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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第十七話 《喪失》
158/227

失ったもの

残酷な描写を含みます。ご注意願います

 

 あたしは、しっかり者のリーナ。目標は、自慢の母様の自慢の娘になること。あわよくば憧れの姫様の、誰よりも信頼の置けるメイドになりたい。勤勉で優秀な小母さま、姉さま達を差し置いて、一番をとるのはかなり難しいだろうけど、あたしは努力を惜しまない。


 マットレスにはしっかりブラシをかけているし、カーテンはゆすって叩いて、吊り棒の埃も刷毛で丁寧に払っている。窓硝子をぴかぴかに磨くのなんてお手の物、床の擦り洗いだってお任せあれ。母様にハウスメイドの仕事を徹底的に仕込まれたあたしにかかれば、どんなに狭い隙間にだって塵ひとつ残らない。ベッドの仕掛けの角はきっちり折り返すし、水差しは忘れずに冷たいお水で満たすことを忘れたことがない。あたしの仕事は一流だ。


 あたしの後をひよこみたいに付いて回るアンナが


「きゃっ、いっけなーい!」


 カーテンを破いたり


「きゃっ、やだぁ、やっちゃった!」


 バケツをひっくり返して汚水をぶちまけたりして、どんなに足を引っ張ってくれちゃっても、その片づけを含めて時間内に終わらせることが、あたしには出来る。なんてったって、一流のハウスメイドだもの。


 だけどそこに裸のヒルフェお坊ちゃまがやって来て


「ねぇねぇ、リーナとアンナ! 俺のパンツ、俺の脱ぎ散らかしたパンツ、知らない? 知らないの? じゃあ、一緒に探してよ。何処だろう? ここかなぁ? 何してるのさ、ほらほら、リーナはそっち、アンナはそっちだ。早く見つけて、パンツだけでも履いておかなきゃ。またシーナに小言を言われちゃうよ」


 綺麗に片づけたお部屋を散らかしたり


「ねぇねぇ、リーナとアンナ! 退屈だから一緒に遊ぼう! 姫姉さんに遊んで貰いたくてお部屋に忍び込んだら、シーナに見つかって追い出されちゃってさぁ」


 あたしの腕をぐいぐい引っ張ったりして、たっぷり邪魔をしてくれちゃったら、流石に間に合わない。一流のハウスメイドにも限界ってものがある。


 あたしはてきぱきと完璧なお仕事をする、母様みたいな家政婦になりたくって、毎日頑張るけど、同い年の二人の家族がこんな調子だから、あまり上手くいかない。あたし達は毎日のように、母様や小母さまたちに叱られてる。


 叱られるのはあたしだけじゃなくって、アンナとヒルフェお坊ちゃまも一緒だけど、矢面に立たされるのは、いつもあたし。チビのアンナはあたしの背中にすっぽりと隠れるし、ご主人様のご嫡男であらせられるヒルフェお坊ちゃまは、たいていの迷惑は目溢しされる。元凶はだいたいこいつ……このお方、なのに。ヒルフェお坊ちゃまを遠慮なくぴしゃりと叱りつけるのは、母様くらいだ。


 そもそもヒルフェお坊ちゃまは、信じられないくらい、神経が図太い。高い塔の家族に恐れられる母様に雷を落とされてもへっちゃらで、へらへらしていられるくらい。だから、お説教の後、しょぼくれるのはあたしだけ。ヒルフェお坊ちゃまはあたしの肩をばしばし叩いて、あっけらかんとした笑顔で呑気な慰めを言う。


「元気出して、リーナ! シーナに叱られるのなんて、殆ど毎日のことだもの。僕らはもう慣れっこじゃないか! 平気、平気!」

「……誰の所為で毎日怒られてると思ってるんですか……」

「あっ……もしかして、あたしが頼りない所為かなぁ……? リーナ、迷惑かけちゃってごめんねぇ?」


 ヒルフェお坊ちゃまの無神経な能天気さにむっとして、ちくりと嫌味を言うと、アンナにくんと袖をひかれる。しゅんとしたアンナの、潤んだ上目遣いに顔を覗きこまれれば、あたしの中の憎まれっ子は口を噤まなきゃいけなくなる。


