憎しみは消えない
今は優しいあなたの胸に凭れ、私はあなたの心に巣食う悪魔の変心に怯えている。以前のあなたは私を鞭打って、責めて、辱めた。それもすべて、私への愛の所為だと、あなたは涙ながらに訴えたけれど、暴力による支配が齎す恐怖は、今でも私を震えあがらせる。
もう二度と私を傷つけないという、あなたの誓いを信じられない。震える私の髪を撫でるあなたの腕に抱かれて、私はあなたの胸に顔を埋めて隠れてしまう。
あなたは恐ろしい悪魔。そして優しい夫。もてるすべてを、惜しみなく私に捧げる。
たとえば、薔薇色の夢を織り上げたかのような豪奢なドレスと、煌びやかな理想の結晶のような夥しい宝石の装身具。底知れない贅沢。
たとえば、不器用な手がいじらしく拵えた、咲き初める香り高い白薔薇の花束。それらが象徴する無垢な愛。
もしも、私がめくるめく倒錯を求めれば、あなたはきっと、私の足元に跪いて、あなたの血に彩られた赤い爪に口づけることさえ躊躇わないでしょう。
あなたは誇り高いブレンネン王である前に、唯一人の女を求める一人の男なのだから。叶わない想いは、私の何もかもすべてを奪わずにはいられないくらい。烈しく、狂おしく。
あなたが怖い。だけど、それよりも怖いのは、あなたの温もりに包み込まれると、あまりにも心地よくて、泣いてしまいそうになること。
あなたには一握りの優しさが残されている。あなたはきっと、本当はとても、優しいひとだったのね。あなたが心の底から憎んだあなた自身の弱さは、優しさの裏返しだと、私は思う。
あなたの優しさを愛したひとはいたけれど、あなたはすべての温もりを振り払ってしまった。あなたは、彼らの愛を信じられなかった。あなたは誰よりも、あなた自身を憎悪しているから。愛して欲しいと願うのに、愛される自分を信じられない。可哀そうなひと。あなたは孤独だった。
あなたには、独りで生きていける強さはない。だからと言って、孤独な死を受け入れる勇気もない。
あなたはあなた自身を散々忌避しておきながら、それでも、愛する人と寄り添う幸せへの憧憬を、諦めきれなかった。あなたには奇跡が必要だった。奇跡を起こしたくて、あなたは悪魔に魂を捧げてしまった。
優しさをもって強さを購ったあなたは、他の誰かの幸福をもってあなたの夢を購うことに、ほんの少しの躊躇いもなかったでしょう。
あなたは家族を手に入れた。貴方は今、幸せなのね。あなたを憎悪する妻を抱いて、妻が産んだ呪いの子を抱いて、あなたは幸せな夢を見ているのね。
『愛している』
あなたが繰り返し唱える呪文は、私の罅割れた心は揺さぶる。あなたは愛を求め、愛を謳うけれど、愛を知らない。あなたのお父様もお母様も、あなたに無償の愛を感じさせてくれなかった。血塗れの執着が、あなたにとっては愛なのね。あなたの心は、終わることのない悲しみに閉ざされてしまった。あなたは独りぼっちの王子様。お父様とお母様が手を差し伸べてくれることを夢見て、お部屋の隅で膝を抱えて泣いている。魂がそこから動けない。なんて可哀そうなひと。
それでも、私はあなたを許さない。
ねぇ。あなたは私のことを「奇跡の天使」だって言ったわね。悪魔を憐れみ、慈悲さえ与える天使だって。あなたはどうして、私に過剰な期待を寄せるのかしら。私があなたに愛を告白したところで、信じられない癖に。
私は天使なんかじゃない。大切な家族の幸せを冒涜したあなたに復讐を遂げる為なら、天使の翼なんて、そんなもの、千切って捨ててしまえる。断固として勝利する。手段は選ばないって決めたのよ。私は心を殺してしまうの。この身が損なわれることくらい、なんでもないわ。そう、苦痛を恐れちゃいけない。私の復讐は、貴方と私を切り裂く諸刃の剣なのだから。
私は復讐を誓った。貴方を追い詰める為なら、忌まわしい毒薬を煽ることさえ躊躇わなかった。燃え盛るような苦痛に襲われる最中だって、後悔なんかしなかった。
あのね、私、信じているの。神様は天の国におわすわ。だから、私とあなたの子はああして生まれてきた。鴉の濡れ羽色の髪は、私の大切な家族の色。緋色の瞳は、あなたと私の為に流れた血の色。罪深いあなたと私の息子に、ふさわしい色彩だと思わない? 私は、あの子の顔をみるたびに、復讐の誓いを思い出すのよ。
あの子の笑顔を覗き込んで、幸せな夢を見ている無邪気なあなたの傍らに侍り、わたしは雌伏している。あなたの息の根を止めるために。
良い夢も悪い夢も、私は要らない。私は逃げてはいけないの。
ずっと、ずっと、傍にいるわ。ニーダー、あなたの魂が絶望の果てに潰える、最期の最後まで。