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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第十八話 運命
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暴かれる秘密1

 目が眩む。ラプンツェルはぎゅっと目を瞑った。陽の光が花瞼を刺し貫き、その裏側に、鮮血に沈むリーナの幻影を描く。ぶんぶんと頭を振っても、最も恐れる妄想を振り払えなくて、ラプンツェルはひっしと、大きな背中にしがみついた。


 ニーダーは身動ぎもしない。いつもなら、すかさず、ラプンツェルが鬱陶しいと嫌がっても構わずに、彼女の背に腕を回して抱き寄せ、豊かに波打つ髪を撫でる癖に。


 日常の乖離は、そのまま、ニーダーの心の乖離に置き換えられるのかもしれなかった。だとしたら、ニーダーがラプンツェルを慈しむことは、もう二度と、ないのだろうか。


 ずきん。痛む胸の奥から、涙が熱く込み上げる。ラプンツェルは嗚咽を漏らさないように、奥歯を噛みしめて、堪えた。めそめそしている暇は無いし、そんな資格もない。希望もない。無様な真似をしたくはない。


 渾身の力と気力を振り絞って、ニーダーを寝室の奥へと引き戻すべく奮闘する。けれど、ニーダーは梃子でも動かない。


 ニーダーが含み笑う。ニーダーの表情、彼の視線の先にあるもの。いずれも、確かめることが怖くて、目を開けられない。ニーダーが軽く肩を竦めただけで、竦み上がるラプンツェルの矮躯は、虚ろで、冷え切っている。芯が抜けて、空洞になってしまったかのように。


 掌に触れる、ニーダーの固い腹筋が震えた。ニーダーは嘲笑っている。ラプンツェルは息を詰めた。膝が笑っている。爪先が痺れて、感覚は殆どない。足元がおぼつかない。そうして、ずぶずぶと、どこまでも沈んで行くのだろう。


 ニーダーが言い放つ。


「やれやれ。呆れたものだな」


 ラプンツェルに向けられた揶揄では無い。ニーダーがラプンツェルに語りかける、どのような言葉にも、根底には燃え盛る情熱がある。今の言葉にはそれがない。口唇の端に、あるかなしかの、冷やかな侮蔑の感情をのせて、ニーダーの冷笑はさらに凍える。


「泥棒猫ならば泥棒猫らしく、こそこそと逃げ隠れする術を身につければ良いものを。悪戯好きの幼児の方が、身を潜ませる術に長けているだろう」


 ラプンツェルは目を瞠った。恐れるあまり総毛立つ。


(リーナ、どうして、逃げてくれなかったの!?)


 ラプンツェルは、転がるように、ニーダーの正面に回り込み、彼の行く手を阻んだ。息子を抱いたラプンツェルを、邪魔だからと言って蹴り飛ばす訳にもいかず、ニーダーは辛うじて、思いとどまる。空色の瞳に怒りが踊ったのを見て、ラプンツェルの総身は強張った。それでも、後には退けない。時間を稼がなければいけなかった。この隙に乗じて、リーナが立ち去ってくれることを切に願いながら、ラプンツェルは懇願する。


「ねぇ、寒いわ。寒くて凍えてしまいそう。部屋に戻りましょう。窓をしめて」


 ニーダーが目を眇める。ラプンツェルの言葉に耳を傾けているようだ。ニーダーが結論を導き出す課程を、ラプンツェルは固唾をのんで見守る。


 ラプンツェルと目を合わせようとしないニーダーの視線は火矢の如く、ラプンツェルの上を素通りして、ラプンツェルの背後にある窓の向こうに放たれている。恐ろしくて堪らないけれど、怯んではいられなかった。苛烈な敵意の矛先をリーナに向けられることが、何よりも、恐ろしいことだから。


 ラプンツェルは、自分が赤子の母親であることを十分に意識して、多少なりとも、息子の身を案じる母親のような、面持ちと声を心掛けた。ニーダーは凛々しい眉をかすかに動かす。その些細な動きにさえあからさまに身構えてしまう。


 ニーダーは、ラプンツェルの懇願を聞き流した。


 ラプンツェルは、無言で隣を擦り抜けようとするニーダーの肘を反射的にとり「ちょっと待って」と引き止めた。ニーダーは眉根を寄せた。腕の筋肉が硬度を増すのが、触れる掌に伝わる。極度の緊張のあまり、すっかり固まってしまったラプンツェルの、かじかむ指先は、ニーダーを留めておけない。


 強い風にふかれて、カーテンが翻る。バルコニーへと足を踏み出し、眩い光に照らし出されるニーダーの後ろ姿に、暗い影が落ちる。悪魔が地獄の扉を開く、世界の終末に居合わせてしまったかのような、恐怖と絶望に襲われ、ラプンツェルは金切り声を上げた。


「いない! 誰もいないわ。誰もいないったら!」


 ニーダーは振り返らない。悪魔は顧みることがないのだ。ニーダーはただ前だけを見ていて、心底呆れたように溜息を吐く口唇は、残忍な笑みを浮かべていた。


「……ここにいることは、わかっている。貴様に矜持があるのなら、引き摺り出される前に姿を現せ」


 ニーダーは悪魔で鷹揚に構えたまま、リーナを挑発した。声を荒げたり、おかしな抑揚をつけたりしなくても、嘲笑に込められた悪意を過たずに伝える。

 

 激情家のリーナのことだ。胸の内側を爪で引っ掻かれて、我慢は出来ないだろう。ひとを思い遣り、その痛みのために心を痛める、優しい感性を欠いているニーダーは、そのかわり、ひとを限界まで追い詰め、その流れる血の臭いを嗅ぎ付ける、下品な嗅覚はそなえていた。


 壁際で地面に伏し、欄干の陰に身を潜めていたリーナは、素早くしゃがみこみ、跳躍した。欄干を蹴り、高く舞い上がって、戦斧の腕を大上段に振りかぶる。風を纏って上空からニーダーめがけて斬りかかった。


 奇襲を受けても、ニーダーは怯まなかった。リーナはニーダーの手中に誘き出されたのだ。


 刃が組みあう音は、背筋も凍る悲鳴のように、耳を穿つ。次の瞬間、リーナの痩身は宙を舞っていた。押し負けて、弾き飛ばされた。


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