似ている?
ラプンツェルは腕を組んで体を落ち着ける。視線を斜め下に流し、皮肉をこめて言った。
「ここ最近、ニーダーに会ってないからね」
「そうか……それは、寂しいな」
予想外の言葉を返されて、ラプンツェルは口ごもる。言葉の意味をなんとか飲み込むと、眦がつり上がった。
「おかしなことを言うね」
「ニーダーと会えないと、寂しいだろ」
「とんでもない。あんな恐ろしい男を、誰が恋しがるっていうの」
「ニーダーを怒らせるからだ」
ノヂシャは抑揚なく言った。優しい愛撫で小鳥をうっとりさせながら、淡々と言葉を紡ぐ。
「彼の言うことをよくきけ、ラプンツェル。そうすれば、誉めてくれるし、ご褒美もくれる。良い子にしてれば、ニーダーは優しいんだ。きっと、好きになれるさ」
ラプンツェルは自身の体を抱きしめて、あとずさりした。鳥肌がたっている。何も考えられず、ラプンツェルは喚いた。
「嫌い。ニーダーなんて、大嫌い!」
ラプンツェルの大声に驚き、のけぞったノヂシャの背が、バルコニーの欄干にぶつかる。ノヂシャはぐっと呻き、弾かれるように前かがみになる。眉を顰め、浅い呼吸を繰り返した。
辛そうな様子を心配して、ラプンツェルが声をかける。ノヂシャは、なんでもない、と頭を横に振った。ついで、首を傾げる。
「……ニーダーが嫌いなんだ?……俺は好きだけど」
ラプンツェルは即座に反駁しようとした。けれど、なんの気負いもない、真っ直ぐなノヂシャの目を見つめるうちに、怖くなってしまった。
ぞっとする。ニーダーはおぞましい。ひとの心を、傀儡にしてしまった。
ノヂシャに、目を覚まして欲しい。けれど、土台、無理なはなしだ。ノヂシャはマリアとヨハンを作りなおすことで、辛うじて心の安寧を保っている。その微妙なバランスを崩したら、ノヂシャはきっと壊れてしまう。
それでも、屈託なくニーダーを慕うノヂシャを、見ていられない。ラプンツェルは声を荒げた。
「あれは、酷い男よ。ニーダーは私の家族を殺した!」
「そうだったっけ」
ノヂシャの首肯には、何の感慨もない。心乱れるラプンツェルを、不思議そうに見つめる碧眼は、肩の上の小鳥の瞳とよく似ている。理解の灯りがともらない。
ラプンツェルは口を噤んだ。これ以上、何を言っても無駄だ。ノヂシャの心には届かない。ノヂシャはきっと、よく躾けられた犬とかわらない。主人の意向に忠実で、主人を盲信する犬。ひょっとすると、ノヂシャがこうしてやって来たのは、ニーダーの差し向けかもしれない。
(嫌いなんて、大声で言っちゃった。どうなることやら)
ラプンツェルは力なく笑った。目をしばたかせるノヂシャを心から憐れんだ。
「かわいそうな、ノヂシャ。大切なことが、わからなくなってしまったのね」
もういい。もうたくさんだ。ラプンツェルは窓を閉めようとした。閉め切る寸前に、ノヂシャがぼそりと呟いた。
「ニーダーが、マリアとヨハンを殺したことを言ってるのか?」
ラプンツェルは、ぴたりと動きをとめた。
はっとして、ノヂシャを見上げる。ノヂシャの細面は涼しげで、さきほどまでと変わらない。何処か遠くを見るように、目を細めた。胸ポケットを抑える手の下で、ハツカネズミがもぞもぞと蠢いている。
「俺も、随分前に、君と同じような体験をした。あの頃は……そうだな。俺も、ニーダーのことが大嫌いだった。……でもさ、そのうち気付くんだ。このひどい世界で、ニーダーだけが、助けてくれるってことに」
ノヂシャは心臓を探るように、胸を押えている。手の中で、ハツカネズミが、ぢぢっ、と鳴いた。
ノヂシャはラプンツェルを見つめると、そっと囁く様に言った。
「残念だけど、君も俺みたいになる」
ノヂシャの言葉は不吉な予言だ。未来を見通したかのような、確信と諦念に満ちている。ラプンツェルは、いやいやと頭をふった。想像もしたくない。
(ニーダーを愛せるようになったら、どんなに良いだろうと思う。でも、その為に心を歪められるなんて、絶対にいや)
「私は、そうはならない」
「なる。君は、俺と同じだ」
「ちがう!」
ラプンツェルは耳を塞いで、その場にしゃがみこんだ。暗示にかけられているようだ。もう、ノヂシャの言葉も、息遣いも聞きたくない。
ノヂシャは規則正しい呼吸をしていたが、やがてひとつ大きく息を吐くと、踵を返した。
「君が、俺より物覚えが良いことを願うよ。ニーダーの機嫌が悪いと、俺もしんどいんだ」
と、言い残して。
ラプンツェルは弾かれるように立ち上がる。去りゆくノヂシャの背中を見て、ラプンツェルは声にならない悲鳴を上げた。
質素なシャツを空かして、幾筋もの鞭傷が、禍々しく浮かび上がっていた。