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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第十七話 《喪失》
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救いの手?

 灰色の薄闇を引き裂くような、烈しい音響が耳を劈いたかと思うと、罪人の塔は大きく揺れた。外からは、突風に吹かれた葦の葉のように見えただろうか。あたしは石壁の凹凸にとり縋り、激震を耐え凌ぐ。

 ぐらりぐらりと揺り返しはしばらく続いた。あたしは高鳴る胸を抑え、雨上がりのカエルのように、ひっしと壁に張り付く。一刻も早い事態の収束を願っていた。


 揺り返しが落ち着き、ほっと胸を撫で下ろしたあたしは、ようやく異変に気が付いた。


 耳を澄ませば、パチパチと小さく弾ける音が聞こえる。壁の凹凸を掴んだ指先に、赤々と熱せられた針を刺したかのような激痛がはしり、あたしは飛び退いた。目を凝らせば、積み上げられた石材の隙間で白銀の火花が散っている。


(カシママだ……生きているカシママだ!)


 ゾッと悪寒を感じて、顎のあたりがガクガクと震えるのを、どうすることも出来なかった。


 暴食の魔物、カシママ。知性や理性はもたず、容さえもたない。喰うことと殖えることしか能が無い。それこそ奴等の本質であり、厄介で、恐ろしくもある。


 カシママはあたし達、影の民の末裔やその眷属である殻の獣の天敵。ぶよぶよとした体は白銀の流動体で、どんなに狭い隙間にもするりと滑りこみ、あたし達を追いかける。堅強な輝殻を融かし、塩の肉を染みとおり、石の心臓が内に秘める命を貪ってしまう。


 カシママの暴食には限りがないとされ、石の心臓と塩の肉をもつものを見境なく捕食し、どんどん膨れる。大きくなりすぎると、土を掘って体を埋め、細く絞った触手を蜘蛛手に伸ばし、捕食を行うようになる。その最たるものが、ブレンネン王国を囲い込むカシママだ。愚かな人間どもはそれに「涙の聖杯」「銀の瀑布」なんて仰々しい名前をつけ、信奉している。あたし達を腐りきったブレンネン王国に閉じ込めた、忌々しい白痴の化物。あたしの心臓の匂いを嗅ぎつけたんだ。うぞうぞと蠢いているのは、おそらく、その断片。


(カシママのこけら落としがあったんだわ!)


「海」と呼ばれる程に大きくなったカシママは、巣に籠る。そこで際限なく喰らい、ぶくぶくと膨れ上がるんだ。限界まで膨張すると、余分な体をふるい落す。それをカシママのこけら落としと言う。


 だけど、妙だわ。ふるい落とされたばかりのカシママのこけらは、まず最初に、血肉をもつものの雌を探す。小さなカシママのこけらは小さくて脆弱だから、血肉をもつ雌の胎内に寄生して、その血肉を自分の体に置き換えて成長しなきゃいけない。それを何度か繰り返して大きくなり、石の心臓を狙うようになる。あたしはそう習った。


 それなのに、あたしの目の前にいるカシママのこけらは、旺盛な食欲をもって、あたしを狙っているらしい。


 あたしはじりじりと後退する。踵がカシママの格子にぶつかり、焼けつくように痛んだけど、所詮は切り離された断片、ただの死骸だ。生きているカシママの脅威とは比べようもない。


 だけど、だからと言って、カシママの格子を壊して、逃げ出すことなんか出来っこない。カシママは死骸になっても恐ろしい化物だもの。


 死骸にわく蛆がのたうつように、石壁の隙間から突きだしたカシママの突起がびちびちとはねている。なんておぞましい光景だろう。あたしは立っているのがやっとだった。頭の中がすっと空っぽになって、ふらふら崩れ落ちそうになる。


 と、そのとき。背後でガチャリと小気味良い音がした。錠前の鍵穴にぴったり嵌る鍵が差し込まれて、くるりと回転し、あたしを自由にしてくれる音だ。あたしはハッとして飛び上がるように振り返る。


 開け放たれた扉の傍らに、大男が黒々と立っている。

 まずは、ぺらりとした簡素な衣装の下で見事な筋肉が隆起する、雄偉な肉体に目を奪われる。親衛隊どもだって、揃いも揃って図体がでかいけど、なんだか、質が違うみたい。

 次に、僅かに覗く素肌の白さに目を瞠る。色白なんてものじゃない。これは白蝋の白さだ。なんて気味の悪い肌色だろう。

 そして、頭部にすっぽりと覆面を被る、風采の異様さに目を疑った。


 大男が硬直するあたしを手招く。大男があまりにも奇怪だから、あたしは命の危機を忘れて、思わず身を翻しかける。足元で、ばちん、と派手な音をたてて白銀の火花が散り、あたしは恐慌をきたした。金切り声をあげて、足を踏み鳴らし、闇雲に腕を振り回す。音も無く素早く動いた大男にむんずと腕を掴まれ、牢から引っ張り出された。


「いやっ、はなして!」


 あたしは助けて貰ったお礼も言わず、大男の手を振り払う。大男はぱっと手をはなし、すっと体を引いた。あたしは大男と距離をとり、身構える。


 なんのつもりか知らないけれど、どうせ、ろくなことにはならない。罪人の塔にいるってことは、ニーダー・ブレンネンの息がかかっているってこと。とどのつまり、悪事の御先棒の担ぎ手のひとりだってことだ。この男はあたしの命を助けるかもしれない。だけどきっとその後、いっそのことカシママに食われて死ねば良かったって、心底、後悔する羽目になるわ。


 大男は両腕を体の脇にだらりと垂らして、じっとしたまま動かない。と思ったら、唐突に、獣じみた俊敏さで、あたしが捕らわれていた牢に踏み込んだ。あたしはあっと声を上げた。カシママが蠢く壁際に向かって、男は躊躇いなく進んでいく。

 カシママの好物は石の心臓だけど、カシママに不用意に近付けば、血肉をもつ人間であっても、体を「もっていかれる」ことがあるってことを、この男は知らないんだろうか。


 大男はさっと身を屈めると、床に落ちていたものを拾い上げる。大男に避けられたカシママの触手が、口惜しそうに揺れている。


 大男は危険を犯して拾い上げたものをあたしに放って寄越した。反射的に、両手で挟むようにして受け取る。あたしは驚愕した。母様の形見のカメオがあたしの手の中にある。


 あたしは母様のカメオと大男を交互に見た。何度も何度も見比べる。大男の行動がまぎれもない親切に思えて、あたしはうろたえていた。と同時に、あたし自身の無礼を後悔する。ごめんなさい、と、ありがとう、を素直に伝えるべきだろうか。この途方も無くあやしい男に? ああ、ダメ、わからない。あたしの混乱は解けていない。


 途方に暮れていると、低い位置から、蚊の鳴くような声がした。


「リーナ……ねぇ、リーナ? そこに……いる?」


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