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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第1話 崩壊
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招かれざる求婚者

その晩。ラプンツェルは、窓の外を見下ろしていた。夜風に靡く銀髪には、黒薔薇の髪飾りが飾られている。

空気がざわつく夜は、なかなか寝付けない。木々が形作る緑色の曲線の向こう側。ぼんやりと人間たちの街が見える。父に、塔からは決して出てはいけないと、きつく言いつけられていなくても、ラプンツェルには関係のない場所だ。窓を閉じる。

 

(ここから出られなくても、私はここにいられれば幸せ)


 そのとき、冷たい風が吹き込み、前髪をさぁっとかきあげた。閉ざされた窓から、風など入り込む筈がない。

 はっとして顔を上げる。窓が開け放たれている。窓枠に足をかけた男が、窮屈そうに長身を縮めていた。ラプンツェルと目が合うと、氷の双眸を細めて微笑む。その胸元に、ブレンネン王家の紋章である、奇しき青薔薇が誇らしげに輝いていた。

 

「ご機嫌いかがかな? 高い塔の、囚われの姫君」


ラプンツェルは、魚のように口をぱくぱくさせた。彼はどんな魔法を使っているのか知らないが、高い窓から入ってくる。毎回のことだけれど、ラプンツェルは一国の主の奔放な振る舞いに、毎回、律義に驚いてしまう。


ニーダー・ブレンネン。ブレンネン王国の国王で、若いながら獅子の貫録がある。すべての他者を威嚇して寄せ付けない、孤高の獅子王だ。


ニーダーは見事な銀髪を後方へふんわりと流して整えている。露出した額にはらりと落ちかかる前髪さえ完璧だ。頭皮に頭髪を寝かしつける髪型が、ブレンネン王国貴族の伝統的な髪型だそうだけれど、ニーダーほど、その伝統を自分のものに出来ている貴族は、他にはいないだろう。他の貴族を見たことはないけれど、ラプンツェルは確信している。


ブレンネンの銀の神は、ニーダーのことを気に入っているようで、彼に素晴らしい贈り物を与えたのだ。氷の美貌と、不可侵の気品である。


その厳しさと冷たさと、ラプンツェルに見せるわざとらしい甘ったるさの温度差に、居心地の悪さを感じる。いつまでたっても、慣れない。端的に言うと


(嫌だなぁ……)


ということになる。


「……何か御用?」


 ラプンツェルは平静を装って言った。この言い草を聞いたら、国王陛下になんて口の利き方をするのだと、誰もが驚くだろうが、敬語はニーダーによって禁止されているので仕方が無い。「他人行儀はよしてくれ、君と私の仲だ」とニーダーは言うが、ラプンツェルにとっては、見知らぬ他人よりも心が通わない相手である。


ニーダーは無断で部屋にあがりこみ、青い外套の汚れを遠慮なくはたき落とす手をとめた。ひょいと片眉を持ち上げる。ぐるりと目玉を動かすと表情ががらりと変わり、呆れ顔になった。


「寝ていたところを起こした訳でもないのに、何故、そう不機嫌になる? 妻の生れた日を、誰よりも早く祝いたいのだ。夫の健気な心意気に少しくらい、感動してくれてもいいだろう?」


 ラプンツェルは思わず知らず、眉をしかめた。ラプンツェルはニーダーの求婚を、すげなく突っぱねている。それなのに、ニーダーはまるで二人の結婚が、確定事項であるかのような言い方をする。その確信が傲慢に思えて、反感が顔に出たようだ。

 ニーダーは意に介さない。気がひけて及び腰になるどころか、ぶしつけに間合いを詰めると、ラプンツェルの顔を覗き込んだ。身長差がひらきすぎていて、傍目から見ると、大鷲と捕らわれた小鳥のように見えるだろう。


ラプンツェルは臆することなくニーダーを見返したが、ニーダーの目はラプンツェルの上を素通りしているような気がした。ニーダーと見つめあうとき、時々感じる違和感だ。ニーダーはラプンツェルを見ていない。ラプンツェルはふいと目を逸らした。


