切実な願い
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ラプンツェルは力の限り暴れた。うるさがったニーダーに何度か頬を張られても、めげなかった。生れて初めて直截的な暴力に晒されたのだが、そんなことは、家族を奪われた怒りと悲しみに比べれば、取るに足らない、つまらないことだ。
ラプンツェルがあんまり暴れるものだから、業を煮やしたニーダーは覆面の騎士に指図した。騎士は背後からラプンツェルを抱えるように抑え込んでしまう。なおも暴れると、腕が喉に食い込んだ。
決死の抵抗もここまでだ。だが心はまだ折れていない。これ以上、ニーダーの好きにさせてなるものか。ラプンツェルは舌を突き出し、一思いに噛み切ろうとした。
しかし、その行動はニーダーに予見されていた。ニーダーは矢のように素早く、ラプンツェルの口腔に指を突っ込む。ラプンツェルはえづいた。とっさに、ニーダーの指に噛みついて、一矢報いる。高い塔の家族の牙は肉を裂き骨を砕くのだ。
血が口腔にじわりとひろがる。甘美な酩酊をもたらす、馴染み深い味だ。けれど、これまで口にしてきたどの肉よりもしょっぱい。塩のかたまりのようだ。
気を抜いた隙に、顎を挟むように掴まれ、無理矢理に口を開かされた。力が失せた口腔から、ニーダーは指を引き抜いた。白皙には、これといった表情が浮かんでいない。しかし、機嫌が良くないことは、不穏な気配から伝わってくる。
ニーダーは血と唾液に汚れた指を、嫌そうに一瞥した。ひややかに告げる。
「舌を噛んだ程度で君は死なない。その方法で自害しようとしても無駄だ」
顎の痛みに耐えながら、ラプンツェルは眉を潜めた。
ラプンツェルは、傷の治りが早い。深い傷を負ったことはないけれど、紙で切ったり、転んだりして出来た軽い傷は、気が付いたら塞がっている。
しかし、だからと言って、舌を噛み切っても死なないなんて、いくらなんでも飛躍し過ぎだ。
そもそも、ラプンツェルが他人より少し治癒力が高いということを、なぜ、ニーダーが知っているのだろう。教えた覚えはないし、高い塔の家族が教えるとも思えない。
ニーダーはラプンツェルの表情を観察していた。やがて、ふっと微笑むと、ラプンツェルの口腔に、再び指を入れる。
ラプンツェルは、虚をつかれて気が動転した。長い指が舌を追いかけてくる。
ニーダーは、狭い口腔で必死に逃げ惑う舌をつかまえ、ぎゅっと抓った。ラプンツェルはろくに抵抗も出来ずに、苦鳴を上げ、涎を垂らす。
ただ、せめてもの抵抗と思って、ニーダーをきっと睨みつける。ニーダーは物憂げに笑った。
「傷は塞がるが、欠損は補われない。つまり、噛みちぎった舌は、元通りにはくっつかないのだ。従って、舌を噛み切ることは許さん。我が妻には、美しい言葉で語りかけて欲しいからな」
ラプンツェルは瞬きをした。目に溜まった涙が頬を伝う。ニーダーはやっと指を引きぬき、唾液と血をラプンツェルの頬になすりつけた。
「君の愚行の報いを、残り少ない君の家族が受ける。そのことを念頭に置いておき給え」
ラプンツェルは、頭をがつんと殴られたような衝撃を受ける。まだ、息のある家族がいるのだ。
もろ手を挙げて喜べる状況ではない。ニーダーは、公開処刑の為に家族たちを何人か、生け捕りにしているだけだ。
そうとわかっていても、ラプンツェルの絶望した心に、一筋の光明が灯った。
(生きているなら……助けられるかもしれない……!)
この憎らしい男の足に縋りつき、踏みつけにされれば、まだ生きている家族の命は助かるかもしれない。
ニーダーが顎をしゃくると、不意に、拘束が緩んだ。力なく地面に崩れおちそうになったラプンツェルを、ニーダーが抱きとめる。
ニーダーは肩で息をするラプンツェルに優雅に微笑みかけた。ダンスに誘うかのように、恭しく手を差しのべる。
「では、行こうか」
ニーダーの酷薄な笑みを、ラプンツェルは震えながら見上げた。
(やれるかどうかじゃない。やるしかない)
ラプンツェルはニーダーの手をとった。体の芯ががたついて、立っているのもやっとだった。