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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第十七話 《喪失》
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薄っぺらな愛

 

 ニーダー・ブレンネンの卑劣な脅迫は、一閃する剣戟のように、あたしの嘲笑を切り裂いた。だからあたしは、頬が引き攣れて瞼がぴくぴくと痙攣する不格好な素顔で、ニーダー・ブレンネンを睨みつけるしかなかった。

 わななく唇に鋭い犬歯を突き立てたところで、突き上げる憤怒を宥めきれず、あたしは全身を震わせる。


無辜むこの者に王権を振りかざし、暴虐の限りを尽くすなんて、貴様はそれでも国王か! 恥を知れ!」

「お前こそが恥知らずだ。礼儀も知らず尊大ぶる小娘奴、分際を弁えるのだな」


 あたしとニーダー・ブレンネンは激しく火花を散らして睨み合う。そうしているうちに、背筋をぞくぞくと悪寒がはしり、あたしは身震いをした。顎が震え、歯の根がかみ合わない。奥歯ががちがちと鳴っている。


 ニーダー・ブレンネンの怒れる瞳を直視すると、まるで、氷の湖に飛び込むような心地がする。あたしみたいな小娘の精神なんか、あっという間に氷漬けにされてしまう。

 あたしは耐えかねて、先に視線を逸らした。ニーダー・ブレンネンが漏らす失笑は凍えている。あたしは思わず知らず、首を竦ませる。


 あたしの心はうちのめされ、滅茶苦茶に荒れ果て、弱っていた。母様を亡くした怒りをばねに奮迅しようにも、それを上回る悲しみが重く圧し掛かってくる。


 あたしは忸羞たる思いに苛まれて項垂れた。あたしは負け犬だ。怖気づいて、尻尾を巻いて逃げ出したんだから。いや、違う。あたしは思い上がったバカ犬なんだ。勝ち目が無いのに、おかしな風に身を捩って突進して噛みついた。だけど牙は殆ど刺さらず、柔らかい腹を強かに蹴りあげられて、涎を垂らしてきゃんきゃん鳴いている。


 母様の形見のカメオを胸にあてる。母様を感じれば、心を落ちつかせることが出来たかもしれない。だけど、真紅の輝石は母様の鼓動も温もりも、感じさせてはくれなかった。


 母様は死んでしまったから。あたしの手の中にあるのは、魂のない抜け殻だから。母様はこの世界を通り過ぎてしまった。過ぎ去ってしまったものは、二度とかえらない。


 あたしはニーダー・ブレンネンを見上げた。臆病な子兎みたいな、おずおずとした、怯えた仕草に見えただろう。実際のところ、あたしは震えあがっていた。あたしの軽率な振る舞いの代償として、家族が殺されてしまうかもしれなかった。


 ニーダー・ブレンネンの背後に控える親衛隊の男どもの口元が嘲笑の形に歪んでいる。力尽きそうな命の頭上をぐるぐると巡る猛禽みたいに、あたしの心が屈するのを、今か今かと心待ちにして、そわそわしている。隅の方に、あの熊男がいた。ひょっとしたら、あの男はにやけ面で前に進み出て、ニーダー・ブレンネンに耳打ちしようとしているんじゃないか。「あの娘に思い知らせてやりたいのなら、良い方法があります。アンナという娘を、目の前で嬲り殺しにしてやれば良いんです」なんて、恐ろしい提案をしようって腹なんじゃないか。


 最悪の可能性にはたと思い至ると、あたしを支えていた意地は煙みたいに消えた。あたしはどうとまえのめりに倒れこむようにして、ニーダー・ブレンネンの足元にひれ伏していた。


「ダメ、やめて! どうか、お願いだから……あたしの家族に、酷いことをしないでください」


 あたしは惨めったらしく、懇願していた。こんなにやりきれない思いをしたことはない。だけど、やらなきゃならなかった。あたしの反抗のつけが家族に回るなんて、いけない。家族に酷い事をされるなんて、殺されるなんて、絶対にいけない。あたしは必死に許しを乞うた。


「ブレンネンの秘奥を駆使してお前を苦しめてやる」と脅かされたって、あたしはこんなに、無様にうろたえなかった筈だ。痛みに耐える特別な訓練を積んだわけじゃないから、実際に痛めつけられても毅然とした態度を貫けるかどうか、自信はないけど。今この瞬間、あたしが何より怖かったのは、家族を喪って、ひとりぼっちになることだった。