「そんなに見つめないで」

「照れたのか? 愛しい妻を見つめる視線が熱っぽくなるのは、当然だよ」


 ニーダーがくすくすと笑う。なんだかバカにされている気がして、ラプンツェルは言い返した。


「適当なこと言わないでくれる? 私は騙されない。私は本当に愛情深い目を知っているの。あなたのそれが違うってことくらい、わかるんだから」


 ニーダーは無言で、両腕を大きく広げた。深紅の外套が夜空を羽ばたく正体の知れない鳥の羽ばたきのような音をたてる。

 ニーダーは長い足で、ラプンツェルがあとずさりして置いた距離をいとも簡単に詰めてしまう。ニーダーの手がすっと持ち上がったとき、ラプンツェルは反射的に目をつぶった。ぶたれたことなんて一度もないが、この時は咄嗟に、暴力から身を守らなければいけないと思ったのだ。

 ニーダーの手はラプンツェルの頭に置かれている。存外に優しい仕草で髪を撫でていた手が手品師のように閃く。ぽかんとするラプンツェルを見つめて、ニーダーは満足そうに微笑んだ。


「よくにあう。こんなものより、ずっといい」


そう嘯くニーダーの手に、黒薔薇の髪飾りが握られている。ラプンツェルははっとして、髪を掻き毟るように、差し替えられていた髪飾りを外した。貴重なピンクの貝殻と、これまた貴重な真珠で花を模した、可愛らしい髪飾りを毟り取り、ニーダーに突き返す。


「こんな高価なもの、貰えない。これはお返しするから、あなたもそれを返してよ」


 いっこうに返すそぶりのないニーダーに業を煮やして、ラプンツェルは黒薔薇の髪飾りを奪い返そうとする。ニーダーがひょいと腕を掲げると、ラプンツェルが背伸びをしても、跳ねても、髪飾りに手が届かなくなってしまった。


「なにするの! 返してよ、それは弟から貰った、大切なものなんだから!」

「弟に貰っただと?」


 ニーダーを黒薔薇の髪飾りをまじまじと見つめている。かと思うと、ぐっと力を込め、髪飾りを握りつぶしてしまった。

 黒薔薇の花弁がはらはらと涙のように床に落ちる。茫然としていたラプンツェルは、床に座り込んで、壊れた黒薔薇の髪飾りを拾い集めようとした。その手をニーダーが掴み、ラプンツェルの体を引き上げる。ラプンツェルはかっとなって、ニーダーから贈られた桃色の花の髪飾りを床にたたきつけようと腕を振り上げた。


「ひどい、なんてことするの! 私の宝物なのに! こんなことして、絶対に許さないから!」


 その腕はニーダーに捕まる。ぐっと引き寄せられ、吊あげられてしまう。腕が伸びきり、ラプンツェルは咄嗟に背伸びをした。ニーダーがぐっと顔を近づけてくる。


「かわりに、弟とやらを粉々にすれば良かったのかな?」


 ラプンツェルはぞっとした。ニーダーは微笑んでいるが、目は冷えていて、ちっとも笑っていない。言葉を失うラプンツェルの耳元に唇を寄せて、ニーダーは囁いた。

 

「君はこどもの割に、恋の駆け引きってやつに通じてるようだ。男をじりじりさせて楽しむのがお好みなんて、いい趣味をしている。流石だよ、先が思いやられるな。……私は嫉妬深いんだ。あまり私を妬かせると、君の大切な家族にも火の粉がふりかかるかもしれないぞ」


 ニーダーはラプンツェルの手から桃色の髪飾りを奪い取ると、さり気なくラプンツェルの髪につけようとする。ラプンツェルはその手を振り払った。あとずさりしてニーダーから距離を取る。ラプンツェルは恐ろしくてニーダーの顔を見ることが出来ない。今にも大声で叫びながら逃げ出してしまいたい。

 けれど、ここではっきりさせなければいけないと思った。今までつれない態度をとってきたが、相手が相手だけに、決定的な拒絶は出来ていない。


きっとそれが悪かったのだ。これ以上、ニーダーを増長させない為にも、はっきりさせなければ。

 ラプンツェルは自分を励ますと、顔を上げた。月明かりの逆光で、ニーダーの顔がよく見えない。ラプンツェルは勇気が萎えないうちに、と早口で言った。


「私はあなたと結婚できない」

「なぜ?」

「あなたのこと、愛してないから」

「そんなことを聞いているんじゃない」


 ニーダーは静かだが強い言葉でラプンツェルの言葉を打ち消す。その表情を、なんと呼ぶべきかと、ラプンツェルは迷った。笑顔のようだが、笑顔ではない。ぞくっとするほど冷たい。


