一触即発
嘔吐の描写があります。
***
鞭を打たれるのは、おおよそ、七日に一度である。ニーダーの機嫌を損ね、酷く傷つけられ、治療が長びくこともままある。ニーダーはどんなに怒り荒ぶっても、ラプンツェルの背中が綺麗になるまで待ち、傷ついたラプンツェルを背負って部屋まで運ぶことも欠かさなかった。
いつしか、ラプンツェルが安らぐことが出来るのは、ニーダーに背負われている僅かな時間だけになっていた。厭うていた傷が、いつまでも消えないで欲しいと、願うようになっていた。
能動的に死に急いだのは一度きりで、それ以降はなかった。死に臨む気力もなくなっていたのだ。食事も喉を通らずに、どんどん衰弱していく。
それ以上に、針の上を歩くような日々はラプンツェルの心をすり減らせてしまっていた。
そんなある日。ニーダーが珍しく、昼間に夫婦の寝室を訪れた。
前回の鞭打ちから何日たったか、ラプンツェルはちゃんと数えている。七日たっていた。そろそろ、地獄から迎えがくる頃だったのだ。
ラプンツェルが寝台から身を起こそうとすると、ニーダーは慌てた様子で制止した。
「そのままで良い。君に食事をもってきた」
ニーダーの後ろには、いつも通り、覆面の騎士が控えている。いつもと違うのは、大きな体を屈めて、ワゴンを押していることだ。
ベッドの傍らに引いてきた椅子に腰かけると、ニーダーはラプンツェルの手をとった。だらりとした手を撫でながら、ニーダーは物憂げに目を伏せる。
「こんなに痩せて、かわいそうに」
(かわいそう? 笑わせてくれる。私をこんなにしたのは、あなたじゃない)
つい、物言いた気な視線を送ってしまうが、幸いにも、ニーダーは気付かなかった。ラプンツェルはしおらしく俯いて、長い髪で表情を覆い隠す。神経を研ぎ澄ませ、ニーダーの感情をはかろうとしていた。どうやら、鞭で打ちに来たのではないらしい。今のところ優しく振る舞っているが、このまま、何もせずに帰ってくれないだろうか。
ニーダーが微笑みを絶やさず、ワゴンの上のクロシュを取り上げるのを視界の端にとらえる。ニーダーの視線を感じたので、髪をかきわけ顔を覗かせる。トレイの上に、琥珀色のスープが入った皿と、銀のスプーンが並んでいた。
「君が食べやすいように、つくらせたスープだ。今日は贈り物も携えてきたんだが、食事が先だな。食べさせてあげよう」
得意そうに、ニーダーは言った。琥珀色の液体をスプーンですくい取る。立ち上る湯気が、ニーダーが吹きかけると息でゆらめいた。
ニーダーは、無邪気といってもいい笑顔で、スプーンを差し出した。
「さぁ、お食べ」
ラプンツェルは、鼻の先につきつけられたスプーンを前に、途方に暮れる。食べてほしいのは、わかるのだが、この体で食べられるとは思えない。臭いだけで、吐きそうなのだ。
ニーダーは、浮足立っているように見えた。まるで、母親に褒められるのを、今か今かと待ちわびているこどものよう。
ニーダーの笑顔が風前の灯だということは、嫌と言うほど思い知っていた。ニーダーの機嫌は、盤上の玉のように、僅かなかたむきで偏ってしまう。
ラプンツェルはぎゅっと目を閉じた。本当は鼻も摘まみたかったが、それはさすがにおかしい。
飲み込めますようにと祈りながら、スプーンを口に含んだ。
スープの芳醇な風味が口いっぱいにひろがる。ぬるい唾液がわき、どっと汗がふきだす。気分が悪くなる。溜飲がせり上がってきた。
ラプンツェルは頬を膨らませて耐えようとしたが、いっそう強くこみあげたものに突き崩され、唇がほどけてしまった。
ぱたた、と音をたてて、スープと胃液がまざった、気味の悪い黄色い液体がシーツにまだら模様を描く。
空気が凍りついたのを、肌で感じた。息が出来なくなる。
「……なぜ、食べてくれない?」
ニーダーの押し殺した声を、ラプンツェルは項垂れて聞いていた。
ラプンツェルの体と心は、いつもラプンツェルを裏切る。辛い思いをしたくないから、ニーダーを満足させたいのに、応えてくれない。
どん、と低い音がしてから、かしゃん、甲高い音がした。ニーダーが、ワゴンを拳で叩き、食器が跳ねあがったのだろう。
「拒食、だんまり。君の反抗はいつまでも続く? 君は深窓の姫君なのに、まるで不撓不屈の闘士だな。そうまでして、私を拒絶するのか」
ラプンツェルは答えない。何を言っても、ニーダーを怒らせるだけだ。いままでがそうだった。しかし、黙っていたからと言って、ニーダーが喜ぶわけでもない。
ニーダーは苛立たしげに息を吐く。拳が飛んでくるかもしれないと予想して、ラプンツェルは奥歯を噛みしめた。舌を噛んでしまうと、とても辛い。




