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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第十三話『独白』
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ニーダーと俺3

 俺は正しいつもりだった。俺の怒りは義憤で、言葉は正論だ。


 それなのに、ニーダーの目は間違いなく、俺を咎めていた。氷の刃で斬りつけるみたいな視線だ。俺は取り乱しちまって、訳も分からずに言い訳をしていた。


「慎しみを忘れた女は、生家及び祖国の恥、なんだろ? 正しい在り方に導いてやるのが男の義務だって……ヨハンが言ってたぞ。だって、それが常識だもん」


 言葉を重ねるほどにニーダーの白い顔色が、ますます白くなっていく。そうすると、屍の像みたいで、俺は怖くなった。反論の言葉は凍える吐息みたいに消える。俺は俯いて唇を噛みしめた。


 俺は間違っていない筈だった。それなのに、ニーダーを怒らせたらしい。俺は混乱していた。


 息が詰まるような沈黙がしばらく続いた。ニーダーが溜息をつく。顔をあげた俺は絶句した。ニーダーが険悪に潜めた眉の下で、瞳が青い炎みたいに燃え上がっていたからだ。ニーダーは凍えるような声調で唾棄した。


「どいつもこいつも……変わりはないようだな」


 俺は茫然として立ち尽くしていた。


 あの頃の俺にとって、ニーダーはちょっと意地悪で、なんだか不思議で、退屈していた俺をわくわくさせてくれる、優しい友達だった。だから、俺は唖然としたんだ。あんたが怒りを露わにすることなんてないと、思い込んでいた。そして、まだ思い込んだままでいたかった。


「ニーダー? ……怒ったの?」


 俺は縋りつくように訊ねた。あの頃のニーダーはまだ、俺に優しかった。はっとして、それから気まずそうに目を泳がせて、そして、少し微笑んで、俺の傍にやって来る。俺を怯えさせないように配慮してくれたんだろうな。ニーダーは屈んで、俺に視線の高さを合わせると、唇を引き結んでニーダーを見上げる俺の頭の上で、すらりとした手をぽんぽんと弾ませた。


「ノヂシャは悪くない。怖がらなくて良いんだ。大丈夫、大丈夫」


 ニーダーの優しい声で紡がれる言葉を聞いて、優しい微笑みを見て、優しい手を感じて、俺はほっとした。だけど、それを悟られるのが癪で、乱暴にニーダーの手を振り払って、噛みつくみたいに吠えた。


「おれが、ニーダーなんかを怖がるわけがないだろ! 図に乗るなよな!」


 ガキの強がりだ、ニーダーは見抜いていたと思う。だけど、優しいから、気付かないふりをしてくれた。ニーダーは降参だって言って、両手を肩の高さに上げて後ずさる。俺がかっかしているのを、苦笑いして眺めていたニーダーが、唐突に切り出した。


「そうだ、ノヂシャ。君が摘んでくれたあの花。ちょっと貸してくれないか」


 ニーダーは素晴らしい思いつきをした、って言わんばかりの晴れ晴れとした笑顔を浮かべて、手を差し出した。俺はつんけんするのをうっかり忘れて、ポケットから花を取り出すと、ニーダーに手渡した。ニーダーは、よれよれの花をそっと引っ張って、丁寧に伸ばしながら、明るく笑う。


「これは、君の花なんだ」

「こんなちっぽけな、くすんだ色の花が、おれ?」


 心外だ。あまりに心外で、大声を出していた。


「全然似てないよ! おれはこれから大きくなるし、髪は綺麗な銀色だ! こんなんじゃない! ……あんた、やっぱりおれをバカにしてるんだろ!」


 俺に詰め寄られてニーダーはうろたえたみたいだった。ニーダーは結構な頻度で俺をからかって、ちょっとした意地悪を仕掛けてきたけど、この時はそうじゃなかったんだ。俺が怒るとは、夢にも思わなかったみたいだ。


 ニーダーはしばらくの間、俺を宥めようと腐心していたけど、俺が大暴れする腹の虫をおさめるつもりがないってわかったらしい。疲れ果てて溜息をついた。傾げた額を抑えて、頭を振った。


「君はそうやって、早合点してかっかする。褒められた振る舞いじゃないな。人の話は最後まで聞こう」


 顔色が変わるのが、自分でもわかった。そんな風に言われると、俺は絶対に引き下がれない。

 俺には、どうしようもないへそ曲がりの暴君みたいな一面がある。相手が下手に出るとつけあがるけど、上から押さえつけられると癇癪玉が破裂する。


 この時もそうだった。俺のご機嫌とりをするニーダーの態度が卑屈だと腹をたてていた筈なのに、呆れたニーダーが俺を窘めると、さらにむかっ腹をたてた。俺は両腕を振り回してニーダーの腹を滅茶苦茶に殴りつけた。


「うるさい、おれに指図するな! おれはこの国の王子だぞ! おれをバカにするってことは、ブレンネン王国をバカにするってことなんだからな! 不敬罪だ! 最悪な囚人を集めた牢獄に叩き込んでやる!」


 俺はかんかんになって怒鳴った。口走った脅迫の意味はよくわかっていなかったけど、こう言って脅せば、誰だって怯えて許しを乞うと思っていたんだ。誰かの言葉を真似ていたのかもしれないけど、よく覚えていない。


