6 細かいことほど気にしてはいけない
ぼんやり話していた内容が自分の過去を探るのにとても重要なことであることはわかっても、以降一切思い出せないのだから考えるだけ時間の無駄である。
どのみち、不審なあたしを先生が養子に迎え、さらにその婿養子に副長を迎えるという二段養子縁組も、結婚を了承した時点で決定したのでこの際不利になるかもしれない記憶は葬っておく方がいいということで、先生と副長の意見はまとまったらしい。
「これまでわざとチホに晒していたダミー情報が敵軍に洩れるということもなかったし、間諜ということはまずないと上層部も判断している」
「そうそう。子供を産むなら若い方がいいんだから、貴女の年があと一つ二つ減っても問題はないわけですものね」
「…実はとっても気が合うんですね、お二人とも」
「「利害が一致している間は」」
嫌味も通じないんですか、そうですか。
してやったりと冷めたお茶をすする未来の義母と夫に、ため息を禁じ得ないのは何故だろう。きっと一生付き合っていかなきゃならないことが決定したからだ、そうに違いない。
面倒なことだと苦りながらも、結構幸せでもあるんだから困りものだった。
なにしろ天涯孤独だと自覚してから初めて、家族と呼べるものが持てそうなのだから、ほんのり浮かれていても許してほしかった。
そんな幸せな午後の後には、忘れていた面倒が残っていた。
「なんの冗談だ、それは」
イライラを隠しもせず指先を机にぶつけていた隊長は、己の前に並んだ人間を等しく睨めつけて、非常に機嫌がよろしくなさそうである。
「残念ながら事実です。アーンは医局へ異動し、その後レネー・カレント女侯爵の養女となる。そして俺は彼女と結婚して、侯爵家の婿養子になる」
対して副長は、鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌だ。
「異動の話しは先ほども聞いた…了承してはいないが。だが、養女になるだの結婚するなどという話しは聞いたこともないぞ。人を騙すならもう少しましな嘘をついたらどうなんだ」
吐き捨てた隊長のこの反応、仕方ないだろう。あたしだって他人がいきなりこんなことを言いだしたら、鼻で笑うに決まっている。
何しろ平民が貴族の養女になるというのは、それだけ異例の事あのだ。ましてやそれが侯爵家ともなれば、ありえないと言い切ってもいい。
孤児院出のあたしがレネー先生の養女などと…
「嘘はない。全て事実だ」
「ならばなぜお前が婿だ!子爵家の嫡子より、伯爵家次男の私の方よ余程、アーンに似合いだろうっ!」
バンッと机を叩いて立ち上がった隊長に、思わず頭を抱えてしまった。
『そっちー…驚くのも怒るのも、そっちなのー…』
結婚話はどうでもよくないのかな、この場合。
しかし、睨みあう隊長と副長はその辺が重要らしい。全くもって揃いも揃ってどうして部下の、それもあたしなんかがいいのやら。
「あれですか、隊長もわたしが真面目に仕事をするとか血を見ても驚かないとか、そんな理由で結婚がどうのとおっしゃるんですか?それとももっと即物的に侯爵家の当主は魅力的だとかですか」
そういえば副長は侯爵家にくっついてくる地位・名誉・名声・財産なんかの付属物には興味ないんだろうか?本当は逆玉狙いだったりしてと、隣を流し見たら睨まれた。違うんですね、はい、わかりました。ごめんなさい。
…話しを元に戻して。そう、こう言われた隊長の反応は、麗しいお顔を歪めたお怒りだった。
「爵位に興味は無い。そもそもそんなものを狙っているのなら、入隊などしないだろうが。自慢ではないが当家の継嗣は近年希に見るぼんくらと名高い男だぞ。両親親類縁者揃って廃嫡を目論んでいて、当然その後に当主となるよう再三再四私は言い含められていたくらいだ」
