5 答えが出た後に残る謎とは
取り急ぎですので、誤字脱字が多いかと。
絶体絶命、である。
にこにこ笑ってみているだけのレネー先生は最早、傍観者でしかなく、副長は勝利を確信して余裕綽々、そしてあたしに逃げ場はないとくればこれ以外の表現なんかあるわけがない。
「だって、考えたことないです」
「…なにを?」
「副長と恋愛できる可能性、です」
障害が取り払われ見通しが良くなった先を覗いて、気づいた。
端から諦めていたものまで一本道を示されても、ヤッターとは飛びつけない。むしろそんなにうまく事が運んでいいものかとか、この後やっぱり駄目だったてオチじゃないのかとか、不安になったりするのだ。もっと単純明快な性格ならば、ハッピーエンドで終われたかもしれないけれど。
「だいたい、わたしなんかのどこがいいんですか」
そしてマイナス思考は、一番初めに聞かなきゃいけなかったことを今更議題にあげてきた。
訓練しているか戦場にいるか、でなければ執務室で顔と顔を突き合わせているか、振り返ればどれも恋愛と程遠く、プロポーズに至る感情の変遷がどこにあったのが全くわからないのだ。
しかし探る視線のあたしに副長は、そんなこととばかりにさらりと述べた。
「真面目で努力家なところだな。血だらけの兵を見ても顔を背けない豪胆さや、俺や隊長にも臆することなく意見できる根性も好ましい」
部下に対する手放しの賛辞を。
「貴方…わたくしの協力を無下にするわねぇ」
そしてお茶を啜りつつため息を吐かれたレネー先生、貴女もしかして。
「…グルですか、お二人とも」
「あら、人聞きが悪いわよチホ。お互いの利害が一致した結果と言ってちょうだい」
「言い方を変えようと、やったことに変わりはないでしょうに」
全く、いい年をして何を考えているのやらこのご婦人は。しつこく食い下がってくると思っていたらそんな裏があったとは。
どこ吹く風の先生と、多少なりとバツが悪そうな副長に呆れながらも、罠にかかったのならば仕方がないと肩をすくめる。
可能性を考えていなかった方々に同盟を組まれ、手の内を読まれていたのなら逃げようがないもの。それよりも。
「副長、部下として褒めていただけたことは非常に嬉しいですが、優秀な人材との結婚をお望みでしたらわたし以上の女性は掃いて捨てるほどいますよ。…例えばそう、レネー先生などはいががです?」
「……強烈な意趣返しだな、それは」
「あら、気づいたの?唐変木のくせに」
にっこり笑って言ってやったのに盛大に顔を顰めた副長は、更に追い打ちをかけた先生に沈黙した。どうやら自分の説明が不適切だと、やっと気づいたようだ。そうしてぼそぼそ始めた言い訳めいた告白は。
「随分と一生懸命だな、と思ったんだ。何をやらせても真剣に取り組むし、手を抜かない。よく見てもらいたい相手にだけじゃなく誰にでも平等に対応するし、治療に至っては他の者が手を出すのを拒絶する傷や病にも躊躇なく対応していた…確かに、そうだな。これじゃあ信頼する部下に対する評価だ。だが、部下を抱きたいとか離したくないとか、思わないだろう?ましてやあの隊長が赴任してからはお前にちょっかいかけるのが許せなくてな。そこに異動する宣言をされたんだ、焦ってカレント局長のところに押しかけたら、何故だかこんなことに…いや、そうじゃないな。単純に言ったら好きって感情に明確な理由なんてないんだよ」
「はぁ…」
結局長々と説明した割に、最後はそんな言い方で締めるんですか、そうですか、と諦めたかけたところでこちらに向き直った彼は、ついぞ見たことがないほど真剣な表情で仰った。
「お前に惚れてる。嫁に来い」
随分長いこと間近で接し続けたので忘れがちだが、この人はお嬢様方が目の色を変えて結婚相手にと望むほど外面内面共に恵まれた人だ。それが真顔で、目と目を合わせてこんなセリフを言うなんて。
「…反則です、副長」
ストレートって、凶悪だと思う。下手に擦れちゃったせいで理屈をかなぐり捨てての言葉はびっくりするほど胸に刺さるんだもの。
熱くなった頬を押さえながら降参だと微笑むと、破顔した副長にぎゅうぎゅう抱きつかれて、天国を覗いています、肉体的に。窒息するでしょうが、軍人の力で締め上げられたら!
「ちょっと少佐、やっと見つけた跡継ぎなんですから殺さないでちょうだいな」
辞世の句でも読もうかと思った頃、対面から呑気な声がそんな風に盛り上がってる副長をとめてくれたんだけど、え?跡継ぎ?
