2 何事もムードとタイミングが肝心
強制短縮された昼休み、来月の演習予定なんてさし迫ってもいないものを組み立てさせられているあたしの横で、副長は宣言通りに人のお昼を掻き込んでいた。
部下の食いさしを気にもせずがっつく貴族って時点で大分まずいと思うんだけど、マナーは星の彼方だし服装は乱れきってるし、見れば見るほど注意する気も起きない。これでも出会ったばかりの頃は、三隊の品位にも関わるんできちんとして欲しいとしつこいほどに言って回っていたのだ。効果が一ミクロンも無いんで、最近は口にすることすらないけれど。
「…助かりました」
「おう。あのままじゃお嬢様方にミンチにされそうだったからな」
「心は既に砂漠でしたけどね」
傍で聞いたら意味不明なぶつ切り会話だったろうが、あたしたちにとっては毎度おなじみのやり取りである。苦笑いを交わして、肩を竦めるのもパターンだ。
あまりにタイミングのいい助け船は食堂に入って早々、隊長と取り巻き、そして絡まれる部下を見つけた副長が、食事を諦めてくれた結果だったのだが、最近さすがにあたしはそれら一連の事象に辟易としてきていた。
隊長は自分が女性隊員からどう見られているのか、まったく自覚がない。あの人の不用意な発言のとばっちりは必ず、隊唯一の女性幹部であるあたしに向くのだけれど、お構いなしで失言を連発してくれる。
ここ一年、副長のフォローがあってそれでも何とかやってきたが、そろそろ我慢の限界で、そしてそれが今回の決断には大いに役立つ切っ掛けとなってくれていた。
いつ言おうか、明日にしようかと迷っていたけれど、今は絶好のタイミングかもしれない。思ったあたしは顔を上げると、食事を終えてコーヒーを啜る副長にひたと視線を据えた。
「いい加減女性の嫉妬に晒されるのも疲れてきたことですし、渡りに船のお誘いも頂いていたので、私、三隊を辞めさせていただきます」
「…はあぁ?!」
そんなに意外だっただろうか?あたしの言葉を理解するまで一拍を要した副長が、勢いよく椅子を倒して立ちあがるのを見ながら、首を傾げてしまった。
結婚を諦めたり、お一人様を決めたりした女性隊員が、真っ先に考えるのは老後である。今後でも未来でもなく、老後。この辺りに切実さが出るのだが、それは年々体力が落ちていき平隊員では三十過ぎたら除隊を考えなければならないのが大きな理由だった。
とはいえそれまで兵役で得た給金は町娘の稼ぎの倍にはなるし、退職金も弾んでもらえるので、それを元手に商売でもはじめて成功させれば一生に食うには困らないだろう。
だが、五十過ぎまで軍に在籍して荒稼ぎできる方法もある。特殊技能を身につけて、小隊ではなく内部に籍を置くことだ。もちろん剣技に自信があるのなら、大隊長や将軍を目指すのだって当然ありだが、それよりも軍医や機密情報部に回る方が余程女性ならば簡単で美味いやり方である。
そしてあたしが今回誘っていただいたのは、軍医だった。
医術は実地経験の豊富さが命だ。どれだけ学び知識をつけても、現場でそれが活かせなければなんの意味もない。幸か不幸かその点であたしは文句なしの合格点をいただいてしまったのだ。
四年の間三隊の治療を預かったのは当然ながら、幾度か経験した戦では他の隊の隊員を救うことも多々あった。どの隊にも一応衛生兵は一人以上配置される規則なのだが腕は度外視のため、戦闘力だけに重きを置く阿呆…いや好戦的な隊長の場合、衛生兵まで戦力と考え筋力だけで選んでしまうのだ。
おかげでそんな連中と同じ地域に派遣されると、負傷したと言って何故かうちの隊に兵が運び込まれる。あたしにだって戦闘義務はあるので別隊の面倒まで見られないと突っぱねようにも、副長命令で治療させられ、何故か三隊で手当てした兵の生存率と治癒率の高さが噂になりまた負傷兵の運び込まれる数が増え…。
堂々巡りで実地経験を積むうちに、とうとう軍医の重鎮からお誘いを受けるまでになった。つまり晴れてお嬢さん方から絡まれないポジションを確保できる権利と、将来の安定を手に入れたのである。こんな喜ばしいことがあるだろうか!副長だって面倒事から解放されるんだから、驚くより喜んでほしいんだけど。
「誘いって、なんだ?まさか嫁にでも行こうっていうのか」
地の底を這うような声で、寧ろ怒られているみたい。顔つきもとっても凶暴で、去年東の内乱鎮圧で暴れていた時のものに戻っているみたいなんですがっ!