 あたしが下手に出ても、ニーダー・ブレンネンの凍りついたような白皙には、ほんの些細な変化すら見られない。良い気味だと勝ち誇ることも、見苦しいと憤ることもない。氷像のように冷たい男の、作り物めいた美貌は揺るがない。あたしはいよいよ恐ろしくなった。


「……そもそも、あたしにはまだ、家族が残されているの?」


 口にしてしまえば、漠然として渦巻いていた不安が凝り固まって胸を突き破ろうとするかのよう。あたしは藁にもすがる思いでニーダー・ブレンネンを見上げた。ニーダー・ブレンネンは影を纏って黒々と佇んでいる。長く豊富な睫は繊細に連なった霜のようで、瞳は氷柱のように尖っている。寒さに凍えたような唇がもったいぶるようにゆっくりと弧を描く。そこから紡ぎ出されるのは、耳を覆いたくなるような酷い現実に違いなかった。


 あたしは咄嗟に耳を塞いだ。男どものざわめきが聞こえることに焦りを感じて、あたしは叫んだ。


「嫌だ! あたしの家族が一人残らずいなくなるなんて、そんなの、絶対に嫌だ! 皆がいなきゃ、あたしは独りぼっちだ! もう、母様はいないのに……。ご主人様、小母さま、姉様……小父さま、兄様……ヒルフェ坊ちゃま、アンナ……姫様……! お願い、あたしを一人にしないで、置いていかないで……!」


 あたしはわっと泣きだした。憔悴しきったあたしは、焦燥と絶望の嵐に揉みくちゃにされると、ひとたまりもなかったんだ。

 希望は粉々に砕かれた。家族がいないなら、あたしは耐えられない。家族の皆に比べたら、たいしたことないって自分を鼓舞して、カシママのこけらに手足を焼かれる苦痛も、残酷な男たちに嘲弄される屈辱も耐えてきた。家族がいないなら今直ぐ、あたしの頭を粉々に粉砕して、全部、お終わりにしてしまいたい。


 振り絞る嘆きは、喉元を鋭く扼されて、押し潰される。刃の切っ先がほんの少し、喉の肉にめりこんでいる。息をする度に刃が傷口を抉り、血が流れている。

 痛みは燃えるようだったけど、あたしの体は凍りついていた。あたしは息を詰めて身を竦ませる。のけぞって逃げれば痛みと恐怖からひとまずは解放されるだろうけど、出来なかった。ニーダー・ブレンネンの瞳は青い焔のようにめらめらと燃えていて、睨みつけられたあたしはまるで、獅子に抑えつけられたネズミだったんだ。


 ニーダー・ブレンネンはあたしを凝視している。青白い顔は死面のように固く冷たい無表情だったけれど、綺麗に整った見せかけの内側の、腐りきった心が煮え滾っていることがわかる。


「貴様ら狂人どもの姫などいない。ラプンツェルはブレンネンの王妃となった。彼女はブレンネン国王たる私のものだ。世界中の誰よりも、彼女を愛しているこの私のもの」


 あたしは呆気にとられた。ニーダー・ブレンネンの怒気に圧されて、怯んで、縮み上がっていたあたしの心臓が、どくんと大きく脈打つのを感じた。


 ニーダー・ブレンネンは、窓からお顔を出した姫様に一目惚れしたんだと、噂に聞いた。言葉も交わさないうちに、姫様を王妃として迎えることを、ニーダー・ブレンネンは勝手に決めてしまった。ご主人様は国王の要求を拒むことが出来ず、姫様本人の意思を尊重し、求婚を受け容れるか否かの判断を姫様に委ねることにした。弱気なご主人様とは対照的に、姫様はきっぱりと、ニーダー・ブレンネンの求婚を拒んだ。それでも諦めずに、長い間に渡って通い続けるニーダー・ブレンネンのしつこさに、姫様は辟易していた。素っ気なく拒絶する姫様が、あんなに冷たいお顔をするなんて、あたしたち家族は知らなかった。業を煮やしたニーダー・ブレンネンは、十六歳の誕生日を迎えた姫様を浚って、王妃の座に据えた。姫様は嫌がっていたのに。高い塔の家族とずっと一緒にいたいと、願っていてくれたのに。


