恋愛指南1
四隅を柱で支えられた正方形の床の上に、寄せ棟作りの東屋が建っている。ぐるりと囲む剣先柵に沿わせた外枠から雪崩れ込むように花々が咲き誇っていた。屋根の中央に嵌めこまれた銀盤から水が吹きあがり、丸い屋根を支える支柱に絡みついた薔薇をうるおす。瑞々しい花弁の一枚一枚が仄かな光をまとっており、たいそう美しい。
東屋には、テーブルと椅子が置かれている。ここで好きな人と楽しく過ごしたら、どんなに素敵だろうとラプンツェルは想像した。
現実では男が一人、優雅に足をくみ、椅子に腰かけている。ラプンツェルは目を見開いた。夢見ている場合ではない。
ニーダーがいる。そのことにも驚いたけれど、それより、ラプンツェルを驚かせたのは、ニーダーがニーダーらしからぬことだった。
氷刃のように鋭く冷たい横顔。かっちりと格式ばった装い。均整のとれた長身。月光を糾ったような銀髪。
ニーダーその人に間違いない。けれど、陽の下だからだろうか。眉間に刻まれた皺は浅く、口元は柔らかく微笑んでいるように見える。
射るような鋭い目つきがなんとなく和らいで、見つめる先には妙齢の女性がいた。
女性はしずしずと、迷いなく、ニーダーに歩み寄って来る。女性はニーダーの手前で立ち止まると、ドレスを摘まんでカーテシーをした。
「ご機嫌麗しゅう、陛下。ご寵招に預かり、光栄です」
なんだか浮き出して見えるニーダーと違って、この女性はうららかな情景にすっと、とけこんでいた。
たっぷりとした栗色の髪、あたたかなはしばみ色の瞳、ふくよかな体つき。どれをとっても、女性らしい美しさを申し分なく揃えている。蔦模様が織り込まれた漆黒のドレスは、繊細なレースが首元、手首まで覆い隠し、肌の露出が殆どない。喪に服する黒衣は陰気になりがちだけれど、彼女が身に纏えば、その神秘的な雰囲気を引き立てる役割を果たしていた。
女性が真っ白な顔に、ふんわりと柔らかい笑みを浮かべると、口元にひび割れがはしった。白粉を何層にも塗り重ねるから、顔面が石膏のように硬くなっているのだ。
化粧を執拗に厚塗りするということは、見た目よりも年嵩なのだろうかと、ラプンツェルは考えた。上品に口元に添えた手は、滑らかなミルク色の肌に覆われていて、二十代の若々しさを示しているのだが。とにかく、施し過ぎた化粧が、せっかくの天然の魅力を損なっていることは、誰の目にも間違いないだろう。
そんな、少し残念なところのある女性に、ニーダーは着席したまま席を勧めた。
「よく来てくれた、ルース公爵夫人。掛けたまえ」
ニーダーの口調は、ラプンツェルが聞いた事のないものだった。臣下に対する峻厳な態度でもなければ、ラプンツェルに見せる、どんな顔とも違う。朗らかで、気安さすら感じる。
しかし、女性は着席しようとしない。小首を傾げるニーダーに、微笑みを絶やさず女性は言った。
「わたくしは、ルース公爵の妻としてではなく、わたくし個人として参りました。ルナトリアとお呼びくださいと、今一度、申し上げてはいけませんか?」
淑女らしい落ち着いた、たおやかな物腰だが、していることは王に対する指摘と意見である。ラプンツェルはとても驚いた。自分は棚に上げておくが、一国の主にとっていい態度ではないだろう。
しかしながら、ニーダーは気にしなかった。それどころか、うっかりした失敗を取り繕うように、苦笑してみせた。
「ああ、前回も同じやりとりをしたのだった。……掛けたまえ、ルナトリア夫人」
「失礼いたします」
女性は流麗な動作で椅子を引き、席についた。近くに召使の姿がないことに、今更ながら気がつく。ニーダーはもちろん、ルナトリアというこの女性も、椅子を自分でひいて座るような身分ではない。恐らくは、生まれつきそうなのだろう。ルナトリアには、気品がある。身ぶりのひとつひとつに優美さがあふれ、些細な視線の動きにも穏やかな感情の色が読み取れる。
ブレンネン国王に対する畏怖ではなく、ニーダーに対する親愛が、そこから感じられる。
生垣の影で息を潜めているラプンツェルの頭は、こんがらがっていた。
(私に会いに来ないと思ったら、ニーダー……こんなところで、女の人と会っていたの!?)
しかも、夫をもつ婦人が相手である。ニーダー自身、ラプンツェルという妻がいる。
ブレンネン王国は一夫一婦制だ。王家の人間も例外ではない筈だった。
二人きりで仲良くお喋りをしているだけで、男女の仲を疑うのは、邪推が過ぎるかとも思う。しかし、疑わずにはいられない親密な空気が、二人の仲から漂っていた。心を許し合う関係は、一朝一夕でつくれるものではない。
ラプンツェルの意識が、再び二人の会話に集中する。和やかに挨拶を済ませたルナトリアが、ラプンツェルのことを話題に上げたからだった。
「あれから、お妃さまとはいかがですか?」




