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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第二十一話 勇敢な女の子
214/227

勇敢な女の子1

 マーシュはレイとヘズと連れ立って銀の崖に足を運ぶことになった。ヘズは来た道をちゃんと覚えていると言ったけれど、マーシュが近道を知っていると言うと「そりゃあ良い。道案内は任せた」と言ったので、マーシュは先導を請け合った。


 銀の崖へ赴く道すがら、レイはきょろきょろと周囲を見回していた。鈴生りの観衆の前で躍りを披露する踊り子や風にはためく三角旗、路地を悠々と練り歩く野良猫や屋根にとまって囀ずる小鳥。それらに目をとめて指差しては、歓声を上げてはしゃぐ。


 小さなこどもは見るもの聞くものすべてに興味をもつものであるけれど、レイにも同じことが言えるらしい。見るもの聞くものすべてがレイを楽しませたようだ。


 ヘズはレイの袖を引きながら、口辺に微笑を絶やさず、レイの指差す先に目を向けては相槌を打ってやっていた。ことごとに足を止めそうになるレイを、ヘズは上手に誘導して、遅れることなく歩かせる。レイのあしらいならお手の物なのだろう。


 マーシュは感心していたのだけれど、野良猫とすれ違うとき


「おっ! 猫ちゃん、猫ちゃん! お仲間だぞ、お仲間!ちゃんとご挨拶しろよな」


 なんて、ヘズが軽口を叩くものだから、マーシュは臍を曲げて


(あんなおちゃらけ者のことなんか、心の中でだって褒めてやるもんか)


 と心に誓う。

 マーシュは野良猫に倣い、ヘズの声が聞こえないふりをした。ところがレイが


「どちらも可愛いらしいね」


 なんて言ってくすくす笑うものだから、知らんぷりをすることに失敗して噎せてしまう。レイはマーシュを心配してくれたけれど、それはそれで決まりが悪いから、聞こえないふりをした。


マーシュが振り返らずにいると、ヘズがレイに声をかけた。冗談を言ってレイを笑わせる。マーシュに相手にされず、戸惑うレイの気を逸らす為に、そうしたのだろう。まるでむずがる赤ん坊をあやすかのように、ヘズはレイの世話を焼く。


 ヘズはレイのお目付けを自称していたけれど、これではお目付けではなく子守りのようだ、とマーシュは思う。口に出すことはしなかったけれど、顔には出たかもしれない。だとしても、マーシュは振り返らなかったので、二人は気づかなかったと思う。


 銀の崖に到着すると、三人で手分けして八方を探したけれど、何処にも金釦は見当たらない。蜜蜂の群れを刺激しないよう細心の注意を払いつつ、シャクナゲの木の根本までそろそろと這って行って、草叢に頭を突っ込み、草の根を掻き分けて探した。そこまでしたのに、見つからない。


 マーシュは四つん這いのままじりじりと後退り、シャクナゲの木から十分に距離をとってから、やおら立ち上がった。スカートにべったりと付着した泥と草汁の染みが目につく。マーシュは鋭く舌打ちをして振り返った。


断崖上の縁、ぎりぎりのところでは、四つん這いになったヘズが一心不乱に金釦を探している。マーシュはヘズのもとへつかつかと近づいて行った。腕組をしてヘズを見下ろすと、ヘズが顔を上げたので、顎をしゃくって銀の水海を指して言った。


「銀の水海に落っことしたってことは?」

「ないとは言い切れんなぁ」


 などと呑気なことを言いながら、ヘズは立ち上がる。両手を打ち合わせて土埃を払い、後頭部を掻きながら「弱った弱った」とへらりと笑った。まるで他人事のような言い種にかちんときて、マーシュは噛みついた。


「なげやりな言い方。感じ悪いね」

「とは言ってもなぁ。わからんだろう、実際。……おっとぉ、まずい。猫ちゃんが怒ってる。 頼むから、ここは堪えてくれよ。引っ掻かれて、びっくりして足を滑らせて、銀の水海に落っこちた! なんてことになったら洒落にならん」

「その、猫ちゃんって言うの、やめた方が良い。銀の水海に落っことされたくないなら」

「もちろん! そんなにかっかしなさんなってぇ。短気は損気って言うんだ、聞いたことないか? んん? さっきの猫ちゃんは教えてくれなかった?」


 ヘズはマーシュをおちょくって遊んでいる。額にむくむくと青筋を這わせるマーシュの顔を覗きこんで、わっはっはと笑っている。


(腹立つなぁ)


