恋愛指南2
ぎくりとしたのは、ラプンツェルだけではなかった。
ニーダーは薔薇を眺めるふりをして、ルナトリアから視線を逸らしていた。言葉を探す目が泳いでいる。
「……如何もこうも……顔を合わせてすら、いないのだが……」
「まぁ……陛下……」
ルナトリアは物憂げに目を伏せた。控え目に、呆れているのだろう。ニーダーはちらりとルナトリアを盗み見ると、所在なさ気に膝の上で指を組んだ。
「君の教えを忘れたわけではないのだ。距離と時間を置いたところで、事態は好転しない。そうだったな」
「仰る通りでございます。お嫌いなものをお好きになって頂くには、時間を共に過ごすことですね。ご一緒している間に、誤解が解けたり、見直したり、嫌なところが気にならなくなったりすると、関係が改善されるのです」
ルナトリアが神妙に頷く。ラプンツェルにも、だいたい話しが読めてきた。
どうしてこうなったのか分からない。分かりたくもない。どうやら、ニーダーはルナトリアに、ラプンツェルとの仲を相談しているようなのだ。しかも、今日が初めてではない。
ラプンツェルは風を切る速さで振り返る。ラプンツェルと同じように、生垣の影に隠れていた隻眼の騎士が、それよりも早く顔を背けた。彼の言った「支度」とはこのことだったらしい。
ラプンツェルはわなわなと怒りに震えた。
ニーダーは、気難しい妻を扱いあぐねて困っている、気の毒な夫にでもなったつもりでいるのか。ラプンツェルへの残酷な仕打ちを、なかったことにしたのか。
やはり、ニーダーはまともではない。
ニーダーが麗しの貴婦人に、どのように相談をもちかけたのか。考えただけで腸が煮えくりかえる。
ニーダーは眉間に縦皺を余計に刻み、指をせわしなく組み替えている。考えをまとめているようだったが、やがて忌々しそうに嘆息すると、雑念を振り払おうとするかのように、頭を振った。
「言っていることはわかる……情けないが、一緒にいて、彼女を怒らせずにいられる自信がない」
「まぁ……陛下……」
ルナトリアは出来の悪い生徒を見るような目でニーダーを見守っている。
もしも、ルナトリアがラプンツェルの受けた仕打ちを知った上で、こんな茶番に付き合っているのだとしたら。なにも感じないのだとしたら。彼女は邪悪な魔女だ。それが普通なら、このブレンネンは狂っている。
ニーダーはテーブルに頬杖をついて、薔薇を眺めている。……筈が、いつのまにか半目になって薔薇を睨みつけていた。
昔、花瓶に花を活けながら、シーナが言っていた。『姫様が笑顔を向けると、花は嬉しくなって、もっとずっと、綺麗に咲いてくれますよ』と。
ニーダーの凶相を向けられたら、花はたちまち枯れてしまいそうだ。
口元にかすめるような笑みを宿らせて、ニーダーは広い肩を竦めた。
「私にはどうにも、女性の気持ちが分からないようだ」
「陛下ほど人心を掌握されるお方に、女の心がわからないはずが、ございませんでしょう?」
「本当の事だよ。ご教示頂きたいくらいだ」
「恐れ多くも、既に拝命いたしておりますわ」
ルナトリアが軽やかに笑うと、ニーダーは脱力したような笑みを返した。
「君が受け持った生徒の中でも、私は稀に見る劣等生なのだろうな」
「ご自身を卑下なさいませんよう。陛下は初恋をする少年のように、純朴でいらっしゃるのですよ」
「それはそれで……恥ずかしいような、情けないような」
ニーダーから、恨めしそうに横目で見られたルナトリアは、あらまぁ、ととぼけた声を上げた。
ルナトリアは、恋愛博士かなにかなのだろうか。淑やかに見えるけれど、ルース公爵夫人の座におさまるまで、何人もの男を競わせてきた類いの女性なのだろうか。男のあしらい云々はわからないけれど、少なくとも、ニーダーのあしらいには慣れている。
しかし、そんなことはどうでもよい。恋愛指南役のルナトリアが、ニーダーに、ころりと騙されていることが問題なのだ。
ラプンツェルは歯が砕けそうなほど、奥歯を噛んでいた。
(純朴? 初恋をする少年のよう? ばかなことを! 訳知り顔で、何も分かっていないじゃない!)
ルナトリアはにこやかに、とっつきにくいニーダーの厳しい横顔に問いかけた。
「陛下、お妃さまとは、どんなお話しをなさいますの?」
返答の前に、ニーダーは溜息をつく。自嘲がニーダーの表情をかたちづくる前に、ルナトリアは慎み深く目を伏せていた。乾いた笑いを漏らし、ニーダーは問い返す。
「何を話せば良いものかな。女性はどんな話しをすると喜ぶのだろう?」
「でしたら、お妃さまをお誉めになりましょう。余程まずい誉め方をなさらない限り、誉められて嫌な気分になる女性はおりませんもの」
ルナトリアはそう言うと、首を傾けて、少し思案していた。
「そうですわね。少し、練習をしてみましょう」
「……練習?」
「はい。わたくしを褒めてみてください」
目を丸くしたニーダーが、体ごとルナトリアに向き合う。ルナトリアは真っ直ぐな背筋をさらにぴんと伸ばし、膝の腕で両手を重ねると、にっこりして言った。さぁ、褒めてみろ。と、そう言うことらしい。
「何とおっしゃいます?」
「あー……その、なんだ……」
突然ふられたとは言え、ニーダーはしどろもどろし過ぎた。ルナトリアは二度瞬くと、少し困ったように眉尻を下げる。
「ご無理を申しあげました。わたくしを相手にされずともよろしいのです。この時だけ、わたくしを、お妃様だとお思いください。それとも、このようにとうのたった女では、お妃様を思い浮かべることも難しいでしょうか」
口に拳をあてて、ぶつぶつと何か呟いていたニーダーが顔を上げる。ひょいと凛々しい眉を持ち上げた。
「君には誉めるべき美点が、指折りしても余りある。私は口が不調法でうまく言えなかったのだ。気分を害したのなら謝ろう」
今度は、ルナトリアは目を丸くする。国王に、謝ろう、なんてさらりと言われたのだから、驚いて当然だ。二人は真顔で見つめあっていた。ややあって、ルナトリアが零れるように笑う。
「とんでもないことで御座います。わたくしの方こそ……拗ねたようなことを申し上げ、陛下のお心を煩わせてしまい、申し訳ございません。……それで、何とおっしゃいます?」
ニーダーはルナトリアを怪訝そうに睨んでいたが、気を取り直す為だろう、腕組をして黙り込んだ。しばし沈思黙考した後、引き結んでいた唇を、おもむろに開く。
「……君自身を称賛したい。構わないか」