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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第二十一話 勇敢な女の子
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へまをやらかす

 そうした辛辣な物言いがつい口を衝いて出る。マーシュはめったに怒鳴らないものの、しばしば暴言を吐く。怒りっぽくて、堪え性が無い。だから誰からも嫌われる。マーシュ自身、自分のことがあまり好きではない。


 だけど今回ばかりは、反省していないし後悔もしていない。嫌がる女の子を裸に剥こうとするような『ゲス野郎』は懲らしめてやらなければ。


(ひとをゲス野郎呼ばわりしたって、母さんに知られたら、こっぴどく叱られるだろうけど……でも、わたし、悪くないもん。ゲス野郎をゲス野郎と言って、何が悪い)


 そう思う。だけど、マーシュが背に庇った女の子は小さくなって震えているから、なんだかちょっぴり、やるせない。


 女の子が怯えるのも無理はないのだ。クルスとその取り巻きたちは、女の子に濡れ衣を着せて丸裸にしようとした。マーシュはトッジの腕を捻り上げて、クルスとその取り巻き達を『ゲス野郎』と罵倒した。『良識あるブレンネンの子女』に言わせれば『どっちもどっち、まともじゃない』ということになる。女の子もそう思ったに違いない。そんな連中が目と鼻の先でいざこざを起こしているのだから、さぞかし怖い思いをしているだろう。


 肩越しに女の子を振り返る。マーシュと女の子、目と目が合う。女の子は竦み上がった。きょどきょどとさまよう黒い瞳が逃げ場を探している。『今直ぐに、すたこらさっさと逃げ出したい!』という女の子の心の叫びが聞こえてくるようだ。


 お伽噺のなかに登場する正義の騎士様みたいに「お嬢さん、お逃げなさい」と言ってあげられたら良いのだけれど、そうはいかない。女の子にはあと少し、この場に留まって貰わなくては困る。


 マーシュはトッジから目を離さずに、声を潜めて女の子に話しかけた。


「あのさ」

「は、はいっ! なな、なんでしょう!?」


 仔兎のようにぴょんと跳ねる女の子の返事は裏返っていた。マーシュはひそひそと話したかったのだけれど、震えあがってしまった女の子は、マーシュに調子を合わせてくれそうにない。


 辛うじて溜息を飲み込んで、マーシュはいつも通りの声調で言った。


「取って食いはしないから、そうびくびくしないで。……縁もゆかりもない他人に、どう思われようと、別に構わないしどうでも良いけど……そこにそうしていられると気が散るんだよね。ハンカチは取り返してあげるから、ちょっとさがっていてくれない……かな?」


 いつも通りにすると、思わず知らず、歯に衣を着せない物言いになる。言葉尻に疑問符をつければ、語気を弱めることが出来るかもしれないと思って試してみたけれど、たいして変わらなかった。女の子をちらりと盗み見ると、みるみるうちに、女の子の大きな瞳が涙で滲む。ぎょっとして、うろたえたマーシュの隙をついて、トッジは捻り上げられた手を振り払った。やられた。口惜しくて、マーシュは舌打ちをしてしまう。女の子は身をすくませたようだった。


 もう少し言葉を選んで、態度に気を付けて、相手の感情を害さないようにするべきだった。こうして後悔することは、初めてではない。心を入れ替えるということを知らない自分自身には辟易する。マーシュは舌打ちをしたいのをぐっと堪えて、深い溜息をついた。


 女の子はか細い声で「ごめんなさい」と言いながら後ろにさがる。これでも一応は、女の子を気遣ったつもりだったのだけれど、女の子はますます委縮してしまった様子だ。


 頭髪を掻き毟りながら『ああ、もう、うんざり!』と喚き散らしたいと、マーシュのなかの我儘なこどもが暴れ出す。それと格闘して、なんとかやりこめる。徹底的にやっつけることはない。苛立ちをぶつける標的はすぐ目の前にいる。


 マーシュは腕組をして、威圧的に体を落ち着けた。顎をちょっと上げて、瞬きの無いまっすぐな目で、一番前のトッジを睨みつける。


 マーシュがどんな表情をしても、背後で立ち尽くしている女の子にはわからないから、マーシュは目尻を吊り上げて、唇をひん曲げた。額には青筋を張らせていたかもしれない。


 トッジは捻られた手首を擦りながら、むきになったような表情をして、マーシュを睨み返す。でも、よく見れば腰がひけている。トッジは怖いもの知らずのふりをしているけれど、本当はそうでもない。多かれ少なかれ、マーシュのことは怖がっている。トッジがマーシュを怖がるのももっともだ。怒り狂うマーシュにこてんぱんに熨されたことは一度や二度ではない。マーシュと対峙しながら、トッジは矜持と恐怖を天秤にかけているのだろう。


(あともうひと押しすれば、尻尾を巻いて逃げるんじゃない?)