「…せ、せんせ?」
掠れた声でそれは誰の事だと振り返れば、貴女よと悪気ない笑顔が眩しい。
「ほら、わたくしの爵位と領地って一代限りのものではないでしょ?陛下に褒賞としていただいた時にはまだ子供の産める年だったものだから、優秀な子に譲って末永く国のために尽くすよう言われていたのよね。まあ、人材の流出を防ぐための方策だったんでしょうけれど、結局独り身を通してしまって、親族もお金は好きだけれど医術には爪の先ほどの才もない子ばかり、いっそ養子でもと思っていたころにチホの実績を聞いたの」
記憶喪失で天涯孤独なんて、都合がよすぎて笑いが止まらなかったわぁ。
…とか言いながら本気で高笑いとか、悪役っぽいんでやめてください。人の不幸を笑うとかどうなんですか、大人げない。
それに、バックボーンが怪しすぎるあたしなんかに一軍人が二、三回命かけたくらいじゃ手に入らない爵位を軽々しく譲ろうなんて、女傑と言われたレネー先生が下す判断じゃないと思いますけど?!
正気ですかと無言で問えば、勿論とあっさり頷かれる。
「わたくしだって馬鹿じゃないのよ。貴女が保護された時の様子、その頃の間諜の動き、人種、全てを精査してからでなければ養子にしようなんて思わないわ。結果は問題なかったけれど…我が国の周辺にチホと同じ言語、身体的特徴を持つ国や集団がないことだけがどうにも不思議なのよね。ねえ、何かほんの少しでも故郷の事で覚えていることはないの?」
「え…うーん…ない、んですよね」
手元に残っている過去の記憶へ繋がる僅かな物を思い出しながら、あたしは首を捻った。
この国の言語ではない数字と文字が並んだ、カラフルで可愛らしい手帳、小さなカバンに財布と思しきものに僅かに入っていた貨幣。使用法のわからない手のひらサイズの金属とガラスでできた何か。衣服はデザイン的に露出が大きく、もう少し年を取っていたなら娼婦と間違えられたところだとのちにシスターから聞かされた。
これらから自分を思い出せる材料は一つもなく、寧ろ新しい自分の年を重ねるごとに、昔を少しずつ失っていく気さえする。まあ、それを思い出す時間も、悲しむ暇もない忙しい日々だったのはよかったけれど。
しかし、それよりも。
「わたしに関する調査をするなんて、お金と時間の無駄じゃありませんか?それほどの価値がある人間だとは思えないんですが」
「ある」
「あるわよ」
異口同音に即答した二人は、口々にその重要性を説きだした。
「一兵卒であっても身元調査は入隊前に当然行われるんだぞ。中でもお前のように短期間で昇進した者については再度詳しく調査されるのは当たり前のことだ」
「特にチホは不審な点が多いのよ。人体の仕組みに妙に詳しかったり、年齢と境遇のわりに知識が豊富だったり、まるで…特殊な教育を受けてきたかのように。だからね、本当に色々と時間をかけて調べたのだけれど、わかったことはまるでわからないってこと。白とも黒とも言えない不思議な存在」
…薄々わかってはいたけれど、こう正面切って貴女は不審者ですと言われてしまうとちょっとへこんだ。そうか、価値云々じゃなくて、怪しかったから調べるのか。うん、当然か。
別に副長も先生もあたしを尋問しようって思ってないのはわかっても、出自不詳というのは一生疑われて暮らさなきゃいけないってことなのだと、改めて認識させられると鬱々としてくる。
こうなると現金なもので、いい加減諦め始めていたはずの記憶を取り戻したくなるから不思議だ。真剣になったら戻らないもんかしから。
「そう、ですね。せめて年くらいは思い出せるといいんですが」
十五と申請された日から何の疑いもなく自分は未成年だと信じていたけれど、本当にそうだったろうか。なんだか改めて考えてみると、どことなく違う気がしなくもないんだけど…そんな若かったか?自分。
眉根を寄せて考え込んでいると、副長もそうだなぁと呟く。
「只でさえ三十近い男の嫁が二十歳そこそこじゃあ誑かしたみたいで外聞が悪い気がしてたんだが、これで十代だとか言われたら、あと数年結婚できないな」
「えーあたしそんなに若作りですか?」
「いや、若作りというか事実若いというか」
「そりゃ、欧米人に比べたら幼く見えるかもしれないですけど、十代は勘弁してください。これでも大学生なんですよ」
「…ダイガクセイ?」
「チホ?」
「はい?」
果たしてあたしはいくつなのだろうか?物思いにふけりながらほぼ無意識でしていた受け答えは、先生の不審げな声で打ち切られた。なんだろうと首を傾げながら視線を向けると、何やら難しい顔をしていらっしゃる。副長を伺うとこちらもご同様だった。
はて?
「あの、わたし何かおかしなことを言いましたか?」
返事はなかったが、様子を見るにどうやらなにかやらかしたらしい。
何を?
機械とガラスでできたものは多分、ガラケーだと思うのです。だって5年前だし。スマホよりガラケーのがいっぱいあったし。