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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第十一話「罪過」
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憎らしい弟1

 ノヂシャの虚ろな双眸は、深い霧に閉ざされたかのように、感情のひらめきを見せない。こどもの頃、暗い森を、深い霧の中でさまよった、恐ろしい経験が思い出される。


 あの日は、かたく手を繋ぎ合わせたルナトリアを、人喰いの獣の爪と牙から守ることが出来た。


(それが今になって、このような獣の毒牙にかかることを、みすみす許してしまうとは)


 おろした髪が怒りで逆立つようだ。眉間には深い皺が刻まれているだろう。噛みしめた奥歯がきしむ音が、耳の奥にくぐもって響いている。


 ノヂシャはうろたえた。怯えた目をきょときょとさせて、後ずさりする。


 ノヂシャはまともではないが、ニーダーの慍色に関してなら、まともな人間たちよりも敏い。然もありなん、ノヂシャにとって、ニーダーの機嫌の良し悪しはしばしば、生死の問題となり得える。


 しかし、ニーダーの怒気を敏感に気取れても、理性がかすみ、朦朧としたノヂシャの頭では、ニーダーの逆鱗に触れまい、という懸命な判断が出来ない。そもそも、何を如何したらニーダーが怒るのか、未だにわからないのだろう。ノヂシャの心には大きな穴が穿たれている。その穴から彼の情緒の殆どが抜け落ちた。そんな状態で、他人の気持ちを慮れる筈もない。


 わからないこそ、ノヂシャはニーダーを恐れているのに、ニーダーが怒り狂うことを平然とやってのける。ニーダーの大切な友人であるルナトリアに手を出すことにも、恐るべき不幸によって狂わされたルナトリアに乞われるまま、ラプンツェルのお腹に宿ったかけがえのない小さな命を手にかけようとすることにも、躊躇いはなかった。


 それは、ニーダーとノヂシャ、双方にとって不幸なことだ。


 ニーダーに憎悪されている限りノヂシャに平穏は訪れず、ニーダーは遂げられない殺意に翻弄され続ける。二人揃って、どろ沼に嵌ってゆく。


 棘を刺すような視線に震えるノヂシャの、こけた頬がひくつき、蒼褪めた唇が歪んだ。微笑もうとしたのだろう。ニーダーの歓心を買おうとして。

 ノヂシャは壊れたが、過去を忘れてはいない。その輝くばかりの微笑みですべてを許されてきた、幸福なこども時代の名残が、ときおり、こうして顔をのぞかせる。


 ノヂシャは愛玩用の仔猫のようだった。好奇心旺盛で悪戯好きで、わがままで気まぐれで、人懐っこく甘え上手で、よく笑う。暫定的な王太子という肩書などなくとも、周りを明るく楽しくするノヂシャのもとに、大勢の好意的な人々が集まったことだろう。ノヂシャは誰からも愛されていた。


 あれから十年の歳月が流れた。ノヂシャは可愛らしいこどもから、精悍な大人の男になりつつある。

 背は伸びて、肩が実り、声も低くなった。つい先日、誂えたばかりのスラックスの裾から飛び出した、ノヂシャのむき出しの踝を見下ろして、ニーダーは苦々しく思う。


 青白い肌に覆われた痩せぎすの少年の体は、最近、目まぐるしく成長している。この調子なら、長身のニーダーの背丈すら、ちかいうちに追い越すだろう。


 今は骨と皮ばかりでも、がっしりとした骨格が、ノヂシャの逞しい成長を約束している。あと数年で、ノヂシャは見違えるほど立派な男になる。


 もしも、ノヂシャがまともになったら、どうだろう。

 目も眩むばかりの光と、底知れぬ暗黒を宿した混沌の美貌が、きっと見る者すべてを跪かせる。生まれもった威厳と品格は、こんな有様であってもなお、隠しきれないのだから。


 上手に微笑むことができなかったノヂシャの、引き連れた顔の無様さは、ノヂシャは意図していなかっただろうが、ニーダーの怒りを少しは鎮めた。


 ノヂシャは無様であればある程良い。幽鬼のように、不気味で儚い存在であればいい。偉大な王であった父によく似ていることが、わからなくなるほどに憐れであれば、ニーダーは刺激されない。


 黙然としてノヂシャを険しい眼差しで凝視するニーダーの足元に、ノヂシャがおずおずと跪いた。何度も繰り返したやりとりだ。ノヂシャの穴だらけの頭でも、跪かなければ尚更、ニーダーを不機嫌にさせるということを、学習したらしい。


 ノヂシャの背がぐんぐん伸びて、ノヂシャの旋毛を見下ろすことが出来なくなった。ほぼ水平に視線が交わると、ニーダーは理不尽な怒りにかられる。


 ノヂシャを見下ろせなくなることが、我慢ならないのだ。こうして、跪いたノヂシャを、彼が幼かった頃のように見下ろしていれば、心の平穏が保たれる。


 ノヂシャは木の陰から窺うように、前髪の陰からそろりとニーダーを見上げる。いばらの合間を縫うように、恐る恐る、ノヂシャが言った。


「あんたと話したかった。俺が今、どんなに嬉しいかわかるか? あんたはここのところ、ちっとも俺にかまってくれなかった」


 ノヂシャの的外れなおためごかしを聞かされたニーダーは、うんざりして顔をしかめた。ノヂシャは、自分が好意を示せば、相手は例外なく喜ぶと考えている。これもまた、誰にでも愛された、傲慢なこども時代の名残なのだろう。