 マーシュは右腕を突き出すと、掌を見せて言った。


「痛い目にあいたくなかったら、その娘のハンカチをこっちに渡しなよ」


 言ってから、これでは逆効果だということに思い至る。マーシュがトッジだったら、こんな風にこけにされたら、引き下がりたくても引き下がれないだろう。トッジもそうだった。


 トッジの顔はまず真っ青になり、次いで真っ赤になり、ついには土気色になった。大きな図体は、怒りのあまりわななくのか、恐怖のあまりわななくのか。トッジは胸が破裂しそうなくらい、大きく息を吸った。火を吐くように、怒りをがなりたてようとしている。


 負け犬の遠吠えだ。そんなものに耳を傾ける必要はないので、マーシュは耳を塞ぐ。実際にやったら格好がつかないから、心の中で。

 トッジがなにか言おうとするのを、クルスが遮った。


「『ネズミを一匹見たら、他にもいると思え』っていう昔の教えがあるが、まさにその通りだな。『捨て子』に『売女の娘』なんざ、とってつけたようでみっともないぜ」


 今度は、マーシュが怒りのあまり炎を吐くところだった。


(何だと、この野郎!)


 腹立たしさが高じて胸がつまる。頭に血の気が上って、耳がやたらと熱くなって、唇がぷるぷると震えだす。掴みかかって、殴り飛ばしてやりたい。でも、そんなことをしたら、クルスの思うつぼだ。


 マーシュが女の子の傍を離れたら、クルスは女の子を捕まえろとトッジに指図するだろう。それに、マーシュがクルスに殴りかかろうとしたら、その膝元に控えるロダンが邪魔をするに決まっている。そうなれば、八方塞だ。マーシュは反撃どころか抵抗も出来なくなって、けちょんけちょんにやられる。そうしている間に、女の子が上手く逃げてくれたり、誰かが助けに来てくれたりすればいいけれど、そうならなかったら、女の子は今度こそ、素っ裸にされてしまう。


 マーシュはクルスみたいに賢くはないけれど、クルスの隣でぼんやりしているロダンみたいな間抜けではない。クルスの性根が腐っていることは思い知っている。こんな見え透いた挑発には乗らない。くだらない考えだと鼻先であしらってみせた。


「わたしが誰と連れ立って何処で何をしようと、わたしの勝手でしょうが。あんたにとやかく言われる筋合いはない」

「そうとも。恥知らずが恥を晒したところで、俺は痛くも痒くもねぇからな。お前が好き勝手をして、迷惑をこうむるのはお前の養親だろうよ。拾って育ててくれた恩を仇で返すたぁ、薄情な仕打ちをするもんだ。その冷血は実の親譲りか? 」


 ずきんと胸が痛む。マーシュには父さんと母さんに迷惑をかけている自覚があった。生まれもった色彩のことは仕方ないとして、女の子には似つかわしくない激しい気性はどうにかしなければいけないと思いつつ、どうにもできないで今日まで過ごしてきた。父さんと母さんの厚意に甘えていて、それを後ろめたく思うマーシュの心の急所を、クルスは的確についてくる。


(母さんと父さんに迷惑をかけてばっかりのわたしは、クルスの言うとおり、恩知らずなのかもしれない。だけど、わたしは薄情ものなんかじゃない。わたしは家族を捨てたりしない。わたしは国王様とは違うんだから!)


 そんなことは口には出せないからマーシュはクルスを無視した。ぼんやりしているロダンの方を向いて、つけつけと言う。


「ご託はいい。ロダン、わたしが相手になってやる。さぁ、どこからでもかかってきなよ」


 ロダンは目をぱちくりさせる。少し首を傾げて、クルスの顔を覗きこむ。「なに? どういうこと? どうすればいい?」という疑問を、ロダンは口に出さなかったけれど、間抜け面にでかでかと書いてあった。ロダンは何をするにもクルスを頼る。ロダンの見つめる先で、クルスは薄ら笑いを浮かべて、マーシュを見下している。


「お前はいつもそれだ。唸って吠えて、噛みついて引っ掻いて。まるで(けだもの)だな。駆け引きってもんをまるでわかっちゃいねぇ。まぁお前の場合、言葉をちゃんと理解しているのかどうかも怪しいけどよ」


 クルスは笑いをこらえるような顔でマーシュを嘲る。ロダンが傍にいてクルスを守るから、クルスはゆったりと落ち着き払って、高みの見物を決め込んでいられるのだ。マーシュは歯ぎしりをした。


 なんとかして、この高慢な奴にぎゃふんと言わせてやりたい。だけど、頭のなかをさらっても、クルスを言い負かせるような言葉は見つからない。そもそも、マーシュは口下手なのだ。思ったことをそのまま伝えることさえ苦労するほどである。舌戦となるとマーシュは不利だ。だからいつもは力に飽かせてその場を切り抜ける。だけどやっぱり、言われっぱなしは癪にさわる。


「……この、うらなり野郎」


 苦し紛れの罵倒は精彩を欠いていたし、品性に欠けていた。それでも、効果覿面だった。クルスは目の色を変えた。

 

「なんだと……言いやがったな、この蓮っ葉女! お前はだいたい、生意気なんだよ! 狩人の養女の癖に、捨て子の癖に、女の癖に!」


 マーシュは咄嗟に耳を塞ぐ。そうして、あっけにとられた。癇癪を起こして喚き散らすのは、クルスらしくない。


「耳障りだから、金切声をあげないでくれる? 小さな女の子じゃないんだからさ」


 小さな女の子、の部分を強調する。それだけのことで、饒舌家のクルスが言葉を失った。


(あれれ? これって、ひょっとして、わたしの優勢?)


