夢であっても1
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心のありようは、体すら変えてしまう。
これまでは、気を失うまでの辛抱だと耐えてきた、規則正しい鞭うち。その負荷に、ラプンツェルはまいってしまった。
「お願い、少しでいいから、休ませて……もう、ダメ……死んじゃう……」
ラプンツェルは息も絶え絶えに、哀願する。歯ががちがち鳴っている。震えを自制できず、何度か舌を噛んでしまった。血は涎と混じり合い、口の周りを汚している。
覆面の騎士は動じない。沈黙が、ラプンツェルに追い打ちをかける。
「たすけて」
ラプンツェルは叫んだ。背に鞭が入る。膨らんだ肉の塊が爆ぜる。体を毟り取られる。ラプンツェルは助けを求めて叫び続けた。
「たすけて、たすけて、たすけて……」
助けは来ない。
ゴーテルはいない。家族はいない。ラプンツェルの為に、無条件で危険を冒してくれる人は、傍にいない。
城の親切なメイドたちや、ラプンツェルを守るのが仕事の騎士たちは、ラプンツェルの為に、ニーダーの命に背くことは無い。
ラプンツェルは、あの男の名前を呼ぶしかなかった。
「ニーダー……っ!」
ニーダーなら、ここに来るかもしれない。助けてくれるとしたら、ニーダーしかいない。ラプンツェルの愛を欲するのなら、ここに来るべきだ。ラプンツェルを鞭打ち、思いの丈をぶつけるべきだ。
「どうして来てくれないの。私のこと、どうでも良くなっちゃったの?」
そうだとしたら、おしまいだ。ニーダーが止めてくれるまで、この地獄は永遠に続くのだから。
ニーダーが嫌いだ。ニーダーが憎い。でも、ニーダーに来て欲しい。
相反する思いに心を引き裂かれながら、ラプンツェルは血を吐くように言った。
「ニーダー、会いたい、ニーダー……!」
こんなに呼び求めても、ニーダーは来なかった。失意のなか、ラプンツェルの意識は暗澹たる泥中に引き込まれていく。
折檻の末の気絶は、死の疑似体験だ。完全な無は、疲れ果てたラプンツェルを蠱惑してやまない。何も見えず、何も聞こえず、何も香らず、何も感じない。素晴らしい楽園だ。甘美な追想に耽る夢よりも、今のラプンツェルには優しい。
しかし、今回は違った。ふわふわしているけれど、意識がある。よく知る声が、ラプンツェルに語りかけてくる。耳に好ましい、懐かしい声色。
「姫様、姫様……」
「……ゴーテル」
子守唄のように優しい、ゴーテルの声だった。十年前に聞いたきりだけれど、ラプンツェルが聞き間違えるわけがない。ゴーテルと離れ離れになった十年間、毎晩のように、ゴーテルとの幸せな夢を見てきたのだから。
ゴーテルは、十年前とちっとも変らなくて、ラプンツェルは嬉しくなった。同時に、悲しくもなる。苦痛に潰れた喉から絞り出すしゃがれ声を、ゴーテルに聞かせてしまった。
ゴーテルは優しいから、変わり果てたラプンツェルを見ても、幻滅しないでくれるだろう。それでも、彼の記憶の中の、天真爛漫な少女のままでいたかった。ゴーテルはラプンツェルの幸せを何よりも願っていてくれる。このありさまを目の当たりにした嘆きは、深い筈だ。
ラプンツェルは痛みを堪え、ぐっと唾を呑んだ。ひび割れた唇を湿らせて、少しでも、可愛らしく話す努力をする。
「迎えに来てくれたんだ」
ラプンツェルは、死んでしまったのだろう。そして、先に逝っていたゴーテルが、迎えに来てくれた。ラプンツェルはそう信じた。
幾許かの悲しみはあるが、喜びの方が遥かに大きい。家族のことは心残りだけれど、生の世界に戻る気にはなれなかった。
(せっかく、ゴーテルと会えた。もうはなれたくない)
薄情だと、憎まれても良い。戻っても、待っているのは意味の無い苦痛の日々だけ。とても耐えられそうにない。壊れてしまうに決まってる。
しかし、ゴーテルの思いは違った。