「なぜ、君に拒否権があると思っているのだ?」

「ど、ういう」


 ラプンツェルの喉に閊えた言葉を、ニーダーが手の一振りで消し去った。ラプンツェルの発言には、思考には、何の価値もないと、一刀両断の裁きを下すみたいに。


「何も知らぬお姫様。君の叔母君ミシェルは、我が父の呼び出しを拒んでこの塔に籠っていたと聞いているのか? 引きとめる王を振り切り、この塔に戻ったと? 違うだろう。彼女はここには戻らなかった。なのに、なぜ君は断れる? 君は自分が、何をしても許される特別な存在だとでも思っているのかね?」


 ラプンツェルは眉を潜めた。何故、ここでミシェルを引き合いに出すのかわからない。不可解で、気味が悪い。


「私は叔母さまとは違う。叔母さまは、望んで登城なさったのでしょう。私は嫌なの。愛も無いのに結婚なんて、間違ってる」

「それは、本気で言っているのか?」


 ラプンツェルが頷くと、ニーダーは二呼吸分の沈黙を置いてから、湧き立つように哄笑した。膝を叩いて、大笑いしている。


「あははっ……信じられない、傑作だ……甘やかされて育った、甘ったれのお姫様だとわかってはいたが、想像以上に浅はかだな! 想像力の欠片もない!」

「そんなこと」

「ない、か? 私の引き裂かれるような心の痛みも想像できないじゃないか」


 ニーダーは彼自身の銀髪をかきまぜて、ぴたりと笑い止んだ。早すぎる感情の舵の切り替えだが、ラプンツェルはとりたてて妙だとは思わなかった。ニーダーが心の底から面白くて笑っているわけではないことが、冷酷な気配から伝わって来るのだ。

 

ラプンツェルはニーダーを見つめた。ニーダーは不気味な男だ。ニーダーはラプンツェルを愛していない。彼の言葉の端々からは侮蔑すら感じられる。けれども、ラプンツェルと結婚するつもりなのだ。

 ラプンツェルは真っ直ぐにニーダーを睨みつけた。背を向けて逃げてしまうと、取り返しのつかないことになるような、不吉な予感がする。


 ニーダーが顎を引いた。額に落ちかかった長い前髪の陰に、目許が隠れている。弧を描く薄い唇が禍々しい。


「愚かな……あまりにも愚かな君が、堪らなく愛おしい」


 髪の房の間から見える目つきに、怖気が走る。ラプンツェルは両腕で体を抱いて凍りついた。


 ニーダーは肩を竦めると、声も出せず足も動かないラプンツェルを見下ろして、せせら笑いを浮かべた。


「ラプンツェル、ここで決めてしまおう。賢くなって、私の求婚を受け入れるか。それとも、後先を考えずに、愚かなままでいるのか。さぁ、想像力の逞しいお姫様は、どちらを選ぶ?」


 ラプンツェルをがんじがらめに捕えていた恐怖という束縛が、それを上回る感情によって弾け飛ぶ。ラプンツェルは、はっきりと言いきった。


「私、他に好きなひとがいるの。あなたとは結婚できない」


 ニーダーが噴出した。腹を抱えて笑いだす。


「ふふっ、くくっ……あはははっ! ……やってしまったな……やってしまったぞ」


 ニーダーは何の前触れもなく、ラプンツェルの顎をすくい取った。ラプンツェルが抵抗する隙を与えずにずいと顔を近づけてくる。噛みつくように。


「可愛いお姫様。泣き顔もきっと、可愛いだろう」


 ニーダーは身を翻し窓枠に足をかけると、何のためらいもなく飛び降りてしまった。驚いたラプンツェルの視界を、無数の蝙蝠の群れが遮る。耳障りな鳴き声が遠ざかってから、ラプンツェルははっとして、窓辺に駆け寄った。

 下を覗き込む。めまいがするくらい高い塔の下に、ニーダーはもう居なかった。トマトのようにつぶれた彼の死体も、そこにはない。忽然と姿を消していた。


 この時、ニーダーの死体が見つからないことにほっと胸を撫で下ろしたことを、呪う日がくるなんて、この時のラプンツェルは夢にも思わなかった。



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