思惑
ニーダーは拳を解き、ラプンツェルの頬をふわりと包んだ。ゆるゆると首を横に振るのを視界の端にとらえる。
「君を壊しはしない」
「そうしなければ、あなたは愛されない」
「君が君でなくなっては、意味がない」
「私の正気に、それほど価値はないと思うけど。心が壊れてあなたを愛するようになっても、私は私でしょ?」
「君の心を殺せるわけがないだろう!」
ニーダーが苛立ちも露わに叫んだ。真摯な気持ちがこめられていることが伝わってきたけれど、ラプンツェルは辛辣に皮肉った。
「何を今更。高い塔の家族が殺されたとき、私の心も半分、殺されたようなものだわ。……いいんだよ、別に。私、このところ、ずっと死にたかったの。あなたといることに、もう、耐えられそうにないし」
ニーダーの顔がさっと青ざめる。虚ろな青い双眸が見開かれた。
「いやだっ!」
断末魔めいたニーダーの叫びが、ラプンツェルの肌をざわめかせる。ニーダーの体が、支えを失ったかのように倒れ込んできても、ラプンツェルは逃げを打てなかった。
大きな体に押しつぶされる。苦しみもがき、肩を掴んで押し返そうとするけれど、ラプンツェルを掻き抱くニーダーの力が強過ぎた。ラプンツェルは鋭く声を尖らせて抗議する。
「っ、ニーダー、ちょっと、あなた……!」
「死んじゃだめだ!」
抱きつぶさんばかりにラプンツェルを抱きしめて、ニーダーが喚いている。
「嫌いでもいい、傍にいて欲しいんだ! こんなところに、僕をひとりで、置いていかないで……」
語勢が弱まるに従って、腕の力も失せていく。ニーダーに抱きすくめられたまま、ラプンツェルも脱力していた。
これは、どういうことだろう。あのニーダー・ブレンネンが、たかが小娘に過ぎないラプンツェルに、泣いて縋りついているなんて。
(こんなところに、ひとり置いていかれて、怖かったのは……私なのに)
「……わたし、あなたが憎い。生きている限り、あなたの不幸を願い続ける」
ラプンツェルがそう言うと、ニーダーがのそりと頭をもたげた。いつもの、氷を掘ったような微笑が、今は見る影もない。泣き腫らした、酷い顔をしている。
ラプンツェルはごく自然に手を伸ばした。ニーダーの銀髪に触れる。髪質は思っていたよりも繊細で柔らかい。
(体温も高くて、毛も柔らかくて……立派な獅子なんかじゃない。目ヤニをつけてみーみー鳴いている、親に捨てられた子猫みたい)
自分の発想がおかしいとは思わなくもない。けれどラプンツェルには、恥も外聞もなく、ラプンツェルを求めるニーダーが、甘ったれた仔猫のように思えてならなかった。
ニーダーは母親を自殺で亡くしている筈だ。そのことと、ラプンツェルに対する執着は、何らかの因果関係をもつのかもしれない。
(名王が聞いて呆れる)
ニーダーを軽蔑する心と裏腹に、ラプンツェルは母のように優しく、ニーダーの髪を撫でていた。
小首を傾げるニーダーの子供じみた仕草に、ラプンツェルは心ひそかに苦笑する。ニーダーの目を真っ直ぐに見詰め、ゆっくりと彼の首に両腕を回す。
ニーダーは身構えることなく、ラプンツェルの抱擁を受け入れている。ラプンツェルが豹変して首を絞めても、ニーダーなら振り解くことなど容易いだろうから、それほど警戒する必要はないのかもしれない。でも、そんなことが理由ではない。ニーダーは無防備なのだ。ラプンツェルが自ら、ニーダーに手を伸ばしたことが嬉しくて。
ラプンツェルは微笑み、ニーダーの耳元で囁いた。
「そんな女でいいのなら、あなたの傍にいるわ」
その時のニーダーの顔と言ったら、傑作だった。見知らぬ街の雑踏で、ようやく母親を見つけた迷子のそれだった。
大きなこどもの頭を抱いて、ラプンツェルは凄惨な笑みを唇に刷いた。
(あなたの幼稚な愛とやらを、私の愛の為に、利用してあげる)
夜は静かにふけていく。ニーダーの安らぎを嘲笑いながら、新しい朝が訪れる。
次回から蜜月編です。ニーダーがデレデレします。ラプンツェルは、ニーダーが気持ち悪くてツンツンします。