「女の子みたい」だと言われると、クルスは冷静ではいられなくなるようだ。大発見! これは使える! とマーシュは膝を打つ。


『そとひとの劣等感を刺激したり、心の傷を抉るようなことは、卑怯で下品な最悪の行いだ』


 と良心が咎めるけれど、その声は小さくてよく聞こえない。マーシュは遠慮なく言った。


「悔しかったら、自分で立ち上がって、かかってくれば? わたしなんかにこけにされて、このままひきさがったら男が廃るよ? ん? これでもまだ立ち上がらないなんて、あんた、正気? またロダンの世話になるつもり? お姫様みたいに、守られてばっかり、恥ずかしくないわけ? それでも誇り高いブレンネンの男なの? 自分の矜持も自分で守れないなんて、滑稽を通り越して哀れだね」


 こんなときばかり口が回る自分の方こそ、恥ずかしくないの? と訊かれたら、マーシュは答えに窮して赤面しただろう。実際は、誰にもそんなことは訊かれなかったから、マーシュはにやにやしていたけれど。クルスは椅子に腰かけたまま、立ち上がらない。膝の上に置いた拳が震えていた。頭から湯気をたてて、顔なんかもう、真っ赤にしている。


(やったぞ、クルスを言い負かしてやった! いい気分! 最高だね!)


 マーシュはせせら笑って勝ち誇る。父さんと母さんには時々指摘されても頑として認めなかったけれど、マーシュには妙なところで思い上がってしまう悪癖があって、それが時々顔をのぞかせるのだ。こんな風に。


 マーシュは肩越しに女の子を振り替えって、得意顔で頷いて見せた。なんなら足を踏みかえて、スカートの裾を翻してくるりと振り返り「やったよ!」と女の子に言って、手に手をとって踊り出しても良いと思う。だけど、そうした直後には必ず、物凄く後悔するだろうから、思い止まって正解だった。


 クルスは俯いたまま黙りこんでいる。そんな彼の膝元で、ロダンはクルスを見つめている。マーシュの前で立ち尽くすトッジはおろおろしていて、その背に隠れるキールは顔を背けて肩を震わせている。ロダンはキールを一瞥すると、クルスににじりよった。


「クルス? どうする? マーシュの奴、やっつける?」


 クルスはすぐには答えなかった。ロダンの提案を検討しているのか、そもそも、聞いているのか、マーシュにはわからない。ロダンにもわからなかっただろう。痺れを切らしたロダンが腰を浮かせようとするのを、クルスが制した。


「待てロダン。お前はそこにいろ」


 さっきまで取り乱していたことが嘘みたいに、クルスは落ち着き払っている。ところが、その落ち着きは張りぼてだ。その中に潜むクルスは目を血走らせマーシュを睨み付けていた。


 そうして、クルスは腰を上げた。これには、マーシュばかりではなく、ロダンもトッジもキールも目を丸くする。あのクルスが、口は出すけれど手は出さないクルスが、ついに重い腰を上げた。彼の喧嘩を彼自身でやるきになったのか。マーシュはほんのちょっぴり、クルスを見直した。クルスがそのつもりから、相手になってやろうと、腕捲りをする。


 ところが、クルスはマーシュの前に進み出ては来なかった。クルスは居丈高に顎をしゃくって、トッジに指図する。


「ハンカチを寄越せ」


 トッジはぽかんとしてクルスを見つめた。トッジが愚図愚図していると、クルスの眉間に皺が寄る。トッジはわたわたとクルスに駆け寄って、ハンカチを差し出した。クルスはそれを、引ったくるようにして受け取る。


 クルスの声調も態度も、山の吹雪のように厳しく冷たいものだった。マーシュを睨み付ける眼光は、それよりもっと鋭く凍えていた。


 クルスの手の内にあるハンカチはしわくちゃになって、クルスが激怒していることをマーシュに知らせる。


 クルスに嫌な思いをさせて、怒らせたからといって、マーシュは悪びれない。クルスがいつもやっていることだ。たまにはクルスもやられてみれば良い。そうしたらクルスだって、もしかしたら、ひとに優しくなれるかもしれない。


 しかし、今はその時ではなかった。クルスの手には女の子のハンカチが握られている。つまり、クルスはマーシュの弱味を握っているのだ。


「この俺様を本気で怒らせるたぁ、いい度胸だ。今日と言う今日は、ただじゃおかねぇ。たっぷり甚振って後悔させてやる」


 クルスがにやりとした。その悪意に満ちた笑顔を目の当たりにして、マーシュはぞっとした。へまをやらかしたことに、今さらになって気がついた。


これだから、直情的なのも短絡的なのも、そのままにしておいてはいけないのだ。取り返しがつかなくなるから。


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