第八十五話
ドラの七変化
短め
慌しい城内。通常であれば静寂に包まれているはずなのだが、ここ数日はドタバタと走りまわる音が聞こえる。それだけ忙しいということなのだ。普段、すまし顔で仕事をしている使用人の顔にもそれが見える。
そんな、ある意味で異常な音に耳を澄しながら、その人物は忙しい使用人や兵士たちを嘲笑うかのように、非常にゆっくりと動いていた。鈍いというわけではないが、他の人間に比べれば今の現状を理解しているのかと思うくらいには遅い。
かといって、その人物も好きでその速度で動いているわけではない。出来ればもう少し速く動きたいが、それが出来ないのだ。
その人物が横を通り過ぎると、大体の人間は手を止め、その異常な光景に一瞬見入ってしまう。
後ろにいる騎士団長の渋い顔も去ることながら、更に人目を引くのはその前にいる人物の容貌。顔は長い髪で隠れ、右腕と左足がない。どうやって動いているのかと見れば、後ろの騎士団長が車輪のついた椅子を押しているのだ。
使用人のやるような仕事を騎士団長がやっている。容貌を除いても、これだけでその異常さを認識出来た。
しかし、そこはしっかりと礼儀を教え込まれた使用人たち、一瞬見ただけで動揺すら見せず自分の仕事へと戻っていった。
一方、兵士たちはというと、その人物の容貌を見ると同時に何かを理解したのか、特に意識せず視線を外していった。
注目を集めている二人は、視線を受けながら、広い廊下を通常のペースで進んでいく。進んでいくと言っても、椅子に座っている方は何もしていないが。
椅子に座っている人物は楽しそうに、椅子を押している騎士団長――ギルフォードへと声を掛けた。
「いや~、ヤバイわ~。アンタをこんなにこき使えるとか最高ッ! 私優越感でのたうち回れそう!」
「のたうち回って死んじまえ」
不快感を隠そうともせずに言葉を返すと、続けざまに呆れたように言った。
「お前さぁ、ああいうの止めろって…。肝が冷える…」
「ん? どれどれ? 馬鹿共に馬鹿って言ったこと? それとも、馬鹿共を黙らせたこと? いや、三十路迎えたアンタの頭に禿げる兆候があるって、騎士団皆に言いふらしたことか」
「そんなことやってたのお前!? 通りで最近やけに皆から、頭見せてって言われるわけだよ! 大体眼見えないのに、どうやってそんなこと判断してんだよ!?」
「いや、なんとなく。性格的に?」
ギルフォードはとぼけたように首を傾げる目の前の人間に殺意さえ覚えてしまいそうになる。
だが、そんな下らない(ギルフォードにとっては重要かもしれない)ことはどうでもいい。訊きたいの別のことだ。
「ってちげえよ…訊きたいのは…」
「ああ、クロノさんへの言葉遣いか~。アンタ的には機嫌損ねないか心配なんでしょ? 図星?」
考えを見透かしたように言う相手にぐうの音も出ない。
「大丈夫だって。あの人は、そーんな人じゃないって。きっと」
「きっとかよ」
「彼と初めて会った時は、今みたいな感じじゃなかったでしょ? あの時私もいたけどさ。普通の少年だったじゃん」
初めて会った時――四年程前の話だ。
突然謁見の間に現れたかと思えば、不躾な言葉を散々に投げつけていった親子。
当時は自分も若かったとギルフォードは思う。安い挑発に乗ってクロノと試合をした。結果は語るまでもなく、負けたというより遊ばれたと言ったほうが正しいくらいのものだった。
座ったままの人物は笑いながら、当時を語る。
「ほんっと、あの時のアンタったらザマァないよね。見事にボロ負けしちゃってさ~。しかも終わった後「魔法が使えれば…」なんて負け惜しみしちゃってさ」
あの日は剣術の試合であったので、魔法を使わなかったのは事実である。使えたからといって、勝てたかと訊かれれば、それは否だが。
「うるさい。お前だって負けてただろうが」
「そりゃあね。あんなの勝てないって。剣術は大したことなかったけど、筋力が違いすぎたしー」
