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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第十一話「罪過」
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愚かなままの2

子供に対する虐待の描写があります。ご注意願います。

 一度は、諦めた。愛し愛されることも、生きることも。幼かったニーダーの心は、絶望の闇に暗く閉ざされ、孤独という毒に蝕まれ、緩慢な死に怯えながら、それでいて心待ちにしていた。


 死んでしまえばいい。犯した罪も、科せられた罰も、死が命と等しく灰塵に帰す。


 死ぬべきは、父王ではなかった。母は父王を愛したが、ニーダーを愛してはいなかった。母の狂乱により、甘美なまどろみに終止符をうたれたゴーテルは、辛い現実に打ちのめされ、ニーダーを激しく憎悪した。


 死ぬべきは他ならぬニーダーだった。


 そうと知っていれば、ニーダーは自ら死を選んだだろう。母の為を思えば、父王を殺めることさえしたのだから。


 しかし、ニーダーが真実を知った時には、もう、手遅れだった。


 父王は死んだ。ゴーテルにより、ニーダーは犯した罪を暴露され、自室に禁固された。ニーダーが罪人である事実は王家の名誉の為に伏せられたが、王太子の座からは引きずり降ろされた。


 当時の騎士団長であったヨハンは、ノヂシャを愛育する傍ら、ニーダーに「模範的なブレンネン国民である為の再教育」を施した。ヨハンは慇懃無礼に振る舞い、王族に対する敬意は欠片も払わなかった。むしろ、高貴な生まれの者を地に這わせおとしめる、下剋上の悦楽に酔っていたのだろう。


「強い男になる為」に、暴力をふるわれた。けれど、それはまだ耐えることが出来た。痛みに耐えながら、理性を保つ訓練は積んでいた。ニーダーには、どれほど錯乱しても、自身を律する最後の手綱だけは手放さない、特別な訓練が必要だったのだ。


 そんなことより辛かったのは「傲慢な考えを是正する為」に、ニーダー自身や母を貶す、汚い暴言やわいせつな言葉を強要されたことだった。頑として口にしなかったが、罵倒や脅迫による圧力は、ニーダーの衰弱した精神をひどく苛んだ。


「立派な男になる為」に、酒を飲まされることもあった。グラスに注がれず、酒瓶の口で唇と歯列をこじ開けられ、酒は濁流のように喉に流し込まれる。気持ちが悪くなって、えづいても嘔吐することは許されない。ぱんぱんに膨らんだ腹を蹴られた。


「あなたを孕んだ当時のお母上のお姿が思い出されますな。このように、不格好に腹を膨らませておられると。やはり、よく似ていらっしゃる」


 胃液とともに押し出され、唇の端から噴出した酒を、舐めとることすらさせられた。


「よろしいか。これが、畑を耕す農民や、酒を仕込む酒造家の苦労の味ですぞ」


 などと、噛んで含めるように言いながら、ヨハンは醜悪な嘲笑を浮かべていた。


 恥辱の日々を、どこまで耐えても終わりが見えない。これが罰ならば、甘んじて受け入れようというなけなしの気概は、ヨハンが下品な売春婦を連れて来たあの晩に、脆くも砕け散った。


 そして、母が死んだ。


 ニーダーは贖罪すら諦めた。愛されない魂として、決して救われず、流されて消えてしまおうと思った。


 本来ならば、ニーダーはあの日あの時、死ぬべきだった。コマドリの卵を求め、ルナトリアとともに訪れた暗い森で、人喰いの獣に食い殺されるべきだった。そうならなかったから、運命の歯車のかみ合わせが狂ってしまった。


 運命の歯車をもとにもどすため、ニーダーは城から逃げ出し、暗い森を訪れた。孤独のうちに消え失せるのは怖かったけれど、他にどうすればよかったのか。


 ニーダーがいま、こうして生きているのは、諦めきれなかったからだ。ニーダーはラプンツェルと出会った。明日を待ち望み輝く笑顔と、楽しそうに弾む歌声に、感動を与えられた。


 囚われの身の上なのに、ラプンツェルはとても幸せそうだった。高く聳え立つ、狂気の塔に閉じ込められているのに、無邪気で無垢で、どこまでも透き通るように美しい。


 ニーダーは、知らず知らずのうちに手を伸ばした。あの時はまだ、遠すぎて、触れることは叶わなかった。


(今はダメでも、いつか)


