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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第1話 崩壊
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望まない結婚

***


 それから数日、いつもと同じように、穏やかな日々が過ぎて行った。ラプンツェルは、そう思っていた。ラプンツェルの知らないところで、国家を揺るがす異変が起こっていたことも、塔の家族たちが愛するラプンツェルの為に苦渋の選択を迫られていたことも、何も知らなかった。ただ、ニーダーの不吉な言葉を忘れようと、そればかり考えていた。


 ラプンツェルとヒルフェの父、ビルハイムがある朝、ラプンツェルの部屋を訪れた。いつもは、娘を前にするとでれでれとしまりのない笑顔を浮かべずにはいられない丸顔が、今日は青く固い。沈痛な面持ちにさえ見えた。

伴われてやって来たヒルフェは、今日はきちんと服を身につけていて、姫姉さん姫姉さんと騒ぎ立てることもない。唇を噛みしめて、頑なにうつむいている。その後ろに、シーナとリーナ、アンナが控えている。三人とも、漂白したような無表情である。

 ただならぬ気配を感じ取り、ラプンツェルは居住まいを正した。ビルハイムはラプンツェルの前に跪き、小さな手をぎゅっと握りしめた。


「姫や。お前に嫁いで貰うことにしたよ。お相手は国王陛下だ。願っても無いお相手だろう」


 悪い話だろうと、予想してはいたが。ラプンツェルは目を瞠った。


「お父さま、何かあったの?」


 数日前までは、妹のみならず大切な姫まで、人間になどくれてやるものかと、温厚な彼には珍しく、鼻息荒く息まいていたのに。ビルハイムはラプンツェルの手を優しく撫でている。ラプンツェルの目を見ない。


「皆で良く話し合って、決めたことだ。塔の家族の為、これが最良の選択なのだよ。わかってくれるね」


 あまりに突然で、一方的な宣告。ラプンツェルは発作的に喚き散らしそうになった。


(嫌、好きでもない男の妻になるなんて、絶対に嫌!)


 しかし、ラプンツェルは父の手が小刻みに震えていることに気がついた。ラプンツェルの中で膨れ上がった反抗心が、針で突かれたように萎んでいく。

 事情はわからない。しかし、父は断腸の思いで、ラプンツェルの結婚を決めたのだ。ラプンツェルが望まないと知りながらも、そうせざるを得ない事情があったのだ。苦しんだ末に、娘に憎まれる覚悟すら決めたのだろう。

 それならば、ここでさらに父を追い詰めることは出来ない。

 ラプンツェルは父の手を握り返した。


「はい、お父さま。私はこの高い塔の娘。己の務めを果たします」


 ラプンツェルは父の顔を見て、ヒルフェの顔を見て、三人の使用人たちの顔を見る。そうして、微笑んだ。


「今まで大切にしてくれて、ありがとう。みんな、大好きだよ」


 父はくしゃりと顔を歪め、ラプンツェルを抱きしめた。ヒルフェは嗚咽を漏らし、シーナは、泣きじゃくるリーナとアンナの肩をそっと抱いている。目を赤く腫らした、他の家族たちもやって来て、別れを惜しむ。ラプンツェルは一人一人に感謝と別れを告げた。

やがて、年若い姉のひとりが啜り泣きながら言った。


「陛下がお見えです」


 ラプンツェルが屋敷を出ると、立派な箱馬車が車回しにとまっていた。その傍らにはニーダー自ら、迎えに出ている。佩刀したニーダーには、自身が抜き身の刃のような威圧感がある。ニーダーはラプンツェルを見つけると、触れれば切れるような険しい顔を綻ばせた。


「ラプンツェル」


 立ち止まったラプンツェルを、嬉しそうに破顔したニーダーが迎えに来る。親衛隊と思しき大柄な男が、気配を消してニーダーの斜め後ろにつき従う。ラプンツェルが知るうちで、一番大きなゴーテルと同じくらい、立派な体格をしている。黒い覆面で頭部を覆い隠した風体が異様であった。

ニーダーは、苦渋に満ちたビルハイムにも、怒りに震えるヒルフェにも見向きもせず、ラプンツェルの左手をとった。薬指に口づけて、陶然と囁く。


「やっと、私の気持ちに応えてくれたね。この時を待っていた。もう決して放さない。君は私のものだ」


 ラプンツェルは、けがらわしいと振りはらわないでいるだけでやっとだった。ニーダーは汚ない手をつかって、二人の婚約を結んだに決まっている。

ニーダーの笑顔には、気品溢れる喜びが見て取れた。そこに虚飾の類は見受けられない。仕組まれた結婚にしか思えないのに、ニーダーはラプンツェルが自らの意思で結婚を望んだと思い込んでいるようだった。否、それだけではない。ニーダーが見ている世界と、ラプンツェルが見ている世界は、微妙に食い違っている。この齟齬が、いつか決定的な亀裂になって全てを飲み込んでしまうような気がした。

 ニーダーはラプンツェルの強張った肩に腕を回し、馬車へ誘おうとする。得体の知れぬ男の腕に抱擁され、ラプンツェルは身を竦ませてしまった。

 ラプンツェルの怯えが引き金となった。勃然となったヒルフェが弾かれるようにニーダーに掴みかかる。

 

「姫姉さんに触るな!」

「ヒルフェ!」

 

