番外 新人は見た!
本編主人公は出ません。純粋に2人がいなくなった後の三隊はどうなったのかと、それだけの四方山話。
新兵は、見た!
いつの時代も軍には有名人がいるが、現在『不動の三隊』と呼ばれる中隊に所属する副長と補佐は、近年稀に見る逸材だと名高かい。どちらも相当な実力者で、本来ならもっと出世していて然るべき戦果を挙げているにもかかわらず、何年も中隊に同じ地位でい続けることが2つ名の由来だった。
そのためここ数年は彼等を目標に入隊する新人がかなりいて、配属希望の提出をさせればほぼ三隊が占めるほどだった。
そんな中、運と実力で高倍率の三隊へ入隊を決めることができた俺は、噂通りの内情に成程これは入隊希望者が続出するはずだと妙に納得したものだ。
副長は豪快な見た目通り気さくで思い切りのいい美丈夫のくせに、実に綿密な作戦を練り、緻密に隊を操りながら細やかに兵に気を配れる非常に有能な軍人だ。これで貴族の嫡男だなんて、女が放っておくはずがないだろうと頷ける。非常に優良な夫候補だ。
その副長の補佐官殿は、いつも静かに微笑んでいるこの国では見慣れない顔立ちの若い女性だった。全体的に地味な色合いと影の薄さが相まって、ほぼ周囲に埋没することがほとんどだが、事務能力と医療技術が抜きん出て高いことは半年も同じ隊にいれば自然と知れた。余談だが彼女の治療を受けた兵が、密かに恋心を燻らせることも多々あることだ。本当に余談だが、俺もご多分に漏れない。
軍の精鋭部隊とまで言われるこの三隊に、衝撃が走ったのは今朝のことだ。
「冗談ですよね、隊長っ」
「ふざけてもらっては困るんですがっ」
「今日の訓練はどうするんですか!」
「副長を連れ戻してください!」
「俺達のアーンを返せ!」
姦しい女性隊員と、ちゃっかり尻馬に乗っている勤続10年のおっさんに囲まれて、重厚な執務机に肘をつき大きなため息を吐いた美貌の隊長は、じろりと机周りの男女を睨むと冗談ではないと低く呟いた。
「お前たち以上に怒っているのも、信じたくないのも私の方だ。あの2人がいてこその三隊だという認識は、皆共通で、だからこそこの人事でもある。それから…アーンは貴様のものではない。私のものだ」
最後の一文は同意しかねるが、大方隊長の言に間違いはない。ただ、このお坊ちゃま隊長は大いなる勘違いをしているようだ。女共が喚いているのは三隊を思ってのことではない。
「あの女はいりませんっ、副長だけがいてくださればいいんです!」
軍人なだけあって迫力満点なあれは、マージ伍長だったか。今も背後に引き連れている3人の取り巻きを使って、よく補佐官殿に下らない嫌がらせを仕掛けていたな。まあ、隊長か副長かを籠絡して嫁に行こうと目論んでいたんなら、確かに補佐官殿は邪魔で仕方なかったろう。能力も軍で重用される信頼度も、彼女は十分すぎるほどに兼ね備えた人物で、あからさまな隊長はともかく、誰にもわけ隔てないと有名な副長でさえ特別な存在だと匂わせることが多々あった。折角隊からいなくなったのに、有能だってだけで連れ戻されちゃ迷惑この上ないだろう。
しかし、そんな心の声は決して口に出してはならないのが軍だ。規律と階級を重んじるここで、自分より上官に対してあの言い様をすれば。
「聞き捨てならんな。貴様は伍長でありながら、少尉を侮辱するのか」
静かな威嚇は、生意気な部下を黙らせるには十分な迫力があり、さしもの女狐共も大人しく謝意を口にした。
常々無神経で顔と勢いばかりが良く、使えない隊長だと思っていたのを少々改めなければならないかもしれない。どうやらうちの隊長は、やればできる子だったようだ。
しかしそれで大人しくなるような可愛げがあれば、とっくの昔に嫁に行けていたことだろう。諌められても禁句である『でも』を使って、反論をしてしまうからあの女共は未だ貰い手がないのだ。
「でも…少尉は、ほぼ戦場に出たことがないと聞いています。戦うことが本分の軍人が、実戦経験がないなど役に立たない証拠ではありませんかっ。名実ともに実力者の集まりと言われる三隊には不必要な人材です」