それ、自慢ですか?僕は優秀なんだぞーってアピール?もしそうならちょっと隊長を見る目が変わりそうだわ。とか思ったんだけど、取り越し苦労だった。自惚れでも何でも無く、それが事実でただ本当のことを言っているだけだって、至極真面目な様子の当人と、隣で無反応の副長が態度で示していたので。
そうかぁ、非の打ち所のない人間とかいるんだっけ、世の中には。自他共に認める超人みたいない人が。
「だが、私は己の限界が知りたかった。できないことはないと言われ続けた自分が、本当に誰をも凌ぐ才を持っているのか、この腕一本で試してみたくなったのだ!」
…いなかったわ。勘違いでした。欠点は誰にでも平等にあるんだよね。いいえ寧ろ、他が優れているだけにこれは痛い。なんだか痛すぎる。
「冒険者に憧れるお坊ちゃまかよ…」
「言いえて妙ですね、副長」
同じ感想を抱く者同士、目くばせして頷きあっているというのに隊長はそれに気づきもせずまだ燃えていた。
なんて暑苦しい人なんだか。ま、それならそれで対処のしようもあるからいいんですが。
「…君とならどこまでも行けると思ったんだ。私の才能に君の能力が加われば、世界の果てを目指すのも夢じゃない!」
「目指しませんよ、そんなもん。というか、まだこの話題続いてたんですか」
「まだではなく、これが本題だ。私が君を好きな理由は、君の無限の可能性だ!」
…医者…レネー先生はいずこでしょうか?ここにヤバ気な病人がいますよ。
掲げた拳も雄々しい隊長を、きゃっきゃとはしゃぐお嬢様方に是非お引き合わせしたい。一年付き合っていて気づきませんでしたが、この人相当キテマスヨ。
あたしよりは隊長の生態に詳しそうな副長はこれをご存知だったのかと、隣を窺うと小さく頷いている。
「…戦況が不利になったり、上官に無茶言われたりする度、やけに燃えるんだよなぁ。初めのうちは逆境に力を発揮するタイプなんだと思ってたんだが、わりとすぐただの阿呆だと理解した」
「ああそれで。副長けっこう隊長に辛辣でしたもんね」
「いちいち相手にしきれんだろう、あんなの」
「ですね」
付属品がいっぱいついている分なんとかプライマイゼロのにしてるけど、これで容姿が平凡とかだったらこの人、女余りの軍の中でも見向きもされてないんだろうなぁ。
人形のように整った顔を興奮で薄ら赤くしている隊長に吐息を零して、あたしはきっぱりお断りしておいた。
「わたしが好きなのは副長で、侯爵家の養女になるのは決定事項です。隊長のお気持ちにはお答えする気もないので、世界の果てはどなたか別の方と目指してください」
そこを何とかと言いたげな隊長に、俺も副長降りるから後任捜しておけよと止めを刺されていた。
「え?そうなんですか」
「ああ、前から大隊長をやらないかと打診されてたんだ。あの規模になると補佐官としてお前連れていくのが難しかったんで断ってたんだが、こうなったらここにしがみついてる意味はないんでな」
呆然としている隊長を執務室に残して、あたし達は廊下に出た。
「さて、将軍のとこまで行ってくるか」
「わたしは先生のところに戻ります」
副長の目的地とあたしの目的地はここで左右に別れるけれど、今後の人生は寄り添っていくことがこれではっきり決まった。
独身希望だった数時間前からはおおよそ考えられない大どんでん返し、だけれど、人生の転機なんてこんな風に突然そして一瞬で起こることなのかもしれない。
ただし。
「そうだ、チホ」
振り返った副長が、にやりと笑う。
「さっき隊長に俺が好きだって言ったあれな、嬉しかったから毎日言ってくれ」
瞬時に顔に血が集まって、勢いで吐いたセリフのこっぱずかしさに穴を掘って埋まりたい気分だった。
「嫌です、絶対イヤーっ!!」
素直って、思いのほか恥ずかしい。
お付き合い、ありがとうございました。