 ビルハイムが制止の声を上げた時には、ヒルフェの首に触れるか触れないかのところで、二つの白銀の刃が交差していた。ひとつは、ラプンツェルを懐に抱き音もなく抜刀したニーダーの刀。もうひとつは、ニーダーに付き従う、屈強な体躯を誇る覆面の騎士の短剣だった。ヒルフェはニーダーに掴みかかろうとした姿勢のまま、うごけない。喉笛に刃が食い込み、血が滲んでいる。助けなければ。ラプンツェルはニーダーに縋りついた。


「ニーダー、やめて!」


 ニーダーがラプンツェルを流し見る。眉間に深い皺が寄っていた。


「この男は君の夫に害を為そうとした。そのような狼藉者を、君は庇うのか?」


 その声を聞いただけで、体の芯が凍る。ラプンツェルは絶句した。もしもここで返答は間違えたら、ニーダーはどんな残酷なことでもしてしまうだろうと、直感した。

 

(だめだ!)


ラプンツェルはニーダーの首玉に縋りついた。ニーダーが姿勢を崩す。ニーダーの怒りが矢のように突き刺さるのを感じ、肌を泡立てながらも、ラプンツェルは言った。


「ニーダー、もう行こう。私をあなたのお嫁さんにしてくれるんでしょ?」


 そう言って、ニーダーの頬を両手で挟む。ラプンツェルの顔がある低い位置まで引き寄せて、ラプンツェルはニーダーの額に額を合わせた。恥じらう乙女のように、ほんのりと微笑み、目を伏せて。


「今までのことは、悪かったと思ってるわ。でも、女はそう易々と承諾できないものなの。あなたなら、わかってくれるよね? 本当はずっと、こうしたかったってこと」


 信じられないものを見るような、ビルハイムとヒルフェの視線がラプンツェルの心を抉る。しかし、ラプンツェルは恥知らずな真似をやめなかった。ニーダーの己への執着を盾にするほかに、この場を切り抜ける術が思いつかない。

 ニーダーがラプンツェルの顎をとる。すっかり暈色が失せ、甘やかに色づいた顔を傾けた。


「ああ、もちろんだ。君は、私のものなのだから」


 ニーダーの唇が、ラプンツェルの唇に触れる。ラプンツェルは突然、世界が紙で出来ているような錯覚に襲われた。何もかもが薄っぺらだ。薄っぺらで、虚しいだけだ。

 


***


 城につくと、ニーダーは親衛隊を下がらせた。けれど覆面の騎士だけは、影のように付いて来る。ニーダーは基本的に、彼の存在を空気のように、当然のものとして頓着しないようだった。


 人気のない王宮は豪奢な墓場のようだった。さり気なくラプンツェルの腰に手を回し、悪魔で紳士的にエスコートするニーダー。

ラプンツェルは震えを堪えていた。


 そこへ、臣下らしい壮年の男性が足早に近づいてきた。身形や所作からみて、身分のある者だろう。臣下は目もくれないニーダーに低く囁く。


「陛下、早急にお耳に入れたいことが」


 ニーダーは顔色ひとつ変えない。ラプンツェルの額に素早く口づけると、仄かな微笑を浮かべて言った。


「私たちの寝室に案内させる。疲れただろう。休んでいなさい」


 覆面の騎士にラプンツェルを任せると、ニーダーは青い外套の裾を翻し、臣下を引き連れ颯爽と廊下を渡って行った。


 覆面の騎士は無言でラプンツェルを先導した。


 ラプンツェルが連れて来られたのは、回廊を渡った先の離れにある一室だった。室内の装飾は、壁紙から絨毯、家具から小物に至るまで、少女趣味で固められている。

 覆面の騎士は部屋に入ろうともしなかった。始終無言で、ラプンツェルを部屋に入れると、部屋を出て扉を閉めた。

 一人になったラプンツェルは、所在なく当たりをみまわした。

 

ピンクとホワイトを基調とした室内には、優雅な曲線によって構成される華奢な調度品が完璧に配置されている。


インテリアにはさほどこだわらないが、デコレーションケーキのような装飾過多な部屋に、自分はそぐわないとラプンツェルは感じていた。


ビルハイムの上品な趣味によって、塔の内装は無駄をそぎ落としたシンプルで洗練されたものだった。ラプンツェルの自室も、こことはかけ離れている。


訳も分からず連れて来られた戸惑いと相まって、落ち着かない気分にさせられる。うろうろと広い部屋を行ったり来たりした挙句、ラプンツェルは天蓋つきのベッドの端にちょこんと腰かけた。雲で出来ているかのように柔らかい寝具が意外に強い弾力でラプンツェルの尻を押し返す。


小柄なラプンツェルでなくとも、一人寝をするにはあまりに大きいベッドだ。寒気が背筋を駆けあがり、身じろぎすると、ささやかな絹鳴りがひどく耳に付いた。ラプンツェルは拳を握りしめ、唇をかむ。


(お嫁さんになるって、そういうこともする……んだよね)


 自覚すれば、体が固く強張っていく。ラプンツェルは「正しい知識は身を守る為に絶対に必要」という信条をもつシーナによって、うら若き令嬢には珍しく、性的な事柄に関するある程度の知識はもっている。震える体を抱くには、ラプンツェルの細腕はあまりに頼りなかった。 


(……ゴーテル)

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