 甘え上手なアンナのことだ、このしおらしさが本物なのかどうか、わかったものじゃない。事実、こんなやりとりをもう何度も繰り返したけど、アンナは相変わらず、あたしにべったりで、あたしに頼りきりの甘ったれのままだ。でも、それが可愛いから、困るんだ。苛々させられることも多いけど、アンナの面倒を見てあげるのは、あたしにとって当たり前のこと。


「あんたは、気にしなくていいのよ。あんたの足りないところは、あたしが補ってあげるから」


 大きな溜息をついて、アンナの頭を撫でてあげると、アンナは光り輝くような笑顔を見せる。ぎゅっと抱きつかれて「えへへ、リーナ大好き」なんて言われたら、もうお手上げだ。


 アンナはあたしの双子の妹だ。と言っても、あたしの母様が産んだのは、あたしだけ。アンナの産みの母様は、アンナを産んですぐに、殻の病にかかり、亡くなってしまった。アンナの産みの母様は、六人の姉様と三人の兄様を高い塔に授けてくれた、立派な「高い塔の母様」だ。アンナを産んだときはだいぶご高齢で、皆に惜しまれながら、眠るように安らかに、石の心臓は鼓動を止め、魂は飛び立ったそうだ。

 だから、アンナは一月前に産まれたあたしと、母様のお乳を分けあって育った。あたしたちは乳姉妹。双子の姉妹みたいにして育った。あたしたちは、何をするにもいつも一緒。姫様も、ヒルフェお坊ちゃまも、他の兄様、姉様達も、あたしの大切な兄様姉様たちだけど、アンナはちょっと特別。たったひとりの妹で、おまけに双子の妹なんだから。あたしが守ってあげなくっちゃ。


 アンナの掌でころころ転がされるあたしのひっつめ髪を、ヒルフェお坊ちゃまはぐしゃぐしゃに掻き乱す。ヒルフェお坊ちゃまはいつまでたっても、無邪気で無神経だ。


「そうそう、その調子その調子! 気にしないで、リーナ。仕事を疎かにして遊んでばかり、なんてシーナは言ってたけど、リーナはいっつも頑張ってるって、俺は知ってるぞ! たまには息抜きも必要なのさ!」

「だから、誰の所為で怒られてると思ってるんですか! ああ、ヒルフェお坊ちゃまはおバカだから、おわかりになりませんね! ヒルフェお坊ちゃまが邪魔しなければ、次のお仕事に遅れずに済んだんですけど!」

「ええっ、俺の所為だって言うのかい!? そんな言い方ってないよ! 俺はいつも退屈なんだからさぁ、てきぱき仕事して、俺と遊んでくれないと困るぞ! 泣くぞ、男の癖にみっともなく泣いちゃうぞ!?」

「やめてください、恥ずかしい! 遊んであげますよ、お仕事が片付けば! それなのに、お仕事中にちょっかいかけて、邪魔するんだから、ヒルフェお坊ちゃまが悪いんです!」

「だって、退屈なんだよぉ!」

「そんなに暇なら勉学に励んでください! 高い塔の主に相応しい知識と教養を身につけてくれないと、あたしたちは安心できません。ブレンネン国王は、頭でっかちの気難し屋だって言うじゃないですか。少年時代を贅沢にも無駄に過ごした、色白で陰気な……お坊ちゃまは、そんな厄介な人間と渡り会わなきゃいけないんですよ? 姫様を、お守りしなきゃいけないんですよ?」


 語勢を荒げて、喚いているうちに、あたしは陰鬱な気分になって、項垂れた。ヒルフェお坊ちゃまには、しっかりして貰わなきゃいけないんだ。ブレンネン王国の国王が、あたしたちの姫様に求婚していることを、高い塔で知らない者はいない。その求婚を歓迎する者だって、誰もいないんだ。