 ところが、俺の脅しはニーダーに通用しなかった。寧ろ逆効果だったのかもな。揺るぎなく俺の前に立ちはだかるニーダーは、険しい断崖みたいだった。


「君はいつも、思い通りにならない相手を、そうして従わせているのか?」


 ニーダーが厳しく言った。どうやら、今度こそ、本気で怒らせたらしい事は、短慮なガキにもわかった。


 俺は唇を噛みしめた。心がずっしり重くなって、胸がむかむかする。なんでこんなことになったんだろうって考えていた。こんなことになるんだったら、ニーダーに会いに来てやるんじゃなかったって心底、後悔していた。


 ニーダーは腰に手を当てて、俺の旋毛を見下ろしている。何も言わないニーダーは、俺が反省するのを期待していたのかもしれない。もしもそうだとしたら、期待に添えなくて悪かったな。生憎と、俺はろくに叱られた経験がない生意気なクソガキでさ。そもそも、王子の俺にやっちゃいけないことがあるなんて、誰も教えてくれなかった。


 ニーダー、あんたが教えてくれたんだ。


 ニーダーは俺の名前を呼んだ。意固地になって黙り込む俺に、顔を上げるように言った。俺は当然のように無視を決め込んだ。そうしたら、あんたは躊躇いなく、俺の前に跪いた。 

 びっくりした俺の目を真っ直ぐに見つめるニーダーは、これ以上ないってくらい、真摯に俺に向き合っていた。


「聞いてくれ、ノヂシャ。王族の矜持はブレンネン王国が尊くある為に必要なのだろうが、それに見合う聡明さを持ち合わせていなければ、ただの驕りに成り下がる。短気を起こして、感情論を喚き散らすべきではない。支離滅裂な罵詈雑言をぶつけられようとも、辛抱強く耳を傾け、真意を推し量り、慎重に吟味する。いずれ王になると自負するのなら、思慮深くあるべきだ。都合の悪いことから逃げるのではなく、立ち向かわなければならない。王はその一言で、人の生死すら左右してしまえる。権威に伴う重責を自覚しなさい」


 俺はニーダーを見つめた。ニーダーの言うことは難しくて、完全に理解することは出来なかった。だけど、ニーダーの気持ちは伝わってきたんだ。ニーダーは俺のことを思いやってくれている。それが分かるから、その気持ちが嬉しいから、だから。バカな自分が歯がゆくて、悔しかった。


「ニーダー……おれ……バカなのかな?」


 問いかける声が、うんざりするくらい、よわよわしい。俺こそ、まるで女みたいだった。

 ニーダーはきょとんとしている。俺の心を覗きこもうとするみたいに、俺の目をじっと見つめていたかと思ったら、ニーダーは珍しく、ざっくばらんな、温かい口調で言った。


「そんなことはない。ノヂシャは賢い。良い王になる素質があると思うぞ。それでも……いいかい、ノヂシャ。聡明で賢明な王であっても、一人の人間の思索には限界があるんだ。ひとりよがりな石頭には、王は務まらない。大臣や議院の諌言、民情の上奏に耳を傾ける柔軟さを持つんだ。多くの意見を汲み上げ、正しく取捨選択を行い判断を下すことが出来るのが、本当に賢い王だ。……心配しなくても、大丈夫。君は皆に愛される子だ。君が受け入れようとすれば、皆が君を助けてくれるさ」


 俺はニーダーの話を、最後まで黙って聞いた。「あんたも?」と訊きたかったけど、なんとなく、聞きにくかった。まごまごしていると、ニーダーはふふって、吐息で笑った。


「ちょっと、説教臭かったな。ごめんよ、ノヂシャ」


 吹けば飛びそうな儚い微笑みは、ニーダーが言葉を紡ぐほどに、瓦解してしまう。


「うまく出来なくて、すまない。僕なんかが、君に伝えるべきじゃないのに……本当なら君も……いや、君こそが」


 ニーダーは言葉に詰まった。俺に思いを伝えきれなかった。

 

 ニーダーは繰り返し、謝った。ニーダー、あんたの「ごめん」は謝罪じゃなかったな。まだ続いているその先を、すっぱりと切り落とす鋭い刃物だ。あんたは俺の鼻先に垂らしたロープを、俺がつかむ前に切り落としちまうんだ。いつだって、そう。あんたはあらかじめ、決めている。俺との「適切な」距離ってやつをな。


 なぁ、ニーダー? 俺が何も知らない、バカなガキだったのがいけなかったのか? だけどニーダー、あんたは俺のこと、バカじゃないって言ってくれたよな。


 俺は物心つく前から、大人たちに傅かれていた。大人になって、戴冠の儀を執り行えば、俺は王になる。年齢を重ねていけばいずれは、すべてが俺のもので、なにもかも俺の思い通りになる。それが待ち遠しいとも、気が重いとも、思ったことがない。大人になるのと同じように、王になるのは俺にとって当然のことだったから。


 王位を継承することが、どんな意味をもつのかなんて、考えたこともない。健やかに育ってくれればそれで良いって、皆が口を揃える。


 俺はガキだった。ついこの間まで、四つん這いになって、ぶうぶう言ってたようなガキだったんだ。だから、どんなに無知で無自覚で無頓着でも、誰も俺を責められない。


 でも、ニーダーは違ったんだろうなって、俺は漠然とそう思った。そうしたら、唇から勝手に、弱音が零れていた。


「おれは、王に向いていないかもしれない。だっておれ、思い通りにならないことが、我慢ならないもん。……おれなんかより、ニーダー。あんたの方がよっぽど向いてるんじゃない? 良い王様になれるよ、きっと」



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