クルスとその取り巻きたち
ぱたぱた走って行ってしまった女の子を、マーシュは追いかけなかった。
(追いかけて呼び止めて、そうまでして、何て言う? 「走るならちゃんと前を見て、角を曲がるときは注意して」なんて、当たり前のことを噛んで含めるようにして言うの? 大きなお世話でしょ、そんなの)
あのあわてんぼうの女の子がどう思うかはわからないけれど、マーシュはそう思う。
(わたしとあの娘は、たまたますれ違っただけ。赤の他人に要らないお節介を焼かれたら、嫌な気持ちになるよ。たぶん、きっと。……本当のところは、わからないけど)
すくなくとも、マーシュは嫌な気持ちになる。さらに機嫌が傾いたら「そういうの、ありがた迷惑なんだよね」とかなんとか言い放つかもしれない。
あのおどおど、びくびくした気弱そうな女の子は、マーシュみたいにけんもほろろに相手を突き放すような真似はしないだろう。だからと言って、あの娘は怒らないだろうから試しにやってみようか、なんてことにはならない。
(やめよう。もう、やめ、やめ。あの娘の心配は、わたしみたいな赤の他人じゃなくて、あの娘の家族や友達がすれば良い)
マーシュは路地を通り抜け、大通りに出た。
向かい合う家々の屋根の支柱を繋ぐようにして張り巡らされた青い三角旗がはためく下、大勢の人々が行き来している。喧騒の向こうから、旅芸人たちの呼び込み口上、音楽、歌声、それらに対する歓声や罵声も併せて聞こえる。
王子様のお誕生日が近いから、国王様の信者は大喜びでお祭り騒ぎだ。
マーシュが周囲を見回すと、道端で踊り子の女の人が鈴なりの観衆に舞踏を披露していた。両手を掲げ、つま先立ちになってくるくると回っている。
(あれで目を回さないでいられるんだから、踊り子ってすごい。見ているこっちが先に目を回しちゃいそう)
踊り子は長い髪を靡かせながら、最前列で身を乗り出すおじさんに流し目をおくり、腰に巻き付けた深紅のスカートの裾を捌く。おじさんは鼻息荒く懐をまさぐって、踊り子の手前に置かれた木箱に二枚の銀貨を投げ込んだ。誰かが口笛を吹き、誰かが野太い野次を飛ばす。
それを見た踊り子は、足元に置かれたベルを蹴り上げた。器用に手で掴んだベルを三回鳴らすと、背後の路地から屈強な男の人がぬっと現れた。男の人がおじさんを手招く。おじさんは路地裏の陰に飲み込まれるようにして、姿を消した。
踊り子に投げ銭をすると、その額に応じて、踊り子は特別な躍りを披露してくれるらしい。詳しいことは知らないけれど、男の人たちが狂喜乱舞するような踊りなのだろう。踊り子の脚線美を思う存分、堪能できるような。男というのは、上手な踊りそっちのけで、スカートの裾が翻るたびにちらちらと見え隠れする素足に夢中になる生き物らしい。
(うわぁ、やだやだ。まったく、男って奴は……。大の男が揃いも揃って、鼻の下を伸ばしちゃってさ。みっともないったらありゃしない。間抜け面を晒している暇があるんだったら、汗水垂らして働けっての)
観衆の後ろを通り過ぎるとき、助平おやじの集団に麦わら色の頭が混ざっていないことを確かめて、マーシュはほっとする。
もしも、父さんが鼻の下を伸ばして、踊り子のスカートの中を覗き込もうとしていたら、マーシュは父さんのお尻を思いっきり蹴飛ばしても、気が済まなかっただろう。
人波を縫って進むと、曲がり角の向こうに、クルスたちが寄り集まる東屋の、赤い屋根が見えてきた。角を曲がれば人が疎らになるから、群集にまぎれることは出来ない。まず間違いなく、因縁をつけられる。今日はそれを無視して素通りしなければならない。
いざとなると、それは物凄く難しいような気がしてきた。それでも、やると決めたのだから、やらなければ。意を決して、角を曲がろうとした。ちょうどそのときだ。