 マーシュはヘズの胸倉を掴んで引き寄せた。額を寄せてみても、ヘズはけたけたと笑っている。「うひゃあ! 怖い、怖い!」なんてふざけているから、苛立ちが募る。


「銀の水海に落っこちても、そうして、ふざけて笑っていられるかな? 試してみる?」


 マーシュはヘズの口許を凝視する。口唇は完璧な弧を描いている。ほんの僅かな動揺もあらわれない。かなり凄んでいるつもりだが、ヘズは肝がすわっている。


これがトッジやキールだったら、震え上がっていただろうに。ヘズは怯えるどころか、黒い硝子の奥から、マーシュを観察しているようだ。マーシュの瞳の奥の底を覗きこもうとするかのような視線を感じる。居心地がわるくて、マーシュは体をゆすった。


(こいつはなかなか、煮ても焼いても食えないやつだ)


 マーシュが唸りながらヘズを睨み付けていると、レイがぱたぱたと駆け寄って来た。「こっちはおれが探すから、あなたはそっちを探して」とヘズに指図されて、危険な断崖上の縁から遠ざけられていたレイだったけれど、離れていてもヘズの危機を察知したらしい。


 レイはマーシュとヘズの間に割って入ると、ヘズの胸倉を掴むマーシュの手をやんわりと握った。たったそれだけのことで、マーシュは熱いものに触れたかのように手を引っ込める。レイは不思議そうに小首を傾げたけれど、追及することはせず、申し訳なさそうに首を竦めて、マーシュとヘズの顔を交互に見て言った。


「二人とも、僕の不始末に巻き込んでしまって、ごめんよ」

「いいってことよ。誰しもが皆、間違いを犯すんだ。そうだろ?」


 ヘズはレイの肩に腕を回すと、レイに頬を寄せて笑いかける。レイは「そうか。僕がそう言ったんだった」と応えてヘズと微笑を交わす。それから、神妙な顔をしてマーシュの目を真っ直ぐに見つめた。


「厄介事に付き合わせてしまってすまない。悪いのは僕なんだ。ヘズは悪くないんだよ。わかってくれるかい?」


 マーシュはぐっと言葉に詰まった。確かに、金釦を無くしたのはレイの落ち度なのだろうけれど、マーシュがレイに謝罪される義理はない。もとをただせば、借りを返す為に金釦を探す手伝いをすると言い出したのはマーシュなのだし。

 マーシュは渋々首肯いた。


「別に……わたし、怒ってないから」

「そう? よかった」


 マーシュは苦虫を噛み潰したような表情をしていただろう。それでも、レイは愁眉をひらいてくれたから、マーシュの癇癪玉は毒気を抜かれてしゅるしゅると萎んでしまった。


 とは言え、ヘズの傍にいるとまたからかわれて、またまた腹を立ててしまいそうだったから、マーシュは断崖と反対側にある草叢に戻るレイの後についていくことにした。レイに「こちらを手伝ってくれるのかい?」と訊ねられたのでこっくり首肯く。レイはにこにこして「ありがとう」と言った。ヘズの視線を強く感じたけれど、レイは気付いていないようだったから、マーシュも気付かないふりをした。


 二人で草叢を捜索していても、ヘズの視線はしつこい羽虫のようにまとわりついて離れない。ヘズの言う通り、草の根を別けて探しているのだから、文句をつけられる謂れは無いのだけれど。もしかしたら、マーシュがヘズにしたように、レイの胸倉を掴むのではないかと警戒しているのかもしれないけれど。


(お生憎様。わたしは誰彼の見境なしに、喧嘩をふっかけたりしないんだ)


 傍目から見ると、マーシュは確かに、短気で粗野な振る舞いをする乱暴者なのだろう。マーシュにはマーシュの信じる人道がある。レイに乱暴を働くことは、間違いなく、マーシュの人道に悖る行為にあたる。そんなことをしてはいけないし、するつもりもない。


 しばらくの間、マーシュとレイは四つん這いになって、金釦の捜索に勤しんでいた。しかし、一向に見つからない。


 時々、レイが「これを見てご覧!」とうきうきして近寄ってくるので、その都度、金釦が見つかったのかと期待するのだけれど、レイが両手の器にのせて運んでくるのは、レイ曰く「可愛い木の実や綺麗な花や不思議な茸」ばかりである。そんなことが四度も繰り返されるとマーシュはうんざりしてしまった。レイが「宝探し」の成果を披露したがって、マーシュのすぐ傍でそわそわしていても、見て見ぬふりをした。だって、鬱陶しいから。