クロノが先ほど思った、聞いたことがある、というのはあながち間違いではない。確かに聞いたことはあった。ギルフォードの後に次々と向かってきた雑兵の一人の声として。ただ、その時は今のような状態ではなかったが。
テンションを少し下げ、更に言葉を続ける。
「結局さ。彼は普通の少年なんだ。今の彼はどこか無理してるように思うわけだよ」
「知ったような風だな」
「気づかないアンタたちが馬鹿なのさ」
軽く言葉を受け流すと、一旦そこで会話は止まった。
依然、城内は騒がしく、耳障りな騒音を耳に響かせる。
座ったままの彼、或いは彼女は、独り言のように、それでいてギルフォードに聞こえるように呟いた。
「…恥ずかしいね。そんな少年に頼らなければならない軍が…」
⇔
「来なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!」
近くにいるユリウスがよく息が切れないな、と感心するくらいに声を伸ばしてリルはそう叫んだ。最早二人だけとなった孤児院にリルの高い声が響く。
子供たちがいなくなって二時間、孤児院の扉を開くものは現れない。中に居るのはクロノの到着を待つリルと、避難する時の先導役となるユリウスだけ。
リルの我慢もそろそろ限界に達しかけていた。先ほどからストレス発散なのか、院内を走りまわっている所からもそれが窺える。
見かねたユリウスが言った。
「そろそろお前も避難しとけ」
「いーやだーー! 絶対来るもーん」
「避難の時邪魔なんだよ」
「来るったら来るのーーー!」
駄々をこねるリルの姿はユリウスからは見えない。声がよく響くのでそれだけで会話している状態だ。
こうなるとリルはテコでもここを動かないだろう。それくらいはユリウスにも分かる。”あの人”とやらが来るのを待つしかない。何時になるか分からないが。
しかし、逆にこれはチャンスかもしれないともユリウスは思う。”あの人”とやらの素性を知るチャンスだと。
そして、この日初めての来訪者が訪れる。
両開きの重そうなドアが開く。昨日の影響からか少し冷たい風が吹き込む。
その先に立っていたのは、程度の差はあれど、両者とも見たことがありそうでなさそうな人物。そして、リルの予想とは少々違う人物だった。
その人物は、扉が開くのに反応してまん前に立っていたリルの姿を見ると、やはりといった表情で言った。
「…匂いで主じゃろうと思ったわ…」
話は一時間ほど前に遡る。
⇔
ドラは言い方は悪いが、だらけていた。普段どおりといえば普段どおりではあるのだが。
やることがない。
昼前にクロノは王城へ行き、話し相手はいない。この街にいるのだからカジノにでも行きたいが、流石に今の現状でカジノに行くほど、ドラも空気が読めないわけではなかった。それ以前にやっていない可能性も高い。
そういった事情もあって、宿屋内でベッドに寝転んでいた。それしかやることがなかったのだ。
ドラがだらけていると、部屋のドアが開き、王城に行ったはずのクロノが焦った様子で入ってきた。
何かあったのかと訊いてみると、もう戦争に備え王城から軍が出発するのだという。それについていくらしい。迎え撃つのは王都から20kmほど離れた見通しのいい平原だそうだ。
わざわざそんな事を自分に報告しに来なくてもいいのにとドラは思う。臣下である自分のことなど気にかける必要はないのだ。終わったら勝手に探しに行くだけだ。
「そういうわけだから、行ってくる」
そう言って立ち去ろうとするクロノを見て、ドラはふと思い出した。
「なあ、主よ。依頼のこと忘れとらんか?」
「あー………」
やはり忘れていたらしい。冷や汗が滴っているのがはっきりと分かる。
どうするつもりなのかと、ドラが主の言葉を待っていると、出てきたのは全く予想していなかった言葉だった。
「ドラやっといて」
勿論、最初は断ろうと