 ニーダーは頬杖をつき、足を組んだ。悠然とした構えをとる。刀を正眼に構えるのと同じ意味をもっていた。

 そして、聞えよがしにため息をつく。びくりと跳ねる痩せた肩を流し見て、おざなりに頭をふった。


「かえすがえすも残念だ。お前が徘徊していると知っていれば、ここには来なかった」


 ノヂシャが目を見開く。ぎゅっと眉を寄せて俯いた。涙を隠そうとするこどものような仕草だ。そのようにすれば、慌てて慰める大人が、ノヂシャの周りには掃いて捨てるほどいたに違いない。


(……母上もさぞや、そのようになさりたかっただろう)


 心を引き裂く痛みを思い出し、ニーダーは顔をしかめた。けれどすぐに、冷笑の仮面をかぶる。ノヂシャが、ニーダーの表情を盗み見ている。弱みは見せられない、絶対に。下手をうてば、すかさず、ひっくり返されてしまうという危機感を、ノヂシャは常に植え付けてくる。


 冷笑に晒されたノヂシャは、ぶるりと体を震わせる。噛みしめて色を失った唇を、苦労して解いて、消え入りそうな声で呟いた。


「……俺は、期待してた。このあたりをうろうろしていれば、ひょっとすると、あんたに会えるかもしれない。そうしたら、本当に会えた。……俺は、嬉しかった」


 ノヂシャはへらり、と笑って見せる。今度こそ、笑顔と呼べるものだった。

 しかしその成功が、皮肉にもニーダーを憤激させた。


「私を見て嗤うな!」


 ニーダーの怒声と、鈍い打音が重なる。ニーダーは弾かれたように立ち上がり、ノヂシャの頭を踏みつけていた。


 足の裏に柔らかい頭髪の感触と、熱い体温を感じる。そこではじめて、ニーダーは自身が裸足だったことに思い至り、鋭く舌をうつ。


 頭を蹴り飛ばすと、ノヂシャの痩身が無残に拉げ崩れる。横倒れになり、呻くノヂシャを打ち見て、ニーダーは踵をかえしかけた。けれど、思い直して椅子に腰を下ろす。

 ノヂシャに背を見せたくない。逃げるような真似は、したくない。いつだって、優位に立っていなければ気が休まらない。


 ニーダーは羽をもがれた羽虫のようにもがくノヂシャを眼下に見て、嘲弄もあらわに言った。


「わからん奴だ。お前の顔など見たくもないと言っている。とっとと消え失せろ。さもなければ」


 何と言葉をつづけようとしたのか、次の瞬間、ニーダーは分からなくなった。ノヂシャが獣じみた俊敏さで体を起こし、ニーダーの足にすがりついたのだ。


「このまま俺を帰さないで」


 ニーダーは呆気にとられるあまり、振り払うことが出来るということを失念していた。そうしている間にも、ノヂシャはニーダーの足に長い両腕を絡める。逃がすものかと、束縛するかのように縋りつき、声を裏返らせて訴える。


「お仕置きが必要だ、ニーダー。俺はあんたを怒らせた。わざとじゃなかった。でも、あんたはひどく腹をたてている」


 ラプンツェルに堕胎の薬を含むよう迫ったことを言っているようだ。ようやく、話が見えてきた。

 ノヂシャは、ニーダーが未だかつてないほどに、激昂していることを悟った。それこそ、叶うものならば、八つ裂きにして殺してしまいたいほどに。それなのに、ニーダーがなかなか沙汰を申しつけないことで、不安にかられたのだろう。だからニーダーを探して徘徊していた。


 死刑囚の境地が耐えられなかったのか、或いは、自ら罰を乞えば恩赦を得られるだろうという打算を働かせたのか。いずれにせよ、ニーダーがノヂシャを許さないことに変わりはない。


 ニーダーはノヂシャの鳩尾に爪先を突き刺した。よろめくノヂシャを蹴り倒す。腹をかばって丸くなるノヂシャの頭髪をわしづかみ、引きちぎっても構わないつもりで頭を引き上げた。


 ぼんやりした、曇り硝子のような瞳にニーダーがうつる。どんな表情をしているか、自分ではわからないけれど、ノヂシャが震えあがっているのを見ると、胸がすく。


「仕置きで済むと? 呆れた楽天家だな、お前は」


 ニーダーの嘲笑が、ねっとりと糸をひく。積み重ねてきた怨嗟の叫びが、ニーダーの腸を燃え上がらせていた。

 青ざめるノヂシャの顔に、ぐいと額を寄せる。かみつくように、ニーダーは言い捨てた。


「お前は、私の宝を奪おうとする。一度ならず、二度までも。殺しても飽き足りない」


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