 相変わらずヘズの視線を感じるが、ヘズに助け船を出すつもりがないことくらい、笑みを噛み殺して歪む口許を見ればわかる。マーシュの我慢が限界に達して「遊んでいるなら、金釦探しの邪魔だから、お邸に帰ってくれないかな!?」とレイを怒鳴り付けてしまうのは、もはや時間の問題だ。


 マーシュは深く嘆息して上体を起こす。隣で座り込むレイの様子を盗み見る。レイは小さな青い茸の笠を陽の光に透かしてみながら、目をきらきらと輝かせていた。様々な角度かは眺め回し満足すると、チュニックのポケットにいそいそと詰め込む。四つのポケットはいつの間にか、欲張りなリスの頬嚢のように、ぱんぱんに膨らんでいた。


 レイがマーシュの視線に気がついて顔をあげたので、マーシュはわざと

 目をそらして断崖の方を見た。それはレイの前で、もう一度、深く嘆息する所作の代わりに過ぎない。マーシュは千切って投げるように言った。


「あんた達、草の根を別けても金釦を探し出さなきゃって、口ではそう言うけど、どうせ、本気じゃないんでしょう。 金釦探しそっちのけで、さっきは二人して王都観光と洒落こんでいたし、今度は宝探しに夢中になっているし。本当は金釦なんてどうでも良いんじゃない?」


 レイは虚をつかれたように両目を瞬かせた。


「え? 宝探し? なんのことだい?」

「なんのことって……今さっき、あんたが夢中になってやっていることだよ」


 マーシュはレイのポケットを指差す。レイはしばらくの間きょとんとしてから、ぽんと手を打った。


「ああ! なるほど、そう言うことか! 宝探し……宝探しかぁ。良いね。君の言葉の選択はとても良い。気に入った」


 言い終わらないうちに、レイはくすくす笑いの発作を起こす。マーシュが顰蹙していることに気がつくと、咳払いをひとつして、微笑みで取り繕おうとした。


「ごめん、ごめんよ。君を侮辱する意図で、笑ったのではないんだ。なんだか楽しくて。不快にさせてしまったのなら謝罪しよう」


 マーシュはそれには応えずに、ただむっつりとレイを見つめる。何がそんなに面白いのか、さっぱりわからない。けれど、レイの言葉に嘘偽りはないのだろうと信じることは出来るから、マーシュはレイの胸倉を掴むような乱暴な真似はしなかった。マーシュがだんまりを決め込んでいると、レイははっとしたように息をのみ、大きな体を縮めて、上目遣いにマーシュの目を見つめた。


「この謝罪ではまだ不十分だね。君が真剣に金釦を探してくれているのに、金釦を失くしてしまった張本人であるこの僕が宝探しにうつつを抜かすのは、とんでもない無礼だった。見るもの聞くもの、何もかも珍しくて、興味が深くて、つい……言い訳をするのは潔くないな。すまない。これからは僕も真剣に金釦を探す。うん、そうする。努力する」


 レイの謝罪はその場凌ぎのものではなく、心からのものだと思えた。マーシュは「わかってくれたなら良いんだ」と言うかわりにちょっと顎を引いて首肯いて見せる。赦しを得られたことで、レイは目に見えて安堵した。それから、忘れ物を思い出したかのように調子高に付け加える。


「ただ、君はひとつ、思い違いをしているよ。僕達は、王都を夢中遊行していたんじゃなくて、君を探していたんだ」


 マーシュは目をぱちくりさせた。「ヘズは僕のように、本来の目的をうっかり忘れてしまうなんてことはしないんだ」とヘズを擁護するレイの言葉を聞き流しながら、マーシュは思考を巡らせる。


(レイとヘズがわたしを探していた?)


 金釦探しがその理由なのだろうか。あの場に居合わせたマーシュなら何か知っているかもしれないと期待して、二人はマーシュを探していたのだろうか。


「……闇雲に探し回って、わたしを見つけたの? 何て言うか、あんた達……ついているね。本当、よくやるよ」


 と言うより、よくやったのヘズの方だろう。よくもまあ、よちよち歩きの幼児みたいなレイを連れて、何処の誰とも知れないマーシュを探し王都をうろうろするなんて無茶をするものである。レイはマーシュの呆れ顔をしげしげと見つめている。膨らんだポケットを撫でて考え込むようにしていたレイが、ぽつりと呟いた。


「矢張り……あの人影の正体は、君ではなかったんだね」


 出し抜けにそう言われても、マーシュには何のことやら、さっぱり見当がつかない。「あの人影」とは?