角の向こうで、聞き覚えのある悲鳴が二つ、重なった。
「きゃっ!」
「うわっ!」
悲鳴を上げた二人が、どすんとしりもちをつく。マーシュはこっそりと顔を出して角の向こうを覗き見る。マーシュは額をおさえた。天を仰いで溜め息をつく。
(嘘でしょ……あの娘……あーあー、やっちゃったよ)
マーシュに背を向けてしりもちをついているのは、ついさっき、マーシュにぶつかったあの女の子だった。自他共に認めるそそっかしい女の子は、性懲りもなく、走って角を曲がろうとしたようだ。そうして、また、ひとにぶつかった。今度は相手が悪かった。
(わたし、強面だし無愛想だし、こんなだから、あの娘を怯えさせちゃっただろうけど……でも、こいつらはわたしなんかよりずっと性質が悪い)
女の子がぶつかってしまったのは、クルスの取り巻きのうちのひとり、キールだった。顔色が悪くて、大きな黒目が狡そうな、ネズミによく似た男の子である。
裕福な商家の次男坊だけれど、こそこそと人目を忍ぶような格好をしているからか、みすぼらしく見える。しりもちをついて悶絶していると、ネズミ取りの罠にかかったネズミのようだ。クルスとその取り巻きの二人は、そんなキールを見下ろしている。
「おいおい、キール。お前、なにやってんだ」
「女の当て身食らって引っ繰り返るとか、どんだけ鈍臭いんだよ」
「えっ、なに、なに? キール、どうしたの?」
言ったのは、クルス、トッジ、ロダンだ。三人とも、キールを心配したり、手をかしたりするつもりはないらしい。薄情な仲間たちをきっと睨み付けて、キールは癇癪を起こした。
「うるさい、うるさい! お前ら、ちょっと黙ってろ! ああ、もう、痛ぇな、クソ……おい、お前! お前がいきなりぶつかって来るから、おれが恥をかいたじゃないか! どうしてくれるんだ!」
「ひっ……ご、ごめ、ごめんなさい……ごめんなさい!」
掠れた謝罪を繰り返す女の子の、青ざめた顔は恐怖でひきつっている。小さな体をさらに小さくして震える姿は、獣の顎にとらわれた、絶命寸前の可哀想な仔兎みたいだ。キールは気勢を削がれた。よろよろと立ち上がると、女の子を一瞥して、唾を飛ばしながら怒鳴り散らした。
「目障りだ、とっとと失せろ!」
女の子は慌てて立ちあがり、ぺこりと頭を下げた。そそくさと東屋の前を通りすぎようとした女の子に、トッジが待ったをかける。
「見ない顔だな。それに、そのへんてこな格好。お前、旅芸人の娘か」
トッジは女の子の前に立ち塞がると、女の子の頭のてっぺんから爪先まで、無遠慮に眺め回す。トッジはロダンのように上背があるわけではないけれど、体つきはがっしりしていてたくましい。顔つきも性質も、猛犬のように狂暴だ。乱暴者のトッジに小突かれて、女の子は震え上がった。
東屋に設えられた長椅子に腰かけたまま、クルスが口を挟む。
「俺はその顔に見覚えがあるぜ。そいつ、女芸人一座のテントに出入りしてやがった」
クルスはふんぞり返り、にんまりと笑う。マーシュは歯噛みした。
(なにを偉そうに)
クルスは態度が大きい。小柄な体を少しでも大きく見せたいのかもしれない。いつもああして、貴族のお嬢様が貧民窟を訪れたかのように、威張り散らしている。
お坊ちゃまではなくお嬢様にたとえたのは、間違いではなく、わざとだ。ロダンを従えて偉ぶるクルスの姿は、厳つい護衛を引き連れたお嬢様にたとえるのがぴったりだ。
クルスは細く小さな顎を上げて、琥珀色の瞳を意地悪く細める。項で結わえた金髪を馬の尾のように背で揺らして……金髪は高値で売れるから、大人になるまで切らずに伸ばしておくつもりだと、いつか言っていたような気がする……クルスはせせら笑った。
「つまり、売女の娘ってこった」
マーシュは眉をひそめる。クルスの弱いものいじめがまた始まった、と心のなかで呻いた。
目を見開いた女の子の顔は、透き通るほどに青ざめている。トッジはクルスと視線を交わすと、にやりとした。
「おい、キール。その売女の娘、そのまま行かせてやるつもりか? 不用心だぜ。なにか盗られていないか、ちゃんと確かめたのかよ?」
「そんな……あたし……ひと様の物を盗むなんて、そんなこと……」
女の子の消え入りそうな反論を、クルスは大声で否定する。
「売女の娘の言うことだ。お前ら、真に受けるんじゃねぇぞ。売女の娘は売女になるんだ。売女は息をするように嘘をつくし、平気で盗みを働く。ふしだらでよこしまな、罪深い女だ」
クルスは足を組んで、頬杖をつく。クルスの足元にぺたんと座り込んで、飛び交う言葉をぼんやりと聞いていたロダンが、クルスのズボンの裾をちょいちょいと引っぱった。
「おっ……なにしやがる、ロダン。ズボンの裾を引っ張るんじゃねぇ」
クルスに手を蹴られても、ロダンにはなにも思うところはないらしい。小首を傾げてクルスに訊ねた。
「ねぇ、クルス。その娘、売女の娘なの? さっきは、旅芸人の娘だって言ってなかった?」
「おいおい、ロダン、お前、女芸人がどういうものか、知らないのかよ!」
すかさず、トッジはロダンをバカにする。マーシュはむっとした。ロダンが笑い者にされるのは構わない。けれど、ロダンと同じ疑問を抱いていたマーシュまでバカにされたようで、気分が悪い。
ロダンはクルスを見つめたまま、ふるふると頭をふった。
「知ってるよ。見たことあるもん。ここに来る途中でも見たよ。体が大きくて声が太い変な女が『お代は見てからで結構です。さぁさぁ入って、間も無く始まります』って言って、客引きをしてた」
「それ、本当に女芸人の一座か? 女芸人の一座には女しかいないんだぜ。体が大きくて声が太いなら、その呼び込みは男だろ」
「違うよ。だって、スカートを履いていたもん。男はスカートを履いたり、くねくねしなをつくったりしないでしょ」
「お前、男と女の見分けもつかないのかよ」
クルスはこれ見よがしに溜め息をついて、トッジとロダンの不毛な言い争いに割ってはいる。
「男だろうが女だろうが、どうでもいいじゃねぇか。芸人のなかには、女の格好をして笑いをとる道化もいるらしいぜ。そんなことより、ロダン。お前、女芸人がテントの中で何をしているのか、知ってるか?」
「テントの中で何をしているのかは知らない」
「ばーか!」
トッジは鬼の首をとったかのように喜んでロダンを罵る。トッジはロダンを目の敵にしているのだ。ロダンと喧嘩でやりあっても、手も足も出ないのに。勝ち誇るトッジを、クルスは冷ややかに一瞥する。トッジは目を泳がせた。そっぽを向いたクルスをちらちらと盗み見ながら、もごもごと言う。
「クルス、ロダンに教えてやったら?」
トッジに言われるまでもなく、そのつもりだったのだろう。クルスはロダンの間抜け面を見下ろして、溜め息をつく。
「口を開きっぱなしにしてんじゃねぇ。阿呆みたいに見えるだろうが」
叱りつけてから、顎に手を当てて、考え込むようなそぶりをする。
「そもそも、ロダンよ。旅芸人の連中は、何をして金を稼いでいるんだろうな?」
「ええと……旅をしながら、歌とか音楽とか芝居とか……そういう芸をする人たちじゃないの?」
「当たらずといえども遠からず、だな。いいか、ロダン。旅芸人ってのは、あちこちを旅しながら、興行で見物料を稼ぐ連中だ。お前の言う通り、歌、音楽、芝居、そういうのもある。だが、それだけじゃねぇ。動物の芸、人間の曲芸、奇術、珍獣や異形者なんかの見世物……色々やってるんだぜ」
「異形者って?」
「お前みたいな不細工のことさ」
トッジが暴言を吐くと、ロダンは面食らって黙りこんでしまう。
(あんた、ひとのことをとやかく言えるような顔なの?)
マーシュに言わせれば、ロダンもトッジも、ついでにキールも、顔の造作で言えばどんぐりの背比べだ。クルスの目鼻立ちは整っているけれど、細面で色白で華奢で、長い髪も相まって、まるで女の子みたいだと思う。マーシュよりも女の子っぽいくらいだ。
(そう言えば、こいつらみんな、レイと同い年か。うーん……そうは見えないなぁ)
「トッジ、よせ」
しゃしゃり出てきたトッジを窘めて、クルスはロダンに向き直る。
「手が三本あったり、足がなかったり、目が一つだけだったりする奴のことだ。要するに、見た目がふつうじゃねぇってことよ」
へぇ、と感嘆して、ロダンはしょぼしょぼした鈍い目を輝かせる。
「なにそれ、すごい! 見てみたい! クルスは見たことがあるの? いいなぁ、羨ましいなぁ」
「見たことがあるって言うか、本で読んだんだよ。挿絵を見せてやっても良いが、お前、本を開いたらすぐに眠っちまうからなぁ」
読み書きが達者で賢いクルスは、学士の先生に目をかけられている。学士の先生はクルスにだけ特別に蔵書を貸し出しているらしい。ゾールさんの奥さんは鼻高々で、ことあるごとにその話を持ち出しては「将来は学士様かしらね」なんて言うらしい。
ゾールさんの奥さんは、実の息子のロダンと、ゾールさんがよその女の人に産ませたクルスを、分け隔てなく可愛がっているという。『なかなか出来ないことよ』と母さんは言っていた。
なかなか出来ないことと言えば、読み書きもそうだ。クルスは五歳のときに母親を亡くしたそうだけど、その頃には既に、読み書きを習得していたらしい。「こいつはすごい、神童だ」という噂が高名な学士様の耳に入り、その学士様の許に身を寄せていたとか。学士様はクルスをとても気に入っており、クルスがゾールさんに引き取られた後も、学舎で学ぶことが出来るように、便宜を図ってくれたそうだ。裕福な家の男の子たちと競っても、クルスは誰よりも優秀な成績をおさめていると言うから、本当にすごい、神童なのだろう。
クルスは根性の腐った奴だけれどすごい奴でもあるから、みんな、クルスには一目おいている。トッジなんか、特にそうだ。いつでもどこでも、クルスの関心をひこうとして、躍起になっている。だから、いつでもどこでも、ぼうっとしていても、クルスのそばにいられるロダンの存在が面白くないのかもしれない。
そんなふうに、目の敵にされているなんて、夢にも思わないロダンはあっけらかんとして言った。
「うん。だからさ、本じゃなくて本物が良い。ねぇ、クルス。本物を見物にいくときは、ぼくも一緒に連れて行ってね!」
トッジはロダンを睨み付け、米神に青筋をたてて怒った。
「お前にそんな度胸は無いだろ。弱虫はひっこんでろ」
「おい、トッジ。よせって言ってるだろうが」
クルスが怒りつけると、トッジは鞭で打たれたように竦み上がる。クルスはなんでも知っているし、なんでも出来ると信じて疑わないロダンにねだられて、クルスも満更ではないのだろう。ロダンには笑顔を向けた。
「異形者なんぞ、たいした見世物じゃねぇよ。見た目がちよっとばかし変わってるってだけで、あとはふつうの人間と変わらねぇ。そんなもんより、俺は珍獣に興味があるね。なんでも、旅芸人のなかには、本物の『人喰いの獣』を生け捕りにして、見世物にしてる奴らがいるらしいぜ」
「嘘でしょ! 食べられちゃうよ!」
ロダンが悲鳴を上げる。人喰いの獣は恐ろしく危険なものだということは、幼い子供でも知っていることだ。だから、ロダンでも知っている。
クルスは及び腰のロダンを睨み、興醒めだと言わんばかりに溜め息をつく。そこですかさず、トッジが名乗りをあげた。
「おれは見てみたい! 面白いじゃないか、生きている人喰いの見世物なんて。なぁクルス『人喰いの獣』の見世物が王都に来たら、見物に行くんだろ? その時は、おれと一緒に行こう。なぁ、いいだろ?」
クルスは軽く目をみはると、にやりとして頷いた。
「さすが、トッジは肝が据わってやがるな。いいぜ、連れて行ってやる」
「本当に!? 約束だぞ、忘れるなよ!」
トッジは握った拳を掲げて喜びを噛み締める。たぶん、トッジは人喰いの獣を間近で見物したいなんて思っていない。クルスの機嫌をとりたい一心で名乗り出たのだろう。いざそのときが来れば尻込みするに違いない。それでも、今はロダンを出し抜けたことが嬉しくて堪らないようだ。
そこで、仲間内でひとり、蚊帳の外に置かれて唇を尖らせていたキールが嘴を挟む。
「『人喰いの獣』を見世物にしてるって言う、その旅芸人は、魔法使いかなにか? 『人喰いの獣』を生け捕りにして、あまつさえ、見世物にするなんて。どんな魔法を使ったら、そんな奇跡が起こせるんだ?」
キールだけではなく、ロダンとトッジも、その答えを求めてクルスを見つめる。クルスは咳払いをしてから、もったいぶった口ぶりで話し始めた。
「魔法とか奇跡とか、そんな、だいそれたもんじゃねぇよ。生け捕りにした『人喰いの獣』は、四肢を銀蝋で焼き切って、顎を溶接してやるんだ。そうすりゃあ、あとは難しいこたぁないと思うぜ」
「それが大変なんじゃないか。命がいくつあったって足りない」
キールも一応は学舎に通っているから、トッジとロダンのように、クルスの言うことを鵜呑みにしない。
クルスはキールの猜疑心を鼻先であしらった。
「そこは腕利きの狩人を雇うのさ。金の為なら『穢れに触れることを厭わない』連中だぜ。危険なことでも残酷なことでも、報酬に色をつけてやりゃあ、喜んで請け合うんじゃねぇか」
クルスの白い顔に嘲りの色が滲む。クルスは『金欲しさに穢れに触れる』ことを生業とする人々……娼婦や狩人……を見下げ果てた連中だと嘲笑う。だから、マーシュはクルスが嫌いなのだ。
キールは納得出来ない様子で、でも、でもなぁ。とぶつぶつ言っている。そんなことは気にしないで、ロダンがクルスに訊ねた。
「じゃあ、うまいこと人喰いの獣を生け捕りに出来れば、誰にでも人喰いの獣を飼い殺しに出来るってこと?」
「おう、頭さえありゃあな。となると、おまえはダメだぜ、ロダン」
と言ってから、冗談、冗談、とロダンに笑いかける。キールは疑り深い瞳を針のように細く鋭くして、クルスを見据えた。
「顎をくっつけたら、肉を食えなくて、死ぬんじゃないか?」
「飲まず食わずでも、二年は生きるらしいぜ」
「そんなに? 本当に?」
キールはクルスが知ったかぶりをして、出鱈目を言っていると思っているようだ。クルスは小首を傾げて、にっこりする。そんなことも知らねぇのか? と顔にかいてある。
「人喰いの獣は、俺たちみたいな『血肉をもつもの』と比べて、頑丈に出来てるんだ。お前ら『宝石の伯爵の話』知らねぇか? 昔々、光り物には目が無い伯爵が、国王様から生きたままの『人喰い』を授かった。手足を落とされ口を塞がれた人喰いは、そのままの状態で二年も生きたんだとよ」
そんな話は初めて聞いた。マーシュだけではないはずだ。クルスほどの物知りは、そうはいないだろう。クルス自身、そう自負している節がある。ぽかんとしている仲間たちの間抜け面を見回して、満足そうに頷いた。
「おっと、話が逸れちまった。つまるところ、こういうこった。旅芸人は芸を売る。女芸人が売るのは芸だけじゃねぇ。女の芸ならたかが知れてる。歌手も楽士も踊り子も、はなから、歌唱や演奏や舞踏を売りにしちゃあいねぇんだ。女芸人は芸で男を誘惑しているのさ。肉体を濫用して小金に代える、恥ずべき女だ」
「娼婦と変わらないってことか?」
トッジが訊ねる。クルスは片眉をひょいとあげて、早口で捲し立てるように言った。
「娼婦と言っても、ピンからキリまで、色々だぜ? 夜の姫君の教養にはそこらの女なんざ及びもつかねぇし、病める娼婦はドブネズミよりけがらわしい。まぁ、達者な女芸人なら、病める娼婦よりは紙一重でマシってところか。だってよ、鈴なりの観衆を前にしても、切ない声をあげたり、飛び跳ねたり、体をくねらせたりして、男を誘うんだぜ? 正気じゃねぇ」
(それを見て、鼻の下を伸ばす男がいるのが悪いんでしょうが)
とマーシュは思ったが、口には出さない。口に出したら、面倒なことに巻き込まれてしまう。そんなの御免だ。マーシュはレイのハンカチを洗わなければいけないのだから。
「その女、女芸人の娘なんだよね? 母親はいまも色を売っているのかな?」
思い出したかのように、ロダンが女の子を指差す。怯える女の子を不躾に眺め回して、ロダンは言った。
「だって、女はこどもを産むと汚くなるでしょ。売り物にならないんじゃない?」
クルスが目をぱちくりさせる。トッジとキールはどっと笑った。「そうだ、そうだ、違いない!」 といつもはロダンの言うことを片っ端から否定するトッジが、ロダンに同調していた。
女の子は顔色をなくしてしまった。目に涙を浮かべて、走り去ろうとする女の子を、顰め面のクルスが呼び止める。
「おっと、どこに行こうってんだ? まだ、用は済んでねぇぞ」
トッジはえたりやおうと女の子の前に立ちはだかる。女の子は両手をふりしぼり、必死になって訴えた。
「通してください。あたし、何も盗んでいません」
「なぁ、キール。売女の娘はこう言っているが、どうだ? なにか盗られちゃいねぇか?」
クルスに話を振られたキールは、戸惑った様子でぎこちなく首をたてにふった。
「えっ? ああ、うん、まぁ」
クルスの眉間に縦皺が刻まれる。ロダンはきょとんとしているけれど、トッジにはクルスの意図がつかめたようだ。まごまごするキールを睨んで「バカ」と小声で詰っている。
クルスはそっぽを向いて、つまらなそうに言い捨てる。
「そうかよ、キール。盗られるような上等な代物を、身につけちゃいねぇか」
「なっ……」
キールが絶句する。ロダンやトッジのように力が強いわけでも、クルスのように賢いわけでもないキールの自慢は、家が裕福ということだけだ。そこを否定されると、ぐうの音も出ないのだろう。
クルスはそれ以上はキールに構わなかった。足を組み替えて、震える女の子を見下ろす。
「だが、ここで俺たちに捕まる前に、何処かで誰かの持ち物をくすねて来たかもしれねぇよな。なぁ、おい、お前。本当に、盗みを働いちゃいねぇんだな?」
女の子はこくこくと首肯く。クルスはにやにや笑っている。嫌な予感がする。クルスは何か残酷な悪戯を思いついたのだ。そして、マーシュの嫌な予感は的中してしまった。
「服を脱げ」
「えっ!?」
「脱げよ。服を全部。裸になって、無実を証明しろ」
マーシュは呆気にとられた。女の子は愕然としている。しびれを切らしたクルスが、トッジを見て顎をしゃくる。トッジの太い腕に捕まりそうになって、女の子はあわてふためいて後退りした。
「そんな、そんなこと……無理です……できません……!」
「『できません』だって? それじゃあ、盗みを働いたって、罪を認めるんだな?」
「違います! あたし、なにもしてない……」
「だったら、脱ぎな。なぁお前ら、そうだよな? 裸になりゃあ、身の潔白を証明できるんだ。無実なら、ここで今すぐ、裸になれるよな?」
トッジがにやにやして首肯く。ロダンは間抜け面で首肯いて、キールはくすべ顔で首肯いた。
クルスも頷いた。女の子を指差して、言い放つ。
「まともな女には到底、無理な話だろうが、お前ならできるはずだぜ。なんてたって、お前は売女の娘なんだからよ!」
女の子が声にならない悲鳴を上げる。トッジが女の子の細い腕を掴んだのだ。女の子は身を捩って抵抗するけれど、力では敵わない。トッジは女の子のスカートのポケットに手を突っ込んだ。白いハンカチを引っ張り出して、掲げる。獲物を咥えて持ち帰った猟犬のように、クルスを振りかえる。
「見ろよ、クルス! 絹のハンカチだ! 売女がこんな上等な物をもっているわけない。これは盗品に違いないぞ!」
「でかした、トッジ! 他にもまだ何か、隠し持ってるかもしれねぇな。裸に剥いちまえ!」
クルスはケタケタと笑っている。臍を曲げていた筈のキールは興奮して囃し立て、ロダンは幼い子供のように手を叩いてはしゃいでいる。トッジは鼻息荒く、女の子の着衣に手をかけようとした。
なんて、残酷で卑劣なろくでなしなのだろう。
マーシュは憤慨した。矢も盾もたまらず、飛び出した。女の子の腕を掴むトッジの手首を捻り上げる。ぎゃっとおめいたトッジの手をはらいのけ、解放された女の子をさがらせ背にかばう。
唖然とするトッジ、キール、ロダン、クルスを順番に睨み付ける。マーシュの舌は自分でも思い設けなかった義憤の情熱を帯びて動いた。
「ふざけるのも大概にしろよ、ゲス野郎」




