疑う余地はない
ラプンツェルは、ニーダーにきつく抱きしめられた。鎖で繋ぐような、支配的な束縛ではない。迷子が縁を求めて縋りつくような抱擁だ。
振り解こうと思えば、振り払えただろう。ところが、ラプンツェルはニーダーの火のような腕の中から、逃げ出そうとしなかった。その必要がなかったからだ。
ラプンツェルは、ニーダーの正体を見破ったと思った。ニーダーは獅子のふりをしているけれど、その実態はもっとつまらない、無様なものだ。
ばかばかしくて、嫌になるくらいに。
「……なに、それ」
ラプンツェルが溜息交じりに言うと、ニーダーは体をひいた。ラプンツェルの顔を、恐る恐る覗き込む。ニーダーのかたい面の皮から、淡い希望がぼろぼろと剥がれ落ちた。
ニーダーが期待していたであろう、同情や憐憫を、ラプンツェルが一切見せなかったからだ。
ラプンツェルはニーダーを憎み、恐れていた。ニーダーが得体の知れない化物だったからだ。愛してくれと、縋りついて来るような、惨めな男なんて、恐れるに足らない。
ラプンツェルはニーダーが吐露した懊悩を、一笑に付した。
「あなたは傲慢よ。私に愛せと言うくせに、私を愛してない」
「愛しているさ、愛しているから! 君を手に入れる為なら、どんな罪深いことも厭わないんじゃないか!」
言葉を重ねれば重ねただけ、陳腐なものに成り下がって行くことを、ニーダーは自覚しない。ニーダーにつかまれ、軋んでいる肩をちらりと流し見て、ラプンツェルは吐息を漏らした。
心に響かなくても、体の痛みが喉を震わせる。ニーダーは途方に暮れたように長く重い息を吐いた。手がラプンツェルの肩から肘へ、ずるずると降りて行く。ニーダーは項垂れて言った。
「君を、傷つけたいわけじゃない」
「それでも、傷つけずにはいられないでしょ?」
「君が、私を嫌うからだ……君が私の許へ来てくれないから、強引に浚わなければならなかった。君が私に心をくれないから、心の拠り所を奪わざるを得なかった。君が私を嫌うから、君を傷つけるしかなかった」
勝手なことを言う。わがままを通そうとするこどもの言い分と大差ない。
ニーダーはラプンツェルを睨んでいたが、ラプンツェルが静かに見つめ返すと、たじろぎ、惨めそうに目を伏せた。
ラプンツェルは、どっと疲れを感じた。なるべく傷にさわらないように気を付けて、寝台に横たわる。ニーダーの視線が、躊躇いがちに追いかけて来るのを感じて、溜息とともに言った。
「あなたはおかしい」
ニーダーは心外だと眉を吊り上げた。
「おかしいのは君だ。なぜだ? 私の鞭に何も感じないのか? この焦りも、切なさも、愛しさも?」
笑わせないで、とすげなく切り捨てようとして、ラプンツェルは言い淀む。ニーダーの鞭には感情がのっていた。形振り構わず、ラプンツェルを欲していたことだけは、確かだった。
それでも、ニーダーは間違っている。ラプンツェルは目を閉じた。説き伏せることを放棄して、千篇一律の正論を述べる。
「愛されたいのなら、まず、愛するべきじゃない?」
「君を愛している」
ラプンツェルの耳の横に手をつき、ニーダーはラプンツェルを見下ろした。ニーダーに迷いは無い。すらすらと嘘をついているわけではなく、本気で、愛しているつもりなのだ。
ひょっとすると、思い込みでは無いのかもしれなかった。本当にニーダーは、ラプンツェルを愛している。ラプンツェルには理解不能だけれど、奪い追い詰める愛が、あり得ないとは言い切れない。
ラプンツェルは初めて、目の前の男の内心を慮り、少しだけ憐れんだ。
「それが本当なら、あなたの愛は、ひとを不幸にするのね」
ニーダーが瞠目し、息を呑む。ニーダーの感情の機微を見極めようとしながら、ラプンツェルはいつになく、落ち着き払っていた。
ニーダーの五指が、シーツに食い込む。握りしめた拳が、シーツとラプンツェルの髪をいっしょくたに握りこむ。ニーダーは搾り出したように言った。
「信じてくれないのか。君も……私をせめるのか」
ニーダーが固く握りしめた拳は、小刻みに震えている。だが、振りあげられる気配はない。震えは腕を這いあがり、肩から全身に波及する。声まで震わせて、ニーダーは続けた。
「私など、生れてこなければよかったと? すべて私が悪いのだと? 君まで、私を……」
言いきれずに、ニーダーは声を喉に詰まらせた。わなないた唇がきつく引き結ばれる。ぎゅっと眉根が寄せられた下で、目が真っ赤に充血していた。
涙をこらえていることが一目でわかるのだが、とても信じられずに、ラプンツェルは目をしばたいた。
ニーダーの目から横溢した涙が、睫毛に振り払われて零れ落ちる。大粒の滴はラプンツェルの頬にあたって砕けた。熱湯を垂らされたように、ラプンツェルの体が跳ねる。
(うそみたい)
平然と残虐非道を働く暴君が、ラプンツェルのたった一言で傷心するなんて、嘘のようだ。しかし、彼の涙に疑いの余地はないように思える。
ラプンツェルに愛を否定されることが、ニーダーにとっては、落涙せずにはいられない程、辛いようだ。
愛とするには、ひどく歪な感情だ。しかし、ニーダーがそれを愛と呼ぶのなら、それを疑って、否定してはいけない気がする。恐らくは、彼の聖域を土足で踏み荒らすことになるから。
ニーダーはラプンツェルの幸せを、土足で踏み荒らすどころか、滅茶苦茶に壊してしまった。そんな暴漢に遠慮するのは癪だが、ラプンツェルは譲歩した。
「……あなたが、本当に私を愛していると言うのなら」
あえてニーダーの目を見ずに言う。
「あなただけにして。他の誰かに押し付けないで。私を愛してるなら、あなたが私を壊してよ」
愛していると豪語するのなら、せめてその愛で押しつぶして欲しい。いくら壊れる為とは言え、単調に回転する歯車に噛ませるような、何も感じられない呵責は嫌だ。金輪際、無しにして欲しい。