが、彼と言葉を交わすうちに、なんとなくだけれど、想像がつくようになってきた。ノヂシャはラプンツェルの希望を、真剣に受け止めている。機会さえあれば、ルナトリアに接触するだろう。
ラプンツェルはその機会を設けてやることにした。ニーダーを言い包めて、ルナトリアを城に招かせる。