 マーシュの疑問は口にするまでもなく顔に出ていたらしい。レイは順を追って説明してくれた。


「金釦を探す為に僕らがあの場所を訪れると、あの石楠花の木陰から人影がぱっと飛び出して、僕らに背を向けて走り去ったんだ。僕らはその人影を追いかけて、ここまで来た。だけど、途中で見失ってしまってね。困っていたところで、僕は君を見つけたんだよ」

「それで、その人影の正体が、わたしじゃないかって?」

「うん。でも、人違いだった」


 もちろん、そうだ。とマーシュはこくこくと首肯く。もちろん、そうだろうね。とレイも首肯く。そこで、雲でも出たのか、彼の微笑みに影が射した。違う、雲ではない。ヘズがレイの背後に立っていて、マーシュを見下ろしている。


 薄ら笑いを浮かべたヘズの唇がもったいつけるようにゆっくりと開いた。


「そう言うこと。俺はその何者かが、彼の金釦を拾って、持ち去ったんだろうと踏んでいるのさ。あんな場所でひとり、草叢に屈みこんで何かごそごそやっているかと思えば、俺達の姿を見た途端に、脱兎のごとく逃げ出した。どう考えても怪しいだろう。なぁ?」


 マーシュは目を丸くした。レイもまた目を丸くしている。ヘズを見上げる顔には「そうだったのかい?」と大きく書いてある。


 これで合点がいった。ヘズはマーシュがお金目当てで、金釦を持ち去った犯人ではないかと疑っているのだ。だから、金釦は金目の物ではないとか、金釦を返してくれればお礼は弾むとか、お金に関することばかりを矢鱈と強調した。


 痛くもない腹を探られて、怒り心頭に発するところを、マーシュはなんとか思いとどまった。


 ヘズがマーシュを疑うのは、レイとヘズを見掛けたとき、マーシュがシャクナゲの木影に隠れていたからだろう。あれで、こそこそしている怪しい奴だと印象付けてしまったに違いない。ならば、マーシュにも落ち度がある。


 マーシュは腹の底から突き上げてくる、恫喝や罵倒、皮肉や嫌味を悉く噛み殺してから、口を開く。


「わたしじゃないから」


 と、一言を吐き捨てるのがやっとだった。すかさず、レイが口を挟む。


「彼女が嘘をついているとは思えない」


 マーシュは瞠目した。レイがヘズの意に逆らって、マーシュの肩をもってくれるとは思わなかった。マーシュは、レイはヘズの言うなりになるものだとばかり、思っていたのに。


 ヘズに視線を向けると、ヘズの口許がむずむずしているような気がした。レイの意見に異議を唱えようとしたのかもしれない。しかし、レイは先手を打ってそれを封じた。


「そう言うことなら、為すべきことは金釦探しではなくて、金釦を持ち去った犯人探しということになる」


 レイはきっぱりと断言する。反論を許さない口調は、専断に慣れた支配階級のそれだった。おっとりとしていて、偉ぶったところのないレイだけれど、そうであっても矢張り、お貴族様のご子息なのだ。そのことを、マーシュは思い出した。


 ヘズは黒い硝子の奥から、レイではなく、何故かマーシュを見つめているようだった。マーシュが落ち着きを無くしはじめた頃、ヘズはひょいと肩を竦めて言った。


「まぁ、そうかな。そうなるのかもしれない」


 レイの手前、ヘズはあっさりと折れた。でもきっと、マーシュにかけられた嫌疑はまだ晴れていない。ヘズがしつこく、マーシュを猫呼ばわりするのは、泥棒猫とかけているのかもしれないと、勘繰りたくもなる。泥棒猫と決めつけられるのは癪だ。


 マーシュの無実を証明する手っ取り早い方法は、金釦を持ち去ったのが何者なのか、突き止めることだろう。


 マーシュは考える。そもそも、銀の崖の上にあるここはマーシュの秘密の場所だ。マーシュは四年前から頻繁にこの場所を訪れているけれど、今朝レイとヘズと出会うまではただの一度も、ここで誰かと鉢合わせになったことはない。ここへ続く山道に、自分ではない誰かが通った痕跡を見つけたことさえ無かった。


「……ゾールさんの奥さん?」


 マーシュはひとりごちる。


 今朝、ゾールさんの奥さんと顔を合わせたくなくて、水桶を放り出して走り去ったマーシュを尾行して、ここに辿り着いたのではないか? お金にがめついゾールさんの奥さんなら、ピカピカの金釦を喜んで持ち帰るだろうか。


