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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第二十一話 勇敢な女の子
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お伽噺の王子様2

 

「へぇ……そうかい。ははっ、女の手前、格好をつけなきゃならねぇってか? 王子様も大変だねぇ」


 怒りに燃える瞳に冷笑を含ませて、クルスはレイを嘲る。目をぱちくりさせて小首を傾げるレイは底抜けに無邪気で無防備で、危なっかしい。マーシュは頭を抱えた。


(本気? 本気で、殴り合いの喧嘩を請け合うつもり? )


 マーシュがレイを見つめると、レイは見つめられていることにすぐに気が付いた。レイもまたマーシュを見つめて、にっこりと微笑む。

レイはマーシュの視線には気付いてくれたけれど、物言いたげというか、気掛かりを含んだ表情には気付いてくれない。レイの暢気な微笑みを見ていてもはらはらする。


 レイは「幼い頃から武芸を習学してきた」と言う。貴族のことも武芸のことも、マーシュにはわからない。でも、喧嘩と武芸は違うと思う。


 レイご自慢の「日々の研鑽の蓄積」がどの程度かは知らないけれど、はたしてそれを殴り合いの喧嘩で生かせるだろうか。


 マーシュは、喧嘩は暴力の場数を踏んでいる方が有利だと考える。武芸とは、戦場で戦う為に訓練する技芸を指す、らしい。決まり事に則って、お行儀よく鹿爪らしく、型通りの技芸を磨くのだろう。それは、訓練であって実戦ではない。


 実戦には決まり事なんて存在しない。どちらかの心が折れて勝敗が決するまて、只管、傷つけ合うだけだ。おっとりとして気持ちの優しいレイに、情け容赦なく他人を痛め付けることが出来るとは思えない。


 マーシュの心配を余所にして、レイは余裕綽々たる態度で帽子越しにマーシュの頭を撫でる。「大丈夫、大丈夫」とレイは自信満々に胸を張るけれど、その自信が根拠の上に立っているのか、いまひとつ信用ならない。やはり、マーシュも加勢するべきだろう。


 マーシュの頭をよしよしと撫でるレイの手をマーシュは振り払う。レイの苦笑から目を逸らして溜め息をついた。拳をぎゅっと握る。


 レイはマーシュと女の子に微笑みかけると、足を踏み変えてふたりに背を向けた。クルス達と対峙するレイの隣に並ぶべく、一歩を踏み出そうとして、マーシュははたと気が付いた。


(……んん? レイが連中の注意をひきつけてくれているこの隙に……女の子のハンカチを取り返せるんじゃない?)


 レイの突拍子もない言動にすっかり翻弄されてしまって、そもそもの目的を忘れるところだった。そう、マーシュの目的は女の子のハンカチを取り戻してあげることなのだ。


 マーシュは女の子の袖を引き「さがっていて」と耳打ちする。女の子は戸惑いながらもこくんと頷き、マーシュの言う通りにしてくれた。


 よし、とひとつ頷いて、マーシュはレイ達のいる方へとくるりと向き直る。さりげなく、且つ素早く、視線を巡らせた。


 レイとクルスは正面から向かい合っていて、そのすぐ後ろにはトッジがいる。キールは用心深く距離をとっている。ハンカチをクルスから託されたロダンは四阿の奥に引っ込んでいる。でも、きっと、女の子のハンカチのことなんか、もう、ロダンの頭からはすっぽりと抜け落ちているに違いない。ハンカチがロダンの手から滑り落ちて、膝の上に落ちているのが、何よりの証拠である。大股で四歩分。たぶん、それくらいの距離だ。


(いける……いけるよ! クルスがレイに気をとられている今なら、うまくやれば、ハンカチを取り返せる!)