 血まみれの五指の隙間から、奇跡のような少女を見上げながら、ニーダーの心が息を吹き返す。


(いつか、きっと手が届く)


 希望はまだ残されていた。こんなところに、隠されていた。


 あの日を境に、ニーダーは生まれ変わった。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、優しさと許しを乞う無力なこどもは、汚辱に満ちた過去とともに焼き払った。


 傷つく以上に傷つけ、恐れるよりも恐れられる。犯した罪は償いきれず、そもそも償うつもりもない。罪悪感など微塵もない筈だ。許しなど、望まなければ良い。どうせ、許されることはないのだから。許しを必要としないほどに、強くならなければ、生きていけない。


 強くあろうとして、ニーダーは父王の軌跡を追うようになった。父王もまた、数多の罪を犯したが、深く愛されていた。多くの国民に。そして、ニーダーの愛する母に。


 邪魔なものはすべて焼き払い、逆らうものを完膚なきまでに叩きのめし、憎しみを踏みにじり嘲笑し、ニーダーは希望を手に入れた。いま、この腕のなかにすっぽりと収まる、雛鳥のように柔らかく暖かい、幸福の天使。愛しい妻。


 ニーダーはいつのまにか、ラプンツェルよりも深く長く、追想に没頭していた。ラプンツェルは小首を傾げて、ニーダーを見上げている。高い塔の窓で歌っていたあの頃と、少しも変わらない無邪気な様子で、ラプンツェルは訊ねてくる。


「怖い夢を見たの?」

「こわい、ゆめ……」


 無意味な繰り言をする束の間、ニーダーの意識はうっすらと霞みがかった。


 今となっては、夢と同じだ。過去はすべて焼きつくした。虐げられていた、惨めな過去を知る者は、ほとんど残っていない。わずかに残った人々も、正気と狂気の狭間を彷徨っている。


 ニーダーはラプンツェルの小さな頭を抱きしめた。ラプンツェルは一瞬だけ体を強張らせたが、すぐにほぐれ、寄り添ってくれる。


 以前ならば、こうはいかなかった。ラプンツェルは怯えきっていて、抱き締めたら焼き切れて、そのまま死んでしまいそうだった。

 だいぶ良くなったけれど、今だって、ラプンツェルは無理をしている。痛ましいと思うけれど、それ以上に、怯えながらもこの胸に抱かれるいじらしさに、大きな喜びと深い愛おしさがこみあげる。


 ニーダーはラプンツェルの右の米神に垂れる長い髪を耳にかけた。耳のすぐ上にある、石の心臓に触れないように注意を払う。ラプンツェルは大切な妻だ。出来ることなら、いつもいつでも、こうして慈しんでいたい。


 かすかにふるえる矮躯に気付かないふりをして、ニーダーはラプンツェルの耳元で囁いた。


「そう……ただ、夢を見ただけ」

「そう? でも」

「そうだよ」

「……そう……」


 ラプンツェルはむっくりと顔をあげた。納得していないと、顔にはっきりとかいてある。素直にうなずいてはいるものの、疑わしそうな目でニーダーを凝視している。


 ニーダーの前では取り繕っているものの、ラプンツェルの本質はまっすぐで、とても素直だ。嘘をつけない。そのあどけなさを憎らしく思ったこともあったが、やはり愛おしいと思う。


 不服そうに尖らせた唇が可愛らしくて、ニーダーはつい、かすめるように口づけた。一瞬の触れあいだったが、ラプンツェルは目を丸くして、それから、耳まで赤くなる。


「いっ、いきなりはやめて……びっくりした……」


 俯き、きまり悪そうに口ごもるラプンツェル。ニーダーもまた、決まりが悪かった。身重の妻の、まるで乙女のような愛らしさに、劣情をもよおしかけてしまった。


 労るべき、妊娠中の妻に欲情するなんて、畜生ではあるまいし、と我ながら呆れてしまう。妻のおなかの中の我が子が見ているというのに、なんたる失態だ。


 こっそりと苦笑しながら、ニーダーは感慨深くため息をつく。


 売春婦に強姦された心的外傷により、女性を愛することの出来ない体になってしまったと懸念していたことが、嘘のようだ。夜の営みを優しく手解きしてくれた、顔も知らない未亡人には心から申し訳なく思うが、やはり、愛する女性でなければいけなかったのだろう。


