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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第五話 画策
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悪意の萌芽3

 夫の暴力に悩むルナトリアに、ニーダーを差し向けたら、こうなることはわかりきっていた。ラプンツェルが書いた筋書きの通りだった。

 しかし、ルナトリアにとっては、まさに青天の霹靂だったのだろう。


 ルナトリアはぱくぱくと唇を動かしている。溢れるほどの思いが、言葉にならない。

 ルナトリアが信じ、彼女を支えていたものが、音を立てて崩れおちていた。


「わた、わたくし、は……いつまでも、公爵のお手を煩わせてばかりで……ですから、公爵はわたくしに暴力を……」

「暴力と思うから辛いのだ。夫から受けるのは、愛の鞭だと思い給え」


 ニーダーはそうとは知らずに、追い打ちをかける。鼻息をつくと、ニーダーは俯き加減に額を抑えた。


「私の目から見ても、君が公爵に心を捧げていないとわかる。親子ほど歳が違うのだ、難しいことも多々あるのだろうが……夫を愛するのが、妻の義務だぞ。それを承知の上で、嫁いだのではないのか」


 端的に言えば、ルナトリアの自業自得だと、ニーダーは一刀両断した。一番、言ってはいけないことを、ニーダーは言った。ルナトリアの目が光を失う。


 ルナトリアは瞬きをしない。洞のような目が、ニーダーを一心に見つめている。居心地の悪さを感じたニーダーが眉を潜めると、ルナトリアはへらりと笑った。彼女らしくない、弛緩した笑みだった。


「……あなたは、どちら様ですか?」


 ルナトリアの目は焦点があっていない。ぼんやりしながら、寝事を言うように、もごもごと口を動かしている。


「ニーダー殿下は、そんなこと仰らない……殿下は、お優しい方……わたくしがどんな目にあっているかご存じになったら、きっとわたくしを助けてくださる……わたくしを責めるはずがないわ……そうよ、そうに決まっているわ……」


 ルナトリアの首ががくんと逸れて、東屋の天井を仰いだ。首が座っていない赤ん坊のような首の動き方を見て、常軌を逸していると思ったのだろう。ニーダーはがたんと椅子を鳴らして立ち上がった。身を乗り出し、ルナトリアの肩をつかみ、揺さぶる。


「……しっかりしろ! どうしたというんだ、ルナトリア……ルナ!」


 ルナトリアははっと目を見開いた。おぼろげな瞳が、辛うじて焦点を結ぶ。正気に戻るにつれて、彼女の顔から血の気がひいた。


「も、申し訳、ございません。わたくし、わたくし……」


 ルナトリアはしどろもどろになってしまって、何も言えなかった。ニーダーはほっと息をつくと、へたりこむように椅子に座り直す。必死になって言葉を探すルナトリアの唇から洩れる、意味を為さない音の羅列を、ニーダーは力なく頭を振って遮った。


「今日はもう良い。君には休息が必要だ。帰って休んでくれ」


 ルナトリアが縋るような目を向けても、ニーダーは目を合わせようとしない。うんざりしているのだと、ルナトリアは思っただろう。


 今にも泣きだしそうな顔で、ぐずぐずとその場にとどまっていたルナトリアだったけれど、ニーダーに帰れと言われたら、もうどうしようもない。


「はい……陛下……」


 ルナトリアは一礼すると、おぼつかない足取りで歩きだした。ふらつき、何もないところで躓く。ルナトリアが転んだとき、息を呑んだのはノヂシャだけだった。ニーダーは振り返りもしない。たぶん、気が回らないのだ。自分のことで、いっぱいいっぱいで。


 ニーダーは肘をテーブルにつき、両手で顔を擦っている。


 ニーダーには、訳が分からないのだ。悩んでいるルナトリアの為に、親身になって助言をしたら、ルナトリアはいきなり取り乱して、おかしくなった。ニーダーの認識は、その程度の筈だ。他人の痛みを思いやるには、ニーダーは幼稚すぎる。 


 くん、と袖を引かれ、ラプンツェルは瞬きをした。一緒に成り行きを覗き見ていたノヂシャが、隣で首を傾げている。


「ニーダーに何を、吹き込んだ?」


 ラプンツェルは、ノヂシャの感情のあらわれない目を見返した。ノヂシャをうつした鏡のように、ノヂシャを真似て首を傾げる。


「ルナトリアが悩んでたから、相談に乗ってあげたら? って勧めただけだよ。どうして、こうなっちゃったのかな。なにがなんだか、全然わかんない」


 としらを切りながら、ラプンツェルは笑いを堪えるのに苦労していた。思い通りにことが運び過ぎていて、少し怖い。


 ニーダーなら、やると思った。ルナトリアの心に咲いたきれいな花を、徹底的に踏みにじってしまうに決まっていた。


 ノヂシャはそれ以上、追求しようとはしなかった。俯き、物憂げに溜息をつく。


「ルナトリアは傷ついたみたいだ。かわいそうに……」

「かわいそう」


 かわいそう。その単語を、ちゃんと言えたか自信がない。どこか遠い国の言葉のような気がする。


(誰かを憐れむことなんて、もう、しなくて良いってことかな)


 吐息で笑う。ノヂシャの銀髪を撫でようと思ったが、小鳥がいるのでやめておく。ラプンツェルは肩を揺らして言った。


「君も、ニーダーと同じで、鈍いんだね。わかんないかな? これ、チャンスだよ?」

「これ、チャンスだよ?」


 ノヂシャが鸚鵡返しにする。ラプンツェルはノヂシャの耳元に唇を寄せ、こそこそと耳打ちした。


「ルナトリアを慰めてあげられるのは、君しかいないってこと。君ならわかるでしょ? ニーダーと違って、打たれる辛さが」


 ノヂシャは目をぱちくりさせる。ややして、やおら立ち上がった。なんて迂闊なことをするんだろう、とラプンツェルは慌てたが、ニーダーはもういなくなっていた。


 ノヂシャがラプンツェルに手を差し出す。立たせてくれるらしい。断る理由もないので、差し出された手をとる。ノヂシャの手はかさついていて、石のように冷たい。


「ニーダーは、よくわかってると思うけど……でも、俺なら……彼女を悲しませたりしない」


 ノヂシャはそう言うと、靴先で毛づくろいをしていたネズミを手で掬い上げ、ポケットに入れた。ノヂシャの髪に埋もれる小鳥が、ちょこちょこと動き回る。歩きながら、ノヂシャは「いて」と小さく呟いた。鳥の足に絡んだ髪の毛が、引っ張られて痛いらしい。


 ラプンツェルは一人その場に取り残される。ここにいてもしょうがないので、部屋に戻ることにした。そのあとを覆面の騎士が影のように付き従う。


 一度、東屋を振り返る。ルナトリアが、ひとりでしくしく泣いている気がして。でも、誰もいない。ラプンツェルは前を向いて足を進めた。


(ルナトリア、お気の毒さま。あなたは紙で折った礎に立っていたの)


 ラプンツェルは、ルナトリアの涙を見ても、なんとも思わないことに安堵していた。これから起こるであろう修羅場に遭遇しても、胸を痛めずに済みそうだ。


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