誕生2
ニーダーは効果的な言葉を探した。ラプンツェルが奮い立つ言葉。たとえば、癇癪を起して大暴れしたときみたいに。ニーダーの手にあまるほどの、いっぱいの元気を取り戻すには、何と言えば良い?
ニーダーは悩みに悩んで、その挙句に、ぼそりと言った。
「酷い顔だ」
言った瞬間に、ニーダーはもう後悔していた。子を産むために、必死に頑張っている妻に、なんてことを言ってしまったのだ。確かに、花の顔はとてつもなく歪んでしまっている。だが、それでもラプンツェルは愛らしい。それに、酷い顔をしている、なんて。例えどんな醜女が相手であろうと、女性に投げかけてはならない言葉だ。
どんなに悔やんでも言葉が唇をはなれてしまったら、取り返しがつかない。ニーダーはいま、リディアナを始めとした、大勢のメイドたちに白眼視されている。鋭く突き刺さってくる。
メイドたちにどう思われても構うものか。ラプンツェルさえ聞いていなかったら、知らぬそぶりで仕切りなおせる。と開き直り、細い糸に縋るような気持ちでラプンツェルを見下ろすが、あては外れた。
ラプンツェルはかっと目を見開いて、ニーダーを穴があくほどに凝視している。否、穴をあけてやれるものなら、穴だらけにしてやりたいという、鬼気迫る形相だった。
「……酷い顔? 酷い顔って言ったの?」
言葉尻に疑問符をつける必要のない、断定的な言い方である。とても白を切れる状況ではない。ニーダーはぐっと言葉につまり、諦めて、頷くついでに項垂れた。ラプンツェルの虚ろな瞳の奥に火花が散った。
「ニーダー、あなた……あなたって! 本当にあきれ果てたひとだわ! そうよ、酷い顔でしょう! 仕方がないじゃない、とっても痛くて、苦しいんだもの! こんな思いをしながら、綺麗に微笑んでいろと言うの? 病的なほどの無神経ね! どうかしてるんじゃない!?」
案の定、ラプンツェルは怒り狂っている。ニーダーはしどろもどろになって、なんとかこの窮状を打破しようと弁解を試みた。
「落ちついて、落ち着くんだ、ラプンツェル。とんでもない、不躾なことを口走ってしまって、すまなかった。君を侮辱するつもりはなかった。ただ、その……あの……ええと……少し、驚いたものだから……」
「思ってもみなかったとは言わせないわよ! 思ってもいないことが、咄嗟に口をついて言葉になるわけがないんだから! あなたは私をバカにした。私が何故、こんなに苦しんでいるのか、わからない訳がないのに!」
「それは、もちろん、わかっている。産みの苦しみは壮絶だ。わかるよ、君の顔を見ていれば」
「また言った! 言ったわね、ブサイクだって言った!」
「不細工なんて、言っていないじゃないか! 君は美しいよ。こんな君も美しい」
「こんな私ってなに!? ねぇ、こんな私ってなんなの!? 今の私は、最低最悪に醜いってこと? 信じられない! 私、あなたと赤ちゃんの為に、こんなに頑張ってるのに!