「では貴様は戦場で負傷しないのだな」
得意げに補佐官殿不用説を唱えたマージは隊長の言葉の意味が解らず一瞬呆けたが、腰ぎんちゃくがすかさずくちばしを突っ込む。
「そういう意味ではありません!いかに衛生兵と言えど、兵士と兼任している以上は戦場でそれなりの戦果を挙げるべきだと申し上げたのです」
「無知が、よく囀る」
唾棄した隊長は納得できないと喚いていた部下をその低い一喝で黙らせると、黙って成り行きを見守っていた同じく抗議に来た年嵩の兵につと視線を据えた。
「フランデル曹長は確か、2度の戦場をアーンと共にいたな」
ここ5年ほどで頻発した戦に彼がいたのは当然だろうが、ずっと三隊だったのかと驚きの視線を向けると、中年に片足を突っ込んだ男は小さく頷いて瞳を緩めた。
「ええ、副長が補佐官殿を三隊に引っ張ってきたときからご一緒してます」
「では彼女がどのような戦果を挙げたのかも、よく理解しているんだな」
「十分すぎるほどには」
ニヤリと笑った曹長が語ったのは、既に伝説になっているよな事実だった。
『不動の三隊』に入隊したがるルーキーは、性差でその理由が異なる。女は出世間違いなしと言われる副長とその時々に配属された隊長が目当てで、男は…命の保証を望んでのことだ。
軍人が戦場に赴いて、無傷でいられると思うほど愚かしいことはない。大なり小なり傷を作りながら日々戦い、終戦までを過ごすのだから、腕のいい軍医や応急処置の上手い衛生兵がいる隊へ入りたいと考えるのはごく自然なことだった。
碌な医療設備もない戦場だから些細な負傷であっても死に至る危険は高い。しかし入隊したばかりの補佐官殿が兵を治療した戦で、三隊の死者は無い。手におえず近隣に陣を構えていた隊から送り込まれた負傷者も、死亡はわずかに2名、除隊に追い込まれはしたが命を取り留めた者が1名。残りは全て軍に復帰している。この驚異の生存率は当時を知らない俺達には実しやかな噂として知られていたのだが、生き証人であるフランデル曹長がその口で保証する。
「次の戦では我が隊に隣接する地帯に陣を置きたがる隊長が増え、また彼女も見事にそれに応えて、運び込まれた兵からは死者が出ないという奇跡を起こして見せた。前の戦争より規模が小さかったせいもあるでしょうが、我が隊においで補佐官殿は女神ですよ。誰より失くせない隊員だ。今後も我々に戦場に出よとおっしゃるのであれば、是非とも補佐官殿に思いとどまっていただきたいというのが男達の総意です」
先ほど巫山戯たことをほざいていたのはどの口だと、思わずツッコミを入れたくなる程度には曹長の顔は真剣で、内容が内容なだけに騒ぎ立てていた女達もぐっと黙り込むよりほかにない。
私情だけで補佐官殿を貶めるには、あまりに旗色が悪いことに今更気づいたらしい。なにしろこのまま不満を叫び続ければ、優良な夫候補から嫌われるどころか男性兵達に総スカンを食らうのだ。
やっと静けさを取り戻した室内に小さく息を吐いた隊長は、じっと自分の返答を待つフランデル曹長に顔を向けると、机の端から引き寄せた数枚の紙を無言で差し出した。
「なんですか、これ?」
「転属命令書だ」
こんな時季外れにと訝しみながら書類を繰った曹長は、驚きに見開いていた目をゆっくりと三日月に変えて、隊長にちらりと意地の悪い視線を送る。
「構わないんですか?こいつらが抜けたら、三隊は古参が1人もいなくなりますよ」
「文句を言える立場にないのでな。君たちは元々キーファ・オルビイが育てた兵だ。彼とアーンに惚れ込んでいなければとうの昔に出世してここにはいなかったのだから、致し方ないだろう」
どうやらあそこに書かれたメンバーは三隊の柱である十人足らずの古参兵らしい。女性2名を含む彼らは副長と補佐官が特に信頼していた兵で、その絆の強さに俺たち新人は密かにあこがれを抱いたものだ。それが根こそぎいなくなるとは…もしや移動先は。
「嬉しいですね、大隊にまでご一緒できるとは。ただ…ここに補佐官殿はいらっしゃいませんよね?」