 当代のご主人様は争いを好まないお優しい方だ。だけど、こんなこと言っちゃ、本当はダメなんだけど……ちょっと、弱腰で、頼りない。ご主人様は姫様を溺愛してるけど、ブレンネン王家に譲らずに守り抜けるか心配だ。それなのに、ヒルフェお坊ちゃまはこんな調子で……本当に大丈夫なのかな。

 そんなあたしの不安をよそに、ヒルフェお坊ちゃまは笑った。またお得意の無神経か、と神経を尖らせかけたけど、お坊ちゃまの笑顔をまじまじと見て、あたしは戸惑う。お坊ちゃまのこんな悪い笑顔、初めて見た。


「心配しなくても、そんな厄介な男に姫姉さんは渡さないよ。父もそのようにお考えさ。高い塔はミシェル叔母様をブレンネンに譲ったばかりだもの。ミシェル叔母様はご立派にお役目を果された。銀髪碧眼の王子を二人ももうけたんだからね。だから次代の姫姉さんは高い塔の家族のものだ。ゆくゆくは俺の子供を産んで貰うって決まってるんだぞ。影の民の血が無いと、同族すら纏めあげられない無能の血族が、盟約を破るなんて許されない」


 ヒルフェお坊ちゃまは、力強く断言した。あたしは、もう、びっくりして、言葉もない。あのヒルフェお坊ちゃまが、とても頼もしく見えたんだもの。ヒルフェお坊ちゃまに励まされる日が、こんなに早くくるなんて、思ってもみなかった。


「そぉだよぉ! 姫様はぁ、あたしたちの姫様だもん。あたしたちと、いつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし! だよねぇ?」


 アンナが鼻にかかった甘えた声で言った言葉を聞いて、あたしだけじゃなくって、ヒルフェお坊ちゃまも幸せな笑顔になれた。


 これからも、ずっと一緒。ずっとずっとずっと、あたしたち家族は誰ひとり欠けることもなく、ずっと一緒。いつまでも幸せに暮らすんだ。幸せしか知らないあたし達は、信じて疑わなかった。


 高い塔の家族は、愛し愛されて、幸せだった。今日よりもっとずっと素敵な明日を夢見て、指折り数えてた。

 忍び寄って来る悪魔の恐ろしさを、全然、分かってなかった。


 限られた世界に築き上げた、あたしたち家族の幸せは、白銀に燃え上がり、がらがらと音をたてて崩れ落ちた。




 いくつの夜を超えたら、夢は凍りつき、涙は枯れ果てるんだろう?


 何もかも失った。全ては奪われた。見えなくなってしまった姿は、聞こえなくなってしまった声は、会えなくなってしまったひとは、二度と戻らない。戻らないものに想いを馳せるのは、とても苦しい。


 それなのに、眩しいあの日々を、繰り返し夢に見る。涙に溺れるくらい泣いても、涙は枯れない。いつまでも、ずっとずっと。幸せではいられなかった。だからどうしようもなく、胸が張り裂けそう。




 初めてニーダー・ブレンネンの姿を目にしたとき、あたしはあっと驚いた。影に色がついたような、陰気で冴えない風采の男だろうと勝手に決めつけて、想像していた姿とは似ても似つかない。ニーダー・ブレンネンは、惚れ惚れするような美男だった。


 端麗な容姿がもつ鋭さは、均整のとれた長身に不可侵の気品を鎧のように纏わせる。

 銀糸の髪は、白銀の焔をはね散らして輝く。


 そんな、詩的な、気障な表現がぴったり当て嵌まってしまう、美しさだった。


 ブレンネン王家の冷たい色彩も相俟ってまるで「名工が水底の氷を彫り刻んだ傑作みたい」だ。姫様が言った通り。ニーダー・ブレンネンは、姫様が言った通り、とても綺麗で、とても恐ろしい……悪魔だった。


