偽りの誓い
退路を断たれ、ラプンツェルの決心が揺らぎそうになる。目をきょどきょどさせるラプンツェルの髪を、ニーダーは一房手にとった。高い塔の家族たちに愛され、シーナが大切に手入れしてくれた自慢の髪を、残酷な男の手慰みに弄ばれている。汚らわしいと振り払えないのが、やるせない。
ラプンツェルの眉間に寄った苦悩を楽しむように、ニーダーはもったいぶった口調で言った。
「民草は国の財である。ここが不毛の地にならぬよう、囲い守るのが我らの務め。畑を荒らすウサギは、帽子とシチューにするものだ」
「そんな……信じて、ニーダー! わたしたちは、城下のひとを襲っていない!」
ニーダーは朗笑した。こども相手にそうするように、ラプンツェルと目線の高さを合わせる。噛んで含めるように、ニーダーは言った。
「もちろんだとも。私はわかっているよ。そうとも、君たちは肉を喰うが、人間は喰わない。それが、ブレンネン王家と高い塔に住まう者との盟約のひとつだからな。だが、怯えた民衆には、その重要性を理解するだけのゆとりがない。公開処刑は必至なのだ。ビルハイムには、死んでもらわねばならない」
ラプンツェルが叫ぶ。愛する父親の惨い死を示唆されて、辛うじて繋ぎとめていた正気が弾け飛びそうだった。
ニーダーはうるさそうに眉を潜めたが、柔和なつくり笑いを浮かべる。髪を振り乱し絶叫するラプンツェルを、あやすように柔らかく抱きしめた。
「ただね……ラプンツェル。いいか、よく聞け。今宵、高い塔は燃えた。ビルハイムの火炙りは避けられないが……他の者たちならば、焼死したと偽り、命を救うことが出来るかもしれない」
ラプンツェルの喉が細く鳴った。ニーダーがあっさりと譲歩するのが俄かに信じがたく、疑いを誤魔化せない。ニーダーはラプンツェルの顔を見ると、寂しそうに笑った。
「愛しい妻よ、私とて、君を苦しめたいわけではないのだ。出来ることなら、君を喜ばせてやりたい。王が民を欺くことなど、本来はあってはならぬこと。しかし、そうすることで、君が愛を返してくれるのなら……私はそれと知りながら、罪を犯しても構わないと思う」
ニーダーの言葉を聞きながら、ラプンツェルは乾いた笑いをなんとか抑え込んだ。
ラプンツェルを家族から引き離しておいて、家族を傷つけておいて、殺しておいて、よくも愛を乞えるものだ。
ニーダーの求愛は、まるで物乞いのように疎ましく、あさましい。その厚い面の皮を剥いで、靴の底に張り付けてやりたい。
しかし、どれほど憎らしくても、ラプンツェルには端から、選択肢など与えられていない。ラプンツェルは、声を震わせながらなんとか言った。
「お父様は……お父様は、どうしてもだめ? どうしても、救えないのですか?」
「ラプンツェル。あまり無理を言わないでくれ」
ニーダーは疲れたように溜息をついた。ラプンツェルは彼の仕草のひとつひとつから、何かしらの負の感情を読み取り怯えてしまう。それが不本意で、屈辱に唇をわなめかせる。
心をこめて仕えてくれた家族たちの為に、心をきめなければならない。それが高い塔の姫君であり、ビルハイムの娘である自分の務め。そう理解していても、おいそれと割り切れるものでもなく、ラプンツェルの返答はぐずぐずと遅れる。
ニーダーの機嫌が、目に見えて悪くなった。
「気に入らないのなら」
ニーダーが低い声で言いかけた言葉を掻き消すように、ラプンツェルは叫んだ。
「わかりました!……父は高い塔の主です。皆を守る為ならば、犠牲になる御覚悟もおありでしょう……! そうしてください。生き残った、他の皆をどうか、お助けください」
言い終えると、ラプンツェルはすさまじい虚脱感に襲われた。
世界中から、ありとあらゆる素敵なものが消失してしまったようだ。何もかも、うすっぺらに感じる。足場さえも紙で出来ていて、今すぐ抜け落ちてしまいそうだ。
けれど、これしかなかった。ラプンツェルは父を見捨て、魂を悪魔に売り飛ばし、やっと家族の命を買い戻した。
ニーダーは頷いた。獲物を腹におさめた獅子のように、満足そうだ。だがその目はまだ飢えている。
ニーダーはすっと身を引く。生れながらの支配者は、厳かに命じた。
「ならば跪き、誓うが良い。私へ捧げる、真の愛と献身を」
(冗談じゃない、そんなの絶対にいや! 死んでもごめんだわ! 助けて……ゴーテル!)
ラプンツェルは心の中でそう叫びながら、唇を噛みしめた。頭を振って逡巡を打ち消し、倒れ込むように跪く。軋む首をなんとか逸らして、ニーダーを見上げる。
「愛します、生涯をかけて、あなただけを……」
ラプンツェルは、おぞましい化物の足元に額づき、偽りの誓いを立てたのだった。