 ハンカチさえ取り戻してしまえばこちらのものだ。思う存分暴れられる。レイが戦えるなら一対一に持ち込めるし、もし、レイが足手纏いになるようなら、すっこんでいろと喝破しても良い。そもそも、マーシュはレイをあてにしてはいない。もともと、ひとりでロダンとトッジを相手に大立ち回りを演ずるつもりだった。


 そうと決まれば、善は急げである。マーシュはなるべく目立たないように細心の注意を払いながら一歩前に踏み出す。すると、憎々しそうにレイを睨み付けていたクルスの鋭い視線が流れ矢のようにマーシュに突き刺さった。


 マーシュの総身は緊張でかちんこちんに強張る。クルスはマーシュの胡乱な動きを見て、猜疑心を研ぎ澄ませているようだ。クルスは言った。


「なんだ、マーシュよ。こそこそ、うろちょろしやがって、まるでドブネズミだぜ。品性の卑しい養い親に倣ってンのか? それとも、そりゃあ、生まれつきの賎しさかね?」


 クルスのせせら笑いに拳を叩き込みたい衝動は抑えがたいものがある。怒りに我を忘れてクルスに飛びかかってしまえば、クルスの思う壺なのだと、わかっていても、癪の虫は思うようにならない。


「……なんだって? もういっぺん言ってみなよ。たっぷり後悔させてやるから」


 マーシュは地を這うような低い声で凄んでみる。しかし、クルスには鼻であしらわれてしまった。マーシュの堪忍袋の緒は限界まではりつめていて、今にも切れそうだ。


 歯ぎしりしながら拳を震わせるマーシュと、そんなマーシュの葛藤と苦悶をにやにやして眺めているクルス。ふたりの視線がぶつかり合って、火花を散らす。


 ふたりの睨み合いにレイが割ってはいってきた。マーシュを背に庇うようにして、クルスを真正面から見据え、朗々と声を張り上げる。


「やめるんだ、クルス! どうして、そんな、酷い悪口を言うんだい? 君は露悪家なのか? 相手の一挙手一投足を悉くあげつらって……上手に意地悪したところで、誰の為にもならない。君自身の為にもね。そんなことは虚しいだけじゃないか。君のその利発さは、善き行いの為に活かすべきだ」


 レイの主張は、そのまままるごと道徳の講釈に置き換えられそうな、立派なものだ。マーシュは道徳の講釈なんて見たことも聞いたこともないけれど、学舎に通うクルスには馴染みのあるものなのではないだろうか。


 眉をしかめて頬を歪めたクルスの嘲笑は、彫り刻まれでもしたかのようにぴくりともしなかった。しかし、白い額にむくむくと浮かび上がる青筋は誤魔化しようもない。クルスと向き合うレイの真摯な瞳を見返して、クルスは冷淡な声色をつかって言い捨てた。


「気味の悪い目だな。まるで悪魔の……いや、人喰いのそれだぜ」


 クルスの悪意をぶつけられて、レイは目を見開いた。燃え盛る炎のような瞳が揺らぐ。ぱちぱちとせわしなく瞬きをする。櫛比する睫毛が青みを帯びた影を落とした。


 レイの心が傷つけられていた。それを察したとき、マーシュの心臓は見えない手に鷲掴みにされたかのように縮み上がった。


 初めてレイの瞳を見たとき、マーシュもクルスと同じことを考えていた。レイの稀有な瞳を、不吉なものだと決めつけて、怯えていたのだ。


 クルスと違って、マーシュはその考えを心に留めておいて、口には出さなかった。それでも、クルスがレイの瞳の色彩を揶揄することでレイの心が傷ついたのなら、マーシュもクルスと同罪だ。


 クルスの「酷い悪口」に、レイはすぐには言い返さなかった。黙りこくっていた。異物を噛んだ歯車のように、不自然に静止している。クルスの悪意を、どのように受け止めて良いかわからずに、途方に暮れているような。


 しばらくしてから、レイは目を伏せる。瞼が震えていた。


(えっ!? もしかして、レイ、泣いちゃう!? うそ……どうしよう!?)


 マーシュは狼狽えた。もうすぐ十二才になる男の子が人前で涙を見せるなんてことは、まずあり得ないことである。でも、レイにはマーシュの「当たり前」が一切通用しないから、レイがわっと泣き出しても不思議ではないとマーシュは考えた。


(どうしよう……レイが泣いていたら、どうしよう!?)


