「浚ってしまったら?」
少し逡巡した後に、おずおずと近づく。ノヂシャは体を半分ずらして、覗き穴をラプンツェルに譲った。促されるまま覗きこんでみると、壮年の男が談笑に加わっていた。ニーダーに恭しく礼を尽くしている。
きっちりと髪を撫でつけた、きちんとした風采の紳士である。目許、口元に刻まれた皺が時々、ぴくぴくと痙攣している。
王の手前だからなのか、四角ばっていて、見ている此方が気づまりするくらいだ。
ニーダーは慣れたもので、平然と受け流しているけれど。
ノヂシャはラプンツェルに頬を寄せ、こっそり耳打ちをした。
「あのひょろっとしたのが、ルナトリアの旦那。ガーダモン・ルン・ルース公爵だ。きっと、君と気が合うぜ」
ルース公爵に鷹揚に応対するニーダーの、獅子そのものといった風格を眺めながら、ラプンツェルは首を傾げた。
「どういう意味?」
「ルナトリアとルース公爵は、門閥貴族らしく愛のない結婚をした。ルース公爵はルナトリアのことを愛してない。でも、嫉妬はする……君と一緒だ」
ぴしり、とラプンツェルの表情に亀裂がはしる。さっと体を引いて、ラプンツェルはノヂシャを睨んだ。ノヂシャの涼しい顔をみていると、胃がむかむかしてくる。
だけれど、むきになるのも違う気がして、ラプンツェルはなんとか怒りを腹におさめようとした。鼻息をついて、つっけんどんに言う。
「一緒にしないで。私、ニーダーが夫としての役割を果たしてくれさえすれば、他に言うことはない」
嫉妬するなんて、とんでもないことだ。嫉妬とは、自分の愛する者の愛情が、他の人に向けられることを恨み憎む気持ちである。ニーダーを憎んでいるラプンツェルには、縁もゆかりも無い。思い違いされることすら、不愉快だ。
ノヂシャがゆっくり瞬きをする。誤解だとわかってくれたのだろうか。ラプンツェルが怪訝に思ってまんじりと見つめると、ノヂシャは嘆かわしく溜息をついた。
「ルナトリア、前に見たときは、もっときれいだった……あんな男、彼女にふさわしくない」
ラプンツェルは呆れた。恋は盲目とは、よく言ったもの。ラプンツェルの話しなんて、聞いちゃいない。
ノヂシャが熱視線をおくる対象、ルナトリアは微笑み、そっと控えている。ルース公爵の細かな仕草ひとつひとつを注視している目が、心なしか、揺らいでいるようだった。ノヂシャの言うとおり、ルース公爵が来てから、ルナトリアの華やかさがくすんでしまったように思える。
愛のない結婚は、ルナトリアの心の負担になっているのかもしれない。
けれど、憂鬱になるくらい窮屈だったとしても、ラプンツェルに比べれば、ずっといい筈だ。家族を脅して、殺して、無理やり浚った上、意に添わなければ容赦なく鞭で打ち据える。そんな非道を行う男は、そういないだろう。
(あんなにきれいだから、ちょっと目を伏せるだけで、勘違いして、好意を寄せたくなるんだろうな)
ノヂシャの頭の中では、ルナトリアは完璧な悲劇のヒロインに祭り上げられている。「きれいだけど、お化粧が濃すぎるよ」と口走りそうになったが、品がないので思いとどまった。
その代わりに、ラプンツェルは遠慮なく失笑する。あてこすりのつもりで言った。
「そんなに心配なら、あなたが浚ってしまったら? それとも、ニーダーに浚って貰う?」
「ニーダーはダメだ」
ノヂシャは間髪いれずに言った。ラプンツェルは目を丸くして、噴出してしまう。
「わかりやすいやきもちね」
ノヂシャは目をぱちくりさせている。こどものように小首を傾げた。
「……ニーダーは、君のだ」
ラプンツェルの愉快な気持ちは、風に吹かれた蝋燭の火のように、ふっと掻き消えてしまう。ラプンツェルの不機嫌な顔を覗き込み、ノヂシャが首をひねった。
「そうだろ? ニーダーは、ラプンツェルのものだ。ラプンツェルが支配する。そうだよな」
ノヂシャは首を捩り、覆面の騎士を振り仰ぐ。黙して語らない覆面の騎士はやはり答えない。ノヂシャがしつこく食い下がるのを見兼ねて、ラプンツェルはとめた。
「やめたら? 無駄だから。そのひとは、喋らないよ」
「そんなことない。喋る」
ノヂシャは頑固に言い張ったが、覆面の騎士は答えない。やがて諦め、覗き穴に戻って来た。
東屋の集まりは、ちょうどお開きになったところだった。颯爽と外衣を翻すニーダーの後ろに、ルース公爵夫妻が続く。
夫の斜め後ろを歩くルナトリアの、ほっそりした背中を見送りながら、ノヂシャがぽつりと呟いた。
「さらうって、どういうことだ?」
「……自分のものにするってことだよ」
そう答えて、ラプンツェルは冷笑した。
「ニーダーがやったのと、同じこと」
言い捨てて、ラプンツェルはノヂシャに背を向けた。恐らくノヂシャは、しばらくここから動かない。ルナトリアという存在の残り香が消えるまで、惰眠を貪るように。