(いや……それはないか)


 ゾールさんの奥さんがお腹回りにたっぷりと蓄えた肥肉を揺らして、マーシュの俊足に食らいついたとは考えにくい。


 と、母さんが聞いたら「まぁ、マーシュ。なんて失礼なことを言うの」とマーシュを叱るであろう思考を経て、マーシュはそう結論付ける。


(うーん……わかんないや)


 マーシュがうんうんと唸っていると、抜け目のないヘズがマーシュの落とした独り言を拾い上げた。


「ゾールさんの奥さんって?」

「……クルスとロダンの母親。今朝、ここに来る直前に見かけたから、もしかしたらと思ったんだけど、でも、やっぱり違うと思う。だから、気にしないで」


 マーシュはそう言って、早々に話を切り上げようとしたのだけれど、ヘズは構わず話を続ける。


「あの不良の母親か。金髪の美女なんだろうな?」

「……ゾールさんの奥さんは金髪じゃない」

「あいつの母親は金髪だろう?」

「……知らない。ゾールさんの奥さんは、金髪じゃない」

「あいつは孤児なのか?」

「……クルスもロダンも、ゾールさんのこどもだよ」

「ほう。ロダンの方は、ゾールさんの奥方のこどもなんだな」


 マーシュはおずおずと首肯く。矢継ぎ早に繰り出される質問に愚直に答えているうちに、自分がとてつもなく口が軽い、軽薄で軽率な粗忽者に成り下がってゆくようで、だんだん話すのが恐ろしくなってきた。


出来ることなら、両手で口許を覆って沈黙を守りたかったのだけれど、そうする前に、ヘズは既にマーシュから聞き出したいことをすっかり聞き出してしまったらしい。ヘズは訳知り顔で口角を上げた。


「なるほどね。ゾールさんの奥方は、あいつの養母なんだな。亭主が金髪女に産ませたこどもを、自分の息子の兄として育てていると言うわけか。なんともまぁ……殊勝なご婦人だ」

「あんた……なんなの、さっきから。金髪の女に何か恨みでも、あ……っ!」


 マーシュが思わず言葉に詰まったのは、腹に一物あるといったヘズの態度が気に入らず、詰め寄ろう立ち上がったとき、草露に足を滑らせたからだった。前傾する体を、すっくと立ち上がったレイが抱きとめてくれなければ、マーシュは自らの足元を掬った草露を味わう羽目になっていただろう。


「おっとっと……危ないところだった。君、大丈夫かい?」


 咄嗟にすがるものを求めた手が、レイの二の腕あたりをぎゅっと掴んでいる。かすかな手応えとともに、びりびりと何かが裂ける音がした。レイの胸に埋めていた顔を恐る恐る上げる。音のした方へ目をやったとたん、マーシュの顔から血の気が引いた。


 レイが着ているチュニックは、袖山のあたりが大きく裂けてしまっていた。馬鹿力のマーシュが加減せず引っ張ったせいだ。


(やった……やっちゃった、やらかした!)


 マーシュは両腕を突っ張って、レイを突き放すようにして体をはなした。その勢いのまま、ぐいと頭を下げる。


「ご、ご、ごめん、な、さい」


 吃ってしまった。レイは腰を落として、マーシュの顔を覗きこもうとするので、マーシュはさらに深々と頭を下げる。レイは狼狽えた声を出した。


「大丈夫、大丈夫! 君に怪我がなくて何よりだ。ヘズはこんなことで怒ったりしないよ、ね?」

「もちろん。猫ちゃんや、おれはちっとも怒っていないから、気に病むことはないぞ。ああ『なんで、あんたがそんなこと、勝手に決めるの!? 彼の上着なのに!』とかなんとか怒鳴られそうだから、先回りして言っておく。それ、彼のじゃなくて、おれのだから」


 マーシュは顔を上げた。たっぷりと呆けてから、マーシュは長く重い溜め息をついた。また早とちりして、空回りした。今日はそればかりだ。


 この場合、チュニックを破いてしまった事実は変わらないのだから、本来の持ち主であるヘズに謝るべきだろう。しかし、その場にへたりこんだマーシュの旋毛を見下ろして、にやにやしながら


「おやおや? なんだ、どうした? 尻尾踏まれた猫みたいにふぎゃー! って驚くところ、もう見せてくれないのか?」


 なんて揶揄してくる意地悪な男の子に、頭を下げるなんて真平ごめんである。マーシュはぷいと顔を背けた。

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