やはり、急に消えた副長は出世をされたらしい。下は詳しいことを聞かされていなかったので、騒ぎ立てていたマージ達もそれでは副長に戻っていただくことは無理だと諦めた様子だが、ただ。
「なぜ、私たちには声がかからないのよ」
悔し紛れにそんなことを呟いて、やれやれと男達から呆れた視線を集めていた。
「実績も実力もない兵を大隊に連れて行ってどうするんだ。…アーンについては、戦時の協定があるので安心しろと言っていた。大隊ならば軍医の同行も可能であるし、非常時であれば夫婦が同じ隊にいることもうるさく言われないからな」
そして、淡々と隊長が告げた事実が、一同に飲み込めた頃。
「ぎゃーっ!!嘘でしょ、嘘よね?!」
「し、信じられない!!」
「あんな女が、子爵夫人になるって言うの?!」
「きっと何か訳があるんでしょ?!」
声が凶器になることを俺は知った。耳が痛い。キーンとする。
ギャアギャア騒ぐ女共は、こっちの事情などお構いなしに好きなだけ補佐官殿を罵倒し、いない副長に懇願しているが当然そんなものは長く続かない。男女問わず使えない人材には容赦ないフランデル曹長に尻を蹴り上げられ、叱咤され、押し黙るよりほかなくなったので。
「全くあの2人が一緒になるだろうことは余程のぼんくらでない限り、皆が気づいている事実だ。いちいちこんなことで騒ぎ立てるんじゃねぇよ。それよりこうも急にいろいろが決まったことの方が気になりますね。あの方々ならどこにも迷惑がかからないよう、まとめて移動がかかる時期に結婚やら何やらを放り込みそうな気がするんですが」
長年のつきあいの男に疑問を呈され、なぜか苦虫を噛みつぶしたような顔を背けた隊長がモソモソとした言い訳は聞こえなかったが、あれでは自分に関わりがあると言っているようなものだ。
とりあえず面倒そうなのでそこは軽く流して、なにやら重大なことを隠していそうな隊長の言葉を固唾を飲んで待った。
居心地悪そうにしても許さない。さあ吐け、ってなもんだ。
「まあ、そのうち知れることだが、アーンは軍医になるのと同時にカレント侯爵家の養女となりそこにオルビイが婿養子に入る兼ね合いがあってな…急いでいたようだ」
それは真実でそれは嘘。
ないまぜになった答えに一体なんとコメントしたらいいのか。
相変わらず居心地悪そうに顔を歪ませる隊長が潜ませる嘘を、必死に吟味しても腐っても隊を任される人間である。腹芸もスキルのうちと決して胸の裡は読ませない。
ならば敢えて嘘を真実として飲むよりなかろうと、軍隊式に黒を灰色で塗りつぶしフランデル曹長は苦笑いに口角を吊り上げた。
「…で、ありますか。侯爵家絡みならば急な人事も致し方ないですな。では我々は異動準備がありますので、これで失礼いたします」
不満そうな女共を引き連れてさっさと退出していく背中を見送りながら、俺は羨ましさを押し殺しきれず小さなため息をつく。
せっかく憧れの場所にたどり着けたというのに、あっという間に置いてけぼりとか切なすぎる。ここから大隊まで、一体どれほどの努力と時間をつぎ込めば手が届くのか。
執務机の向こうで陰気な顔をさらす隊長を見やりながら、スピード出世は難しそうだと諦めた。
この見目麗しくお家柄もすばらしい隊長は、勇気と度胸はピカイチだが如何せん思慮に欠ける。折角練った策もとんでもない大穴があいていることがあり、これまではそれでも副長と補佐官のフォローでなんとか事なきを得ていたが、そのあたりを俺が進言申し上げて素直に聞いてくれるかどうか。
急に抜擢された隊長補佐官の荷が重いのは、この軍最下層の階級章のせいもあると気まで重くなってきた。
「…とりあえず、これの決済をしてしまいましょう」
脳筋集団の中で、多少筆記テストの点がよかったという理由だけで新人なのに過酷な任務を割り振られすぎだと涙がにじむが仕方ない。上官の命令は絶対なのだ。
素直に書類に目を通し始めた隊長を尻目に、部屋に戻ったら転属願いを書こうと堅く心に誓う俺だった。