(物語でも、呪いを解くのは愛のキスだと決まっている)


 そんな、夢見る乙女のような言葉が、ぽんと浮かんでしまい、ニーダーの苦笑は深まった。

 ラプンツェルに意気地のなさを「女の子みたい」だと非難されたことがあった。あの時はとんでもないと反発したが、残念ながら、ラプンツェルが正しかったのかもしれない。


 ニーダーは、恥じ入るラプンツェルをぎゅっと抱きしめた。


 ラプンツェルには、お伽噺に憧れた頃があっただろうか。高い窓から、額縁に飾られた絵のような景色を眺め「いつかきっと王子様が、私を見つけ出し、お城へ連れて行く」なんて、夢想したことがあっただろうか。


 あったとしても、その王子様は、ニーダーではなかっただろう。王に即位してからというもの、何度も何度も、足しげくラプンツェルのもとへ通い求愛したが、ラプンツェルは歯牙にもかけてくれなかった。


 ラプンツェルの辛い仕打ちは、ニーダーの心をずたずたに切り裂き、凶行へかりたてた。悔んだこともあったが、これで良かったのだと、今では確信している。

 高い塔は遅かれ早かれ、焼き払わなければならなかった。残しておけば、狂気は脈々と受け継がれる。母とゴーテルの悲劇は、何度でも繰り返される。


 それに何より、ラプンツェルが何も知らされないうちに、灰燼に還すことが出来た。だから、これで良かったのだ。


 ラプンツェルは何もしらない無垢なまま、こうしてニーダーの胸に抱かれている。

 ニーダーはラプンツェルの旋毛についばむようなキスを落とした。愛おしい妻を抱きしめていられる幸福が、空恐ろしいほどだ。


「約束しよう、ラプンツェル」

「なにを?」


 ニーダーのため息のような呟きを、ラプンツェルが拾い上げる。頬を赤らめたラプンツェルがニーダーを見詰めてくれていることが、たまらなくうれしい。青ざめた頬で目を逸らす彼女の癖には、散々、もどかしい思いをさせられた。


 ニーダーは愛おしさと幸福を噛みしめた。ラプンツェルの長い髪を梳き、うっとりと夢見心地で言葉を紡ぐ。


「私たちは良い親になろう。この子を大切に愛そう。幸せにしよう」


 腰に回した手で引き寄せたラプンツェルの薄い腹部に手を添える。目に見えて膨らんではいないけれど、手で触れれば微かな鼓動が伝わってくる。小さな小さな手が、差し伸べられているような気がする。ニーダーは妻と我が子をしっかりと腕に抱いた。


(幸せになろう。私たちは)


 ニーダーは父王に倣っていた。父王が残した、正しい道を示す足跡をたどることで、なんとかここまで、うまくやってきた。しかし、足跡はここで途切れている。


 父王は母に愛されたが、母を幸せには出来なかった。息子には愛されず、ついにはその手にかかって命を落とした。


 ああはなりたくない。愛を間違いなく伝えたいし、愛されたい。だから、これからは、自分で道をつくらなければいけない。


 ニーダーは幾度となく間違いを犯してきた。愚かな彼はこれからも、間違いを犯してしまうかもしれない。


 それでも、ただひとつ。やっと手に入れた、愛しい家族を愛することに関してだけは、間違えない。


 ニーダーはラプンツェルのほっそりとした頤を、そっと持ち上げた。揺れる瞳に口づけようと、顔を傾ける。触れあいそうな唇に、震えると息が触れる。


「……私……なれない……」


 ラプンツェルは蚊のなくような声で言ったが、ニーダーにはよく聞こえなかった。ラプンツェルは俯いてしまう。固く閉ざされたカーテンのような長い髪をかきあげ、顔を覗き込むと、ラプンツェルは泣いていた。


 唖然とするニーダーのぶしつけな視線から逃れるように、ラプンツェルは両手で顔を覆う。幼子が嫌々をするように、頭をふった。


「……私は……いい母親になんて、なれない」

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