1 お強いです、お嬢様方
短くさくっと終わりたい。
そんな予定です。
自分で言うのもなんだけど、あたしの出自は怪しい。
気づいたらぼんやり街角に突っ立っていたのだ。何故そんなことになったのかどうやっても思い出せないし、それどころか自分の名前すら記憶にない。
どうしたものかと途方に暮れているところに、通りかかったおばさんが親切に声をかけてくれたのだが、そこで更なる問題に直面した。
言葉が通じなかったのだ。
意味不明な言語を早口にまくし立てられ、どうやら心配されていることだけはわかったがこちらが答えても首を傾げられるばかり。泣きそう…ううん、泣いた。もう本当にどうしていいかわからなくて、わんわん泣いた。
そうされたところでおばさんだって困るわけで、扱いあぐねた彼女に連れて行かれた交番のような場所で、恐い顔したおじさんに尋問を受け、気付けば大きいだけではっきりとボロだと言い切れる家に押し込まれて病人の世話と掃除、洗濯で一日を終始する生活が日常になった。
ようやく言語習得をした一年後に知ったのは、あたしが密入国者の子供だと思われ(顔立ちや衣服が違ったことと言葉が話せないことが決定打になった)警察に突き出されるもあまりの無知に対応に困り、人手不足だった病院(疫病患者専用のほぼホスピス)の下働きとして下げ渡されたこと、子供の身で病気に感染することもなく健気に働く(言われたことをしてただけ)姿に神の思し召しを見たらしいシスターが(勘違いだと思う)、言葉とこの世の常識なんかを教えて一人で生きていく力を与えてくれたことを知った。
結局一年の監視・勤労生活後、ただの迷子として戸籍をいただける運びとなり、そうなるとお金を稼いで生活することがまず第一で、一番実入りも良く尚且つ衣食住が保証される国軍への入隊をシスターに勧められると、一も二もなく飛びついた。因みにこのとき、あたしの年は十五才。本当はいくつなのかわからないが、新設された戸籍にそう記されていたので以後これに年齢を重ねて行っている。
慣れない新兵の頃は辛いことばかりだったけれど、逃げ帰る家のある子達と違って色々切実だったことと、その前に経験した病院での奉仕活動の方が肉体的にも精神的にもきつかったものだから、あたしは意外に淡々と訓練をこなし、気づけば入隊して五年、何故か得意だった計算と医学の授業が功を奏して、庶務兼衛生兵として隊の副隊長補佐を任ぜられるほどに出世していた。結構水が合ったらしい。
けれど、軍にはどうしても馴染めないこともある。
『独身、バンザイ…』
目の前で昼食そっちのけで繰り広げられる肉食女子の静かなる死闘に、あたしは思わず記憶の果てにある言語で呻いてしまった。
女数人が、男一人に取り入るため、牽制し合うわ笑顔で貶し合うわ、えげつないことこの上ない。それもこれも世の男が女より少ないがために起こる当然の事象だった。
とはいえ人口にそれほど差異があるわけではない。同年代の男女を集めると女の子十人に対して男の子が八人くらいといえばわかりやすいだろうか。
それでも絶対数が足りないことに違いはないので、優良物件には若い女性が群がる事になるのだ。
特にこの苛烈な女の争いは、軍内部と貴族達の社交界で泥沼の様相を呈している。
街中でだって恋人探しや夫捜しは行われているが、女性が相手を見つけるためだけに入隊する軍や、夫を得るためだけにデビューする社交界は目的がはっきりしているだけに、恐ろしさが桁違いなのである。正に生存競争、サバイバルが日々実践されていた。
おかげで五年の間に同僚となった女性は山といるが、今も同僚であるのは片手で足りるほどしかいない。彼女達はほぼ一年、長くても三年で伴侶を捕まえて軍を辞めていくからだ。あたしの様に長年籍を置いているのは、一人で生きていくことを決めた女ばかりなのである。