 レイはマーシュと女の子が苛められること、マーシュの父さんと母さんが侮辱されることをよしとせず、庇ってくれた。そうすることでクルスに貶されても、顔色ひとつ変えなかった。クルスに罵倒されても、クルスを口汚く罵ることはなかった。


 そのおおらかなレイが、瞳の色を揶揄された途端に、顔色を変えたのである。マーシュが母さんと父さんを侮辱されることが我慢ならないように、レイは瞳の色を揶揄されることが我慢ならないのだろう。


 マーシュは右往左往するばかりだった。本当は、レイがしてくれたように、レイを庇ってあげたいし、クルスを糾弾してやりたい。「レイの瞳の色は何もおかしくない。おかしいのは、そうやって他人を貶さずにはいられない、クルス、あんたの方でしょうが」とかなんとか言ってやりたい。


 でも、それが出来なかった。レイの目を「人喰いの目」だと思ってしまったマーシュが奇麗事を並べ立てたところで、白々しいだけだから。


 ややあって、珠を包んだような深い瞼が割れる。レイの目がクルスを捉える。切れ上がった瞼の間から覗く瞳の色が変わっていた。


「……この目は父と母より賜ったものだ。それを侮辱することは僕の父母への侮辱にあたる。今の言葉、撤回してもらおう。君が承知しなければ、この場で決闘を申し込む。父母を侮辱されて、おめおめと引きさがるわけにはいかない」


 マーシュはハッと息をのむ。レイは声を荒らげたり、泣きわめいたりして、取り乱さなかった。彼の総身、頭のてっぺんから爪先まで闘志をみなぎらせている。瞳の奥に火が点いていた。


「……ハハッ! その目付き! やっぱりそうだ、人喰いの目だ!」


 クルスの嘲笑はひきつっている。レイは躊躇いなくクルスとの間合いを詰める。怖いもの知らずを気取っているトッジは虚勢を張ることを忘れて後退りした。クルスは動かなかった。と言うより、動けなかったのだろう。マーシュと同じく、レイの迫力に圧倒されていた。


 レイの手がクルスの右手首を掴もうとした。それを見ていたロダンは跳ねるように立ち上り、猪のようにレイめがけて突進する。かたく握った拳を振り翳した。


 ちょうどその時。視界の端で影が動いた。それは四阿の屋根から飛び降りた。影のように身に纏う黒い外套の裾が、皮膜の翼のように広がった。それはクルスの背後に、猫のように着地した。そうして、クルスの背に飛びつくと、背後から羽交い締めにした。クルスがわっとおめいた。


 ロダンが振り返る。クルスとロダンは、兄弟揃って、驚愕に顔を歪めていた。ロダンの拳が虚空を掴む。余勢を殺しきれなかったロダンの足は縺れて、つんのめって、レイの足元に平伏すようにして倒れる。クルスを捕らえた彼は、その無様な様子を見下ろしているようだ。本当のところはわからない。彼の瞳は真っ黒な硝子の向こうに隠されている。どれだけ凝視しても、目許を覆い隠す仮面の表面を滑り落ちてしまう。彼の口許に視線を落とすと、薄くて小さな唇がかすかに息を吐いた。


「そのひとに傷ひとつでもつけてみろ」


 彼は言った。吐息にちょこっとひっかけたような、掠れた声だ。それなのに、不思議とよく通る。


 この声は知っている。けれど、この声がこうして話すことを、マーシュは知らなかった。


 抑揚のない言葉を紡ぐ唇の端を吊り上げて、彼は言った。


「お前らの人生、滅茶苦茶にしてやるからな」


 次の瞬間、クルスが声にならない悲鳴を上げた。しかし抵抗は出来ない。へたに動いたら小刀に目を突かれてしまうかもしれないからだ。


 頭巾を深く被った彼の顔は真っ黒な影にのまれている。目の部分に嵌め込まれた黒硝子が猫の目のようにあやしく光った。


 ヘズだった。ヘズは右手に小刀の柄を握っていて、その切先を、クルスの右目に突き付けている。


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