 姫様は奪われて、高い塔は燃やされて、小母さまたち、小父さまたちは皆殺されて、ご主人様と母様は生け捕りにされた。あたしたちみたいな若者達も殺されず、生け捕りにされて、荷馬車に積み込まれた。


 皆、家族を守ろうとして、死に物狂いで戦った。だけど、多勢に無勢。寄ってたかって、銀の瀑布を切り出した、カシママのこけらの剣で斬りつけられて、祓い火で焼かれて、あたしたちは負けた。抵抗した家族たちは、その場で手足を斬りおとされた。


 激しく抵抗したあたしは、両耳の耳殻をそぎ落とされ、カシママのこけらの手枷と足枷を嵌められて、拘束された。あれだけ大暴れしたんだから、真っ先に手足を切り落とされるべきだったのに。両腕を切り落とされたのは、あたしじゃなくって、アンナだった。


 あたしは無様にうろたえていた。あたしより、アンナが酷い目に合ってしまった。こんなことは初めてで、あり得なくって。こんなの、おかしい。


 荷馬車の荷台に放り込まれたあたしは、這い回って、アンナを探した。カシママのこけらが触れる手首と足首からぶすぶすと煙が上がり、あたしの周囲には肉が焼け焦げる臭いが立ち込める。傷つき涙する姉様たちが、あたしに気付いて、ぎょっとしていた。何か言葉を……きっと、優しい言葉をかけてくれたんだろうけど、あたしには届かない。


 アンナのことで頭がいっぱいだった。甘え上手で、ちょっと狡いところがあるけど、泣き虫で弱虫な、チビのアンナ。あたしの双子の妹。酷い目に合って、きっと泣いてるわ。きっと、怖くて悲しくて、痛くて苦しくて、辛くて堪らない筈。あたしが傍にいて、励ましてあげなくちゃ。あたしはアンナの姉様だもの。


 肌が爛れ、肉が焼ける。痛くて苦しい。絶叫して、転げ回れば、少しは苦痛をまぎらわせることが出来るかもしれない。だけど、そんなことをしている暇はないんだ。アンナへの、たったひとりの妹を守らなきゃって想いが、あたしを突き動かしてた。


 激しく揺れる荷馬車の中で、あたしはついにアンナを見つけ出した。アンナは可愛い顔は、血と汗と、涙と洟と涎に塗れて、ぐちゃぐちゃだった。あたしは、枷がアンナに触れないように、注意を払いながら寄り添う。わっと泣いてあたしの胸に飛び込んだアンナの温もりを感じると、涙が出そうだった。だけど、泣いちゃダメ。あたしは姉様だし、アンナはあたしより酷い怪我をしていて、もっと辛いんだから、泣いちゃダメ。あたしは自分にそう言い聞かせながら、噛んで含めるように、アンナに語りかけた。


「アンナ、怖かったでしょ。弱虫の癖に、よく頑張ったね。偉いわ。もう大丈夫、あたしが傍にいるから、平気よ。心配しないで。あたしたち家族はまだ生きている。心臓が鼓動する限り、宿り換えが出来るの。知ってるでしょ? 宿り換えに成功すれば、体の欠損は元通りになる。だから、今は辛いけど、耐えるの。あたしが絶対に、あんたを助けるから。だから、それまでの我慢よ、いい? アンナ?」


 だけど、希望が逃げ出してしまった心から絞り出した前向きな言葉なんて、虚しいばっかりで。頼もしい母様は囚われの身。無事でいて欲しいけど、五体満足ではいられないだろう。小母さまや小父さまは、もういない。あたしは耳殻を千切られただけで、手も足も使えるけど、あたしみたいな小娘に、一体何が出来るんだろう。こんな大口を叩いて、何が出来るつもりなんだろう。


 あたしの無責任な励ましと慰めは、アンナをさらに苦しめてしまったのかもしれない。だけどアンナはあたしを責めたり詰ったりしなかった。アンナは洟を啜り、あたしの首に頬ずりをした。


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