 姫様は綺麗な方だ。銀色の長いお髪、宝石のような青い瞳、端正なお顔立ち、妖精のように華奢な体つき。どれをとっても綺麗。だけど一番綺麗なのは、姫様のお心。あたしたち家族を深く愛し、想いやってくださる、優しいお心だ。

 ニーダー・ブレンネンは姫様の本当の美しさを知らない。姫様の美貌に目が眩んだだけ。そんな薄っぺらなもの、愛と呼ぶに値するわけがないじゃない。


 それなのに、姫様を我が物にしたつもりでいるなんて。肉体なんて所詮は魂の容れ物でしかないものの、上辺の美しさに執着しているに過ぎない癖に、世界中の誰よりも愛しているだなんて。


「なにを、寝惚けたことを言っているの?」


 あたしは総毛立っていた。声が掠れる。体の芯が浮き上がっている。あたしはカッと頭に血をのぼらせた。


 相手は悪魔だ。逆らっちゃいけない。あたしだけの問題じゃないんだから。そのことをついさっき、思い知った筈なのに。あたしは黙っていられなかった。黙っていたら、駆け巡る怒りで体が破裂してしまいそうだった。


「姫様はあたし達の家族だ! あたし達は姫様を大切に想っていて、姫様もあたしたちのことを大切に想っていてくださる! あたしたちは愛し合う家族だもの! あたし達の命と自由は奪えても、高い塔の家族の絆は、奪えない。悪魔にだって、絶対に!」


 ニーダー・ブレンネンが僅かに目を瞠る。青い瞳の中で大きくひろがる瞳孔が深淵の底のように黒い。あたしはそこに、ニーダー・ブレンネンの動揺を見たつもりだった。さらに揺さぶりをかける為に、ニーダー・ブレンネンを糾弾した。


「掛け替えのない大切な家族が、こんなことになるなんて、姫様はどんなに嘆かれるだろう! あんたが、高い塔の家族にした仕打ちを姫様がご存知なら、姫様はあんたのことを許さないに違いないわ。姫様は、誰よりも家族を愛してくださるもの。だから、あんたの求婚にだって応じなかったのよ。姫様はミシェルとは違う。王妃の座に目が眩んで、家族を捨てるような方じゃない。姫様はあたしたち家族と離れ難く思ってくれていた。姫様はあたしたち家族と、ずっと一緒にいることを望んでくれていた。高い塔の暮らしが、姫様のお幸せだった! それをあんたが奪ったのよ! あんたは姫様を愛していると嘯きながら、姫様を不幸にしたんだわ!」


 あたしは高らかに断言した。ニーダー・ブレンネンが意図的に意識から除外したものを正面から突き付けてやった。

 わかりきっている筈だ。想像力の欠片もない悪魔であっても、愛する家族を奪われた善良な少女の不幸は火を見るより明らかなのだから。


 ニーダー・ブレンネンは、虚をつかれたように、きょとんとした。だけどそれは瞬きの間のこと。見間違いかもしれないくらいの、ほんの一瞬のことだ。


 肩を喘がせるあたしを、ニーダー・ブレンネンは完璧な澄まし顔で見下ろしている。あっさりと刃を引き、血振りをして腰に佩びた鞘に納める。刃が遠ざかると、喉の傷がじくじくと痛みを訴え出す。過剰な興奮がすっと引いていって、おまけに血の気もひく。下手を打ったことは明白だ。あたしが惨めに許しを乞うことで、ニーダー・ブレンネンはやっと、狂気の刃を納めるつもりになっていたかもしれないのに。怒らせてしまった。今度こそ、どうしようもないかもしれない。


 ニーダー・ブレンネンは怒りを露わにしなかった。ただあたしの目を真っ直ぐに見ていた。


「お前の、掛け替えのない大切な家族とやらのうち、いくらかの、若く健やかな者は生きている」


 あたしは耳を疑った。ニーダー・ブレンネンがあたしの質問に答えた。しかもその答えは、あたしの想像よりもずっと良い、希望のあるものだった。


 ニーダー・ブレンネンはくるりと踵を返し、戸惑うあたしに背を向ける。振り返らずに、ニーダー・ブレンネンはこう言った。


「お前が気にかけている娘……名をアンナと言ったか。その娘をこちらの房にうつそう。妹に話をせがんで、思う存分聞き出すと良い。愛する家族が仲睦ましく過ごしている様子を」


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