それなのに、私をバカにするのね! バカはあなただわ! ニーダーのバカ! バカバカバカ! バカー!! いたーい!!」
ラプンツェルは詰めていた息を、ニーダーへの罵倒と一緒に吐き散らかしている。ラプンツェルがひっきりなしに痛みを訴えるものだから、ニーダーはおろおろした。視線で医師に助けを求める。医師はにこにこしていた。
「よろしいですよ、その調子です。御子は順調におりていらっしゃいます」
医師の前向きな言葉にほっとしたのも束の間、ラプンツェルは金切り声を上げた。
「痛い! 熱い、苦しい、ダメ! 本当にダメ! 痛い、すごく痛い! 痛いってば、もういやー!」
ラプンツェルが泣き叫んでいる。心配でおかしくなりそうだ。ニーダーは取り乱してしまったが、そのうちに、気がつく。メイドたちが醸し出していた、緊迫した空気が和らいでいた。
一拍遅れて、悟った。ラプンツェルは堪え過ぎていたのだ。
優しいラプンツェルはきっと、リディアナたちを心配させまい心を砕き、痛みを自分のなかで密かに処理しようとしたのだろう。じっと我慢することで体が強張り、皮肉なことに、赤ん坊の誕生を阻んでしまっていた。痛みは堪えるのではなく、訴えるべきだったのに、ラプンツェルは出来なかった。
そこにニーダーがやって来た。そして、無神経な暴言を吐き、ラプンツェルは怒り、怒りは我慢の堤防を決壊させた。それが、良い方に作用した。
(私は……ラプンツェルの助けになれたのかもしれない)
そう思うと、ニーダーは胸が膨らむような誇りを感じた。こんなに誇らしかったことはない。ニーダーは、いつだって、根本的には惨めだったから。
ニーダーはシーツを握りしめるラプンツェルの手に己の手を重ねた。ひんやりと冷たい指先に熱をすりこむように撫でさすり、話しかける。
「ラプンツェル……辛いな。だが、もうしばらく、堪えてくれ。ここを乗り切れば、私たちの子に会えるよ」
怒らせるつもりは毛頭なかった。しかし、ニーダーの発言がラプンツェルの気に障ったようだ。ラプンツェルはきっとニーダーを睨んだ。
「不公平だわ! 辛いのは私ばかり! あなたは楽しいだけ! ずっとそうだったもの! 寝台じゃ、裸で恥ずかしい思いをさせられて! 妊娠中は、悪阻が辛くてろくに食べられなくて! お腹が重くて不自由で! ずっとずっと、私ばかり辛いのよ! どうして、私ばかりこんな目にあうの! 最後くらい、あなたが変わってくれたらいいじゃない!」
ラプンツェルは錯乱している。そうでなければ、大勢の使用人たちの前で、夜の営みについて赤裸々に言及する筈がない。
ニーダーは耳が赤くなっていないことを祈りながら、シーツを引っ掻く小さな手をとり、両手で握りこんだ。ラプンツェルの瞳を覗きこみ、真摯に告げる。
「変われるものなら、変わってあげたい」
適当なでまかせで誤魔化そうとしている訳ではない。ニーダーは本心からそのように願っていた。ラプンツェルを守りたい。降り注ぐ火のこの盾になりたい。もう、ラプンツェルを傷つけたくない。
ラプンツェルがニーダーを見返す。大きく長く息を吐き、ゆるゆると頭をふった。
「……無理ね。あなたには耐えられないわ。でも……私になら、耐えられる」
そう言って、ラプンツェルは微笑んだ。強く優しく、美しい。奇跡のように素晴らしい微笑を見ると、ラプンツェルが愛しくて、涙が溢れそうになる。ニーダーの想いは言葉にはおさまらず、こくこくと頷くしかなかった。
世にも美しいラプンツェルの微笑が痛々しく歪む。ラプンツェルは悲鳴を上げた。
「痛い……痛い! とってもとっても痛い……ニーダー!」
ニーダーはラプンツェルの手をいっそう強く握った。そして、はたと気がつく。ニーダーが握ったラプンツェルの右手は、だらんと力を失っているのに、左手はシーツに爪をたてている。
ラプンツェルはこんな時になっても、ニーダーに遠慮しているのだ。ラプンツェルの優しさが、この時ばかりは痛かった。歯がゆくて、とても痛い。
ニーダーはラプンツェルに懇願した。
「手を握って」
ラプンツェルが目を瞠る。それから、力なく失笑した。
「ありがとう、ニーダー。でも、やめておくわ……私、きっと……力加減が、出来ないもの……」
「良いんだ。握りつぶすつもりで、振り絞るように、強く握って。抉るように爪をたてて。そうすることで、ほんの少しでも痛みを逃がせると思う」
ニーダーはラプンツェルの言葉尻に食い込むように言った。細かく震える細い指先にキスをして、祈るように語りかける。
「産まれてくるのは、私たちの子だ。君の痛みの、ほんの一欠片でも良いから、私にも担わせて欲しい」
ラプンツェルの潤んだ双眸から、宝石のような涙がこぼれおちる。突き立てられた爪が食い込む。ニーダーの心がラプンツェルに伝わった。この時の痛みは、世界で唯一の、幸せな痛みだとニーダーは思った。
ラプンツェルは見事に戦い抜いた。最後の力を振り絞って力いっぱいいきんで、ラプンツェルは絶叫した。くたりと脱力した次の瞬間、響き渡った大きな産声は、ニーダーの耳に天の国の鐘の音として聞こえた。
「産まれたぞ、ラプンツェル。産まれた!」
ニーダーはラプンツェルの閉じた瞼に口づけた。薄らと目を開いたラプンツェルの髪を撫でて、万感の思いで言った。
「よく、頑張ってくれたな。よく……」
何と続けようとしていたのか、ニーダー自身にもわからない。嗚咽がこみあげて、言葉が紡げなかった。
ラプンツェルがふわりと微笑むのが、涙でぼやけた目にもはっきりと見える。ラプンツェルは血を滲ませたニーダーの手を慰撫しながら、掠れた声で言った。
「赤ちゃん……私たちの赤ちゃんが見たいわ、ニーダー」
ニーダーは何度も頷いた。ニーダーも同じ気持ちだった。
産まれたての我が子は、元気な産声を上げている。赤子を取り上げた医師が、取り上げたまま、抱いている。ニーダーはラプンツェルの手を丁寧に寝台の上に置くと、立ち上がった。
妙だった。王の御子が元気に産まれたというのに、祝福の気配は一切ない。それどころか、赤子を見た者は揃いも揃って、冷たい屍の像にでもなってしまったかのようだった。恐怖と絶望に凍りついている。
ニーダーの心臓は、不穏な気配に騒いだ。葬送の太鼓のように鼓動する。
「どうしたと言うのだ」
苛立ちも露わなニーダーの言葉に、誰も答えない。メイドたちは、慌てて目を伏せる。驚愕に目を見開いた医師は、別人のようにしわがれた声で呟いた。
「なんてことだ……」
ニーダーは居ても立ってもいられなくなり、凄まじい剣幕で医師に詰め寄った。
「どうした! 答えろ!」
寝台を回り込むと、シーツの陰に隠れていた、赤子の姿が見えた。短い手足をぱたぱたさせて、全身で泣いている。
産まれてきた我が子を一目見て、ニーダーは空気の重苦しさの理由を悟った。
産まれた子の髪は、ブレンネン王族を象徴する銀髪ではない。夜のような漆黒の髪だった。血と羊水で濡れた髪は黒々と小さな頭に貼りついている。
柔らかな胸に、宝石のように輝く深紅の心臓があった。ラプンツェルの右の米神にあり、そして、ニーダーの右肩にあるのと、同じものが。
ニーダーは恐る恐る手を伸ばした。びくりと竦み上がる医師の腕から、我が子を取り上げる。メイドたちが息をのんだ。とても見ていられない、と両手に顔を埋める者もいた。しかし、そんなこと、ニーダーには知る由もない。ニーダーはやっと腕に抱いた我が子に夢中だった。
ほかほかと温かく、ふにゃりと柔らかい。ぎこちない抱き方が気に入らないのか、小さな体で暴れている。ニーダーは震えそうな足を叱咤して、そろそろと立ちあがった。
ゆっくりと、歩を進める。腕に抱いた我が子の小さな顔は真っ赤で、産みの苦しみに耐えていたラプンツェルよりも、皺苦茶だった。この子もラプンツェルと同じように試練に挑み、そして勝って、産まれて来た。
寝台の傍らで膝をつき、ニーダーは我が子をラプンツェルに引き合わせた。
「ほら、ラプンツェル……私たちの息子だぞ」
ラプンツェルはまんじりと息子を見詰める。花が咲くように笑顔になって、小さな眉間に寄る皺をつついた。
「やだ、あなたにそっくり」
時が止まったかのように、動けなかった使用人のなかで、真っ先に動いたのはリディアナだった。
「さぁ、殿下。産湯に入って、綺麗にさっぱりしましょうね」
泣きはらした目を細めて、リディアナはニーダーから恭しく王子を受け取る。リディアナは未婚の少女だが、ニーダーと違って赤ん坊の扱いに慣れていた。弟妹がいた筈だから、こどもの世話をする経験が豊富なのかもしれない。
リディアナにつられるようにして、他のメイドたちも動き出した。わたわたと動き出した人々の存在など忘れて、ニーダーは満足そうに横たわるラプンツェルを抱きしめていた。
「ありがとう、ラプンツェル。愛してる……愛してるよ」
恥も外聞もなく泣きじゃくるニーダーを、ラプンツェルが優しく撫でていた。
「すっかり泣き虫になっちゃった。もう、元気に産まれてくれたんだから、泣くことないでしょ。大丈夫よ、大丈夫、大丈夫」
茶化すように声を立てて笑う彼女の目は、無邪気な少女ではなく、愛情深い母親のそれだった。
産湯に入って、戻ってきた息子が腫れぼったい瞼を持ち上げ、緋色の瞳を覗かせたとき、目許はラプンツェルそっくりだと、ニーダーは思った。