「貰い手がいないのに嫁には行けません。軍医になるんですよ」
机を回り込みじりじりとこちらを追いつめる様子の副長に、極めて冷静な状況報告をすれば、にやりと黒い笑みが浮かぶ。
「チホさえうんと言えば、明日にでもオレが貰ってやるぞ」
「冗談で本題を誤魔化さないで下さい。ついでにファーストネームを呼ばない。なるのは軍医です」
「なんだ、オレの嫁じゃあ不満か?」
「不満なんか言える身分じゃありませんよ」
「なら…」
「何をしている!」
壁まであと一歩で追いつめられてしまう。
そんな際どい瞬間に、派手に音を立てた執務室のドアから大股でこちらに歩み寄ってきたのは、食堂に捨ててきたはずの隊長だった。
これまた去年戦場に立っていた時と同じ厳しい表情で、副長をじっと見下ろしている。
「個人的なことだ。お前には関係ない」
「勤務時間中にか」
「まだ昼休みだろうが」
静かに怒りを漂わせる隊長を鼻で笑って、副長は扉を顎で示した。
「出て行ってくれ。こっちは人生かかった大事なとこなんだよ」
……とぼけるつもりないし、自分が天然であるとも思わない。だから真っ直ぐに副長の言葉を理解すれば、これはもしかしてあの冗談めいた求婚が本気だということなんだろうか?
想像するだけで、この人に結婚前提のお付き合いを申し込んでいる複数の女性から刺される悪夢にうなされそうだった。
あたしだって恋人が欲しいとか結婚したいとか思わなかったわけじゃないけれど、諸事情で諦めていたし、よしんばそういった存在ができてもぜひ命の危険がない相手でお願いしたいのだ。こんな本気で生存競争に響いてきそうな伴侶、欲しくない。
それも真意が隊員の慰留か、別の感情か、口にもしない相手の本気など受け取れるわけもない。
「かかってません。私は隊を辞して軍医になる、話しはそれだけなんですから」
間違っても嫁とかそういう生々しいのはナシです。
何故だか自信満々の副長にそう返して、ついでに隊長にも転属するための除隊届けを出そうと脇をすり抜け…ようとしてできなかった。ごつい手のひらでがっつり二の腕を掴まれてしまったから。
「離してください」
腕を見下ろし溜息をつきながら副長を見上げると、真剣な顔でお断りされた。
「隊を離れるなんて許さない。ましてやオレの求婚を断るなんて、冗談じゃない」
「待て!隊を辞めるとはどういうことだ!」
自己中オレ様発言の副長には辟易ですが、隊長の一歩遅れた反応にもそこはかとない絶望感がありますよ。
この二人と共に戦場に出て、よく命を落とさなかったものだと過去を反芻しつつ、鬱陶しい彼等を振り切る方法を模索する。
「隊を辞めるのも、結婚をお断りするのも全て、わたしの意思で望みです。お二方の要望を通さなければいけない理由はそこにありません」
「馬鹿を言うな、女の幸せは結婚して子をもうけることではないかっ」
「そうだぞ。求婚者がいるのにわざわざ嫁に行かない女なんかいないだろうがっ」
「……変なところでだけ意思と息を合わせるの、やめてもらえませんか」
やっぱりこの程度じゃ納得してくれなかったかとゲンナリしつつも、言われた内容にムクムクと反抗心が湧いてくる。
なんだって誰も彼も、結婚して子供産むことが女の幸せの全てだと思うのだろうか。
浮気性の同僚と一緒になってしまった五隊のあの子なんて、子供を産んで早々実家に帰ったとこの間来たときに憤懣やるかたない様子で話していたし、事務方の彼女なんて結婚前から愛人が三人もいる小隊長に嫁ぐとき『生活費と子種さえくれるなら相手なんて誰でもいいのよ』と、あっけらかんと笑ってた。他にも諸々、女性の武勇伝は掃いて捨てるほど聞き及んでいるけれど、おとぎ話のように幸せになった子達なんて、ほんの一握りだ。
女の方が多いし売り時が短いせいか、男達は当たり前の顔で浮気する。年をとろうと子種がある限り、あちらへこちらへフラフラするのだ。
勿論中には妻子や家庭を大切にする男性もいないわけじゃないけれど、基本的に女性の方でも男はそんなものだと諦めている節がある。
でも、なぜだかあたしはそれが許せなかった。昔から浮気する男もそれを黙って受け容れる関係も大嫌いだ。だからこその幸せな老後計画なんだけども。
「わたしは結婚だけが女を幸せにしてくれるとは思っていません。男などいなくても手に職あれば食うには困りませんから」
余計なお世話とばかりに口を開きかけた隊長と副長を黙らせて、自分なりの持論を展開すると腕を掴んでいた手を振り払う。
それでも黙って引く気はなさそうな態度に色々面倒になり、内ポケットに潜ませていた書類を引っ張り出すと隊長の手のひらに押しつけた。
「除隊”届け”です。”願い”ではなく”届け”ですので、そこの所お間違いなく。隊長の承認は不要です。医局部長のレネー様に既に頂いておりますし、後任の軍医兼兵士の手配も済んでいます」
唖然とする彼等を更に呆然とさせたのは、レネー先生のお名前だったに違いない。
影の将軍とか唯一の女性軍最高顧問とか、噂と肩書きに困らないこの老婦人はあたしなどを医局に誘ってくださった権力者だ。貴族としても王直々に侯爵位を賜っている女傑で、いいとこのボンボンが多い軍の中でも、たかが中隊長風情が意見できる相手ではないのだ。
内緒だが、密かにあたしの目標で憧れだったりもする。
「引き継ぎをしてからと思っていましたが、これ以上ここにいると厄介事に巻き込まれそうですので、本日をもちまして医局へ異動させていただきます。ありがとうございました」
敬礼をすると私物の入ったバッグを担いで、まだ魂抜けている男二人を置き去りにあたしは意気揚々と新しい職場に向かったのだった。