忘れていた絶望
分厚く塗り重ねた白粉の下の素肌が、あらわになっている。ラプンツェルは息を呑んだ。
ひどい状態だった。青や紫や黄色の痣が、模様のように顔中にある。ルナトリアが袖を捲くると、細腕にも顔と同じような痣があった。
この傷は、昨日、今日でつけられたものではない。地層のように何重にも積み重ねられてきたものだ。ルナトリアは何者かに、恒常的な虐待を受けている。
ラプンツェルはルナトリアに嫌な態度をとったことを後悔した。綺麗で、幸せそうで、ニーダーのことを慕っているから。そんな幼稚な理由で彼女を嫌っていたことが恥ずかしい。ルナトリアも、ラプンツェルと同じ境遇にあるのだ。
何と声をかけたものか、考えあぐねていると、ルナトリアは低く揶揄するように言った。
「ここが浴場であったなら、もっとおぞましきものをお見せすることが出来たのですが」
ルナトリアの顔から、白粉と一緒に微笑みが消え去っている。瞳の色が、優しいはしばみ色に見えない。
「驚かれたでしょう。わたくしは不束な妻ですから、これは当然のありさまなのです」
ルナトリアは怒っている。ドレスを握りしめる手を小刻みに震わせて、ルナトリアは言った。
「お妃さまのお心の内は、わたくしのような者にはわかりません。お妃さまが陛下を嫌われるのは、相応の理由があってのことでしょう。ですが、ありもしない暴力をつくねり、陛下を讒言され、貶めようとなさるなんて……見苦しゅうございます」
ラプンツェルはテーブルを掌で叩き、憤然と立ち上がった。心に芽生えた同情が踏みにじられた。ルナトリアを突きあげるように睨み上げて、とげとげしい口調で言った。
「嘘だと決めつけるのは、早いんじゃない? 目に見える傷だけが、全てとは限らない」
ラプンツェルの反論を、ルナトリアは愚にもつかぬと跳ね付ける。
「陛下は、先王陛下に辛くあたられ、悲しい思いをされていた先の王妃さまを、健気に支えていらっしゃりました。お優しいお方なのです。そんなお方が、愛する女性に手をあげる筈が御座いません」
ラプンツェルは、さらに言い返しそうになったが、やめた。ルナトリアは何を言おうと納得しない。彼女はニーダーを盲信している。幼馴染で、親友で、大切に想っているであろうニーダーを、全力で守ろうとする。
いや、もしかしたら、ルナトリアが守ろうとしているのは、ニーダーではなく、彼女の美しい思い出なのかもしれない。辛い現実を耐え忍ぶ為に必要な、理想という支え。ルナトリアにとって、それこそが、ニーダーなのだろう。
ラプンツェルがゴーテルとの約束を支えにしているのと、同じように。
そうであっても、よりによってニーダーなんかを選ぶなんて。こんな愚かな女を、一瞬でも、同じ痛みを分け合う仲間だと思ったことが、腹立たしくて地団駄を踏みたくなる。
許せない。外道の癖に、神を崇拝するように想われるニーダーも、ニーダーを疑わず、ラプンツェルを責めるルナトリアも。二人とも地獄に堕ちればいいと思う。ラプンツェルのいる場所より、もっと低いところまで堕ちればいいのだ。
呪うことは出来ても、ラプンツェルには二人をどうこうする力はない。それが悔しくて、ラプンツェルは血を吐く思いで言った。
「なにも、知らない癖に……私のことも……高い塔のことも……!」
ラプンツェルが、ニーダーにどんな目にあわされたか。その一端でも垣間見れば、ルナトリアは今と同じ言葉を口に出来ない筈だ。
潤んだ目でラプンツェルを見据えていたルナトリアが、いきなりぽんと方を叩かれたように、目を丸くする。
「高い塔? ……人喰いが隠れ住んでいた、森の奥の塔のことですか?」
ルナトリアは戸惑ったように言った。頼りない声音から、彼女が何もしらないことがわかる。ラプンツェルも人のことを言えた義理ではないけれど、ルナトリアは所詮、お蚕ぐるみのお姫様だ。何も知らない。
侮りを包み隠さず、ラプンツェルは居丈高に言い捨てた。
「あなたみたいなひとでも、知ってるんだ」
「ええ……陛下が攻め落とした人喰いの巣窟だと、聞き及んでおります。人喰いの首領の公開処刑にはわたくしも、夫に伴われ立ち会いましたから」
そう言って、ルナトリアは眉を潜めた。思い出したくないようなものを、見たということだ。
ラプンツェルは氷の海に放り込まれたようだった。あまりの衝撃が痛みとなって体中を駆け巡る。温度を失い、感覚もなくなった。