十代の頃からあのえげつない足の引っ張り合いを目の当たりにすると…夢も希望も砕け散ると思う。ついでにそんな諍い見て見ぬふりで、美醜だけで奥さんを選ぶ男たちにもうんざりだ。
すっかり絶望したあたしは、今じゃ立派な独身主義者。めざせ優雅な老後生活!である。
「また故国の言葉で独り言か?」
すっかり味のしなくなった食事を無理に詰め込んでいると、正面に見慣れた顔がひょいっと覗く。
光に透けるプラチナブロンド、氷色の瞳、イヤミなほど白い肌に、整いすぎて彫刻を彷彿とさせる顔かたち、一年ほど我が隊で隊長をされているランバート・マーロウ子爵様である。伯爵家の次男であるこの方は権力+収入+美しい姿=最高の婿という二十七才の最も優良な獲物であるから、こんな風にハンターだらけの食堂に無闇に現れると、
「まあ!ランバード様!!」
「隊長、こちらにいらしたんですの?!」
「本日のランチはとてもおいしいんですよ!!」
と、事務職扱いで入隊している貴族のお嬢さん方にすっかり周囲を固められる愉快な事態になるのである。ついでに、
「食事を終えたならさっさと持ち場に戻りなさいっ」
「いつまでも食堂に居座るのじゃありませんっ」
例えまだほとんどの皿が食べ物に占領されていようと、あたしの食事は強制的に終了させられるという不愉快な事態にもなる。いい迷惑である。
「待ちなさいアーン補佐官。まだ食事を終えていないじゃないか」
やれやれ面倒なと、女の戦いに巻き込まれるのは御免だと、食べかけのトレーを持って早々に戦線離脱を画策したあたしは、彼女達が作る人垣から器用にこちらをのぞき見ていたらしい隊長の声に足を止めた。因みに”アーン”はシスターがくれたあたしの名字である。ファーストネームはチホで、これは発見時に持っていた手帳の名前欄に記入されていたものをそのまま使っている。自分のものかどうかいまいち確証は持てなかったが、今ではすっかりなじんでしまった。
「…食欲がないのです。お構いなく」
素直に貴方の意見に従うということは、あたしの死期が早まるということなんですが?そんな胡乱な顔で振り向いたというのに、鈍い上司はこの上人を断頭台に送るようなセリフを下さった。
「それはいけないな。私が救護室まで送ろう」
「やめろ」
いそいそと近づいて来ようとした人の襟首を掴んで止めてくださったのは、キーファ・オルビィ副長、あたしの直属の上官である。茶金の豊かな金髪を首の後ろで括り、夏の木立のような深緑の瞳、日に焼けた肌と荒削りな美貌、大柄な兵の中でも頭一つ抜けた長身の二十八才子爵家嫡男であるこの方も、隊長に負けず劣らずお嬢様方の優良婿候補である。
ただし副長と隊長は似て非なるもの、決して同列に置いてはならない。それは地位や実力の話ではなく、周囲に対する気遣いの点においてだ。
お嬢様方の標的としての自覚が隊長にはまだまだ足りないせいで、さっきのように女性部下をたびたび獣の巣窟へ放り込もうとするのに対し、ワイルドな雰囲気に反して繊細な心づかいのできる副長はこのようにあたしのピンチを度々救ってくれる頼りになる上官なのである。
「何故止めるんだ?部下の体調を気遣って…」
「いるならこれ以上アーンに構うな。これから急ぎの仕事を頼むのに、使い物にならなくなったらどうしてくれる」
ぺいっと隊長を放した副長は、代わりにあたしの襟首を確保するとそのままずるずる引きずって、出口に向かって歩き出す。
「ふ、く長!待って、トレーがまだっ」
「しっかり持っとけ。オレが食う。お前は仕事だがな」
『え?!それ、色んな意味でアウトだと思う』
「他国の言葉で喋るな。意味が理解できん」
「いえ、ですからっ」
ドップラー効果を残しながら、こうしてあたしは食堂を強制退去させられたのだった。
まあ、いいんですけどね。副長とは話しもあったし、脱出できたことに変わりないので。