愛を乞う、けだもの
暴力、虐待の描写があります。ご注意ください。
口に異物を含ませて殴打、の描写があります。
ややあって、ニーダーは零すように笑った。肩を竦めて、不自然に朗らかな声調で言う。
「遺憾にたえないが、君の家族の協力を仰がねばならないようだ。君を慕っていた侍女……アンナと言ったか。まずは彼女を招こう。芋虫のように地面を這う新しい生活が気に入らず、泣いてばかりいるそうでね。いっそ引導を渡してやるのが、慈悲というものかもしれん」
まだ、家族は生きているらしい。ラプンツェルは久々に、喜びの欠片を感じた。同時に、家族のことを気にかけることも出来なかった自分が、不甲斐なくて、泣けてくる。
家族の為にも、ニーダーを愛さなければいけない。でも、ニーダーはラプンツェルの拙い嘘では騙されてくれない。嘘でなければ、ラプンツェルはニーダーを愛せない。高い塔の炎上から、一月が過ぎたけれど、ラプンツェルの懊悩はまだ、そこで足踏みしていた。
ふと、思う。両手足を失ったアンナは、死を望んでいるそうだ。ラプンツェルだけではなかった。もしかしたら、ラプンツェルが生かそうとした家族たちも、苦痛の生より安息の死を、望んでいるのかもしれない。
螺旋を描いて底へ底へと落ちて行く思考を、ラプンツェルは自嘲した。
(だとしても……今の最悪な状況から助け出せたら、変わるかもしれない。その可能性を、私のままならない心が潰してしまう)
「ラプンツェル? 何がおかしい」
耳障りな笑い声は、ラプンツェルの喉から漏れていた。顰め面のニーダーに、詰問される。ラプンツェルはうっそりとニーダーを見返した。
「そんなことしたって、無駄だよ。心はとっくに折れてる。私は、意地を張ってあなたを拒絶しているわけじゃない」
ニーダーが精悍な眉をひそめた。憮然として、彼はぼやくように零した。
「わけがわからない」
わけがわからないのは、ラプンツェルの方だ。
そうしようと思う前に、跳ね起きていた。何処にそんな力が残っていたのかわからない。アスコットタイを掴み、襟首をしめあげている。息苦しさに僅かにたじろぐニーダーに、ラプンツェルは縋っていた。
「おしえて。どうしたら、あなたのことを愛せるの? おしえてよ。なんでも、言うとおりにするから。こんな辛い日々が、あと一秒でも長びくなんて、たえられないの。ねぇ、おしえて……あなたを愛することが出来るなら、私……悪魔に魂を売り飛ばしてもいいんだからっ……!」
堪え切れなくなって、ラプンツェルはわっと泣き出した。体の力が失せ、ずるずると滑り落ちる。ニーダーの体に凭れかかっている。ラプンツェルは、ニーダーの胸に顔を埋めて泣いていた。
もう、どうしたらいいのかわからない。ニーダーは、傷ついたラプンツェルを背負って運び、手ずから食事をとらせようとする。ラプンツェルがニーダーを愛するのは、当然だという。
些細な優しさで帳消しに出来るほど、ニーダーの仕打ちは、軽いものなのだろうか。こんな何でもないことで、ひとはひとを愛するのだろうか。
ずり落ちそうになるラプンツェルの体を、躊躇いがちに回されたニーダーの両腕が抱える。壊れ物を扱うような、臆病なまでに優しい抱擁だった。
「君は愛を吸い上げて育った、大切な一輪の薔薇のような娘だったね。君に必要なのは、食事ではなく愛だったか」
ニーダーがそっと体を放す。名残惜しむ気持ちが生れたことに戸惑い、ラプンツェルはニーダーを見上げた。そして、抱きしめられた時に、ふわふわとしたものを愛情だと感じたのは、錯覚だと悟った。
ニーダーが差し出した掌には、黒薔薇の髪飾りがのせられている。ヒルフェがラプンツェルに贈り、ニーダーが壊してしまった髪飾りと同じものだ。過去に、はっきりと受け取りを拒んだ髪飾りを、ニーダーが摘まみ上げる。ラプンツェルの鼻先にぶらさげて、にこやかに言った。
「口をあけて」
愕然とするラプンツェルの頬を、ニーダーの手が挟む。半開きの唇をこじ開けられ、髪飾りを口腔にねじ込まれた。固い異物が口の中をいっぱいにしている。粘膜が痛み、喉奥をつかれてえづく。ラプンツェルの唇を掌で覆ったニーダーは、糸をひくような、粘着質な笑みを浮かべていた。
「よく噛んで、食べるんだ」
ラプンツェルはしゃにむに頭をふった。当然の反応だけれど、ニーダーは激昂した。固く握った拳で、ラプンツェルは頬を殴られた。
きぃん、と耳鳴りがして、一瞬、音が遠くなる。ニーダーの怒声が、水の中のように、くぐもって聞こえた。
「咀嚼し、嚥下しろと言っている。私の愛を受け入れろ!」
口の中で、薔薇の花弁が砕ける。鋭い断片が口腔をずたずたに切り裂く。ニーダーの指の隙間から血を吐きながら、ラプンツェルは叫んだ。
(もう、だめ! もう、いや! 助けて、誰か!)
言葉にならない叫びは、手負いの獣が唸るようだった。ラプンツェルは手足をばたつかせて抵抗し、そのことがニーダーを更に怒らせた。
ラプンツェルはこの日初めて、過激な暴力で気を失った。




