ノヂシャの訪問
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寝支度を整えたメイドが、折り目正しく礼を尽くし、しずしずと退室していく。それを見送ったラプンツェルが、シーツの上掛けを捲り、毛布にもぐりこもうとしたときだった。
こんこんと、窓硝子が叩かれる。規則的なノック音。
ラプンツェルがカーテンを開けると、窓の外にはノヂシャが立っていた。庭師のような軽装のままで、寒そうに体を揺すっている。痛みを感じたように顔を顰め、肩を竦めた。
肩にとまった白い小鳥は、ラプンツェルを円らな黒い瞳でじっと見つめ、しきりに首を傾げている。
ノヂシャは、中指の節で窓硝子をとんとんと叩き、開けてくれ、と催促する。ラプンツェルはたじろいだ。寒いだろうと、招き入れてやる好はない。ノヂシャは、ニーダーと通じている。
ラプンツェルはカーテンをひいた。
少し間を置き、そっと隙間から窓の外の様子を覗いてみる。
ノヂシャは窓の外で立ち尽くしていた。胸ポケットから顔を出したハツカネズミが、上体を伸ばして、サスペンダーを齧っている。ノヂシャは、落っこちそうになったハツカネズミを掬いあげた。胸に抱き、ひくひくしている鼻に鼻先を突き合わせる。唇を読むと「寒いな」と呟いたようだ。
ラプンツェルは少し考えてから、ええい、ままよ、とカーテンと窓を開け放った。
ノヂシャが刮目する。手に力が入ってしまったらしく、ハツカネズミに指股を噛まれた。ノヂシャの肩が跳ねあがると、白い小鳥もまた、肩の上で跳ねた。
ノヂシャはハツカネズミの頭を撫で「驚かせたよな、ごめん」と謝ってから、胸ポケットにしまった。
新しい「マリア」と「ヨハン」と、ノヂシャは仲良くやっているようだ。そのやりとりを、微笑ましいとはもう思えないが。
手をネズミ返しのかわりに翳し、ハツカネズミの脱走を食い止めつつ、ノヂシャはそろりとラプンツェルに視線を寄越す。目が合うと、きまり悪そうに逸らされてしまった。
ノヂシャはニーダーの悪辣な仕向けで、心を壊してしまっている。憐憫の情はわくが、仲良くすることは出来ないと、ラプンツェルは思う。
ニーダーに命じられれば、ノヂシャはラプンツェルを罠に嵌めてしまう。今になって思えば、ノヂシャがラプンツェルをけしかけ、脱走させたのは、ニーダーの差し金だったのだろう。ラプンツェルが裏切るか裏切らないか、ニーダーは試したのだ。
ノヂシャを怨んではいない。ノヂシャは悪くないし、知らない間に家族が皆殺しにされるくらいなら、今置かれている苦境の方が、紙一重でましだ。
そう思えば、少しは慰めになる。
黙っていても埒が明かない。ラプンツェルはぎこちなく微笑んで、あたりさわりのない挨拶をした。
「久しぶり」
「……ああ」
ノヂシャは生返事をして、また黙り込んでしまった。所在なさげに、肩にのせた小鳥に触れる。小鳥はノヂシャの指を甘噛みしている。
前の「マリア」も、ノヂシャによく懐いていた。先代のマリアの末路を思い出し、ラプンツェルは胸が悪くなる。
「……もう、君にはついていかないよ」
つい、悪態をついてしまった。ノヂシャはまた、小さく「ああ」と言って頷く。朦朧としたブルーの瞳が、ようやくラプンツェルを捉えた。
ノヂシャは、唇をしきりに舐める。ひどく言い難そうに言った。
「元気?」
ラプンツェルの境遇を考慮しない、あまりに月並みな気遣いに、ラプンツェルは失笑してしまう。
ノヂシャは、ラプンツェルがどんな目にあっているのか、知らされていないのだろうか。知らされていたとしても、ラプンツェルの心中を察することは難しいのかもしれない。マリアとヨハンの幻を追いかけるのに、ノヂシャは想像力の大半を費やしているのだろうから。