提案
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帰路につく馬車の車内に、牡丹雪のように重い沈黙が降り積もっていた。ニーダーは何も言わずに、ラプンツェルを凝視している。鋭い視線の矢が体中に突き立つ。
(城に到着する頃には私、ハリネズミになっちゃうな)
くすりとも出来ない冗句を心の中だけでそっと呟き、ラプンツェルは車窓に視線を逃した。カーテンで閉ざされている。逃げ場は無い。
馬車から降りる時、ニーダーは先に降りて、手をかそうとした。立場を忘れて、ついつっぱねてしまったラプンツェルの手を、ニーダーは強引に引っ張る。まるで、獲物の喉笛に喰らいつき、引き摺って行く肉食獣のように。
柱廊玄関を入り、円蓋が美しい吹き抜けの間を抜け、百花繚乱の中庭に出る。薔薇の生垣の陰で、一足早く戻っていたらしいノヂシャが、白い小鳥と戯れていた。
赤い糸の端を小鳥の細い足に結び、もう片方の端を自身の小指に結んでいる。小鳥はぴょんぴょん跳びはね、時々、思い出したかのように羽ばたく。どこかへ飛んでいこうとすれば、糸がぴんと伸びきって、満面の笑みを浮かべたノヂシャの手許に引き戻された。
見るともなしに眺めていたニーダーが、せせら笑う。
「ばかな小鳥だ。闇雲に逃げようとしている。足に結ばれた糸を解く術もないのに。あの調子では、近いうちに握り潰されるぞ」
ラプンツェルがそろりと見上げると、ニーダーは俯き加減に冷笑していた。
「ノヂシャもわからん奴だ。可哀そうだと言って、風切羽を切ろうとしない。風切羽など、きってもまた生えるのに。それだから失う」
ニーダーの力が俄かに強くなり、ラプンツェルの手首が軋む。竦み上がるラプンツェルが反射的に見つめると、ニーダーの目が虚ろに光った。
「私なら、逃げようとする翼などへし折ってしまう。二度と、私を裏切れぬように」
ニーダーはまた、ラプンツェルを引き摺るようにして歩き出した。ラプンツェルの竦んだ足の抵抗など何の意味ももたず、回廊を進む歩調が早まるごとに、恐怖も加速していく。
黙して従っていた覆面の騎士が前に進み出て、回廊に面した扉のひとつを開けた。
円蓋の屋根に開けられた明かり窓から差し込んだ月光が、部屋の中央で白白とわだかまっている。照らし出されるのは、天井から吊るされた太い鉤。
「私は寛容な夫だ」
後ろから肩を抱かれ、ラプンツェルはひっと息を呑んだ。ニーダーはラプンツェルの耳元で、秘密を打ち明けるように囁く。
「何も難しいことを望まない。君は私を一途に愛し、貞潔な王妃であってくれるだけで良い」
ラプンツェルは固まって動けない。目は禍々しい鉤に釘付けにされている。どういう用途に使うだろうか、正確にはわからない。だが、何か恐ろしいことをする為に使うことは間違いない。ニーダーはラプンツェルの耳をひっぱり、やや声を低めて言った。
「返事はどうした?」
凄んだつもりはなかったかもしれないが、ラプンツェルは震えあがった。体が勝手に逃げをうつ。ニーダーの腕の中でしばらくもがいていたが、やがてはっと我に返る。
ラプンツェルは身を捩ってニーダーと向かい合った。
(落ち着きなさい、ラプンツェル。怖がったって、しょうがない。何のために、大人しくここまで付いてきたのか思い出すの)
愛する家族を想う強い気持ちが、恐怖と絶望にのまれかけたラプンツェルを支えていた。ラプンツェルは胸の前でぎゅっと両手を握りしめる。ニーダーのぎらついた目に睨まれると、弱気になる自分を励まして、ラプンツェルは言った。
「……なんでも、あなたの言う通りにします。だから、わたしのお願いを聞いて」
「言わずとも知れたこと。家族の助命だろうが」
ニーダーが喉奥で笑う。覆面の騎士が壁の窪みに燭台を置き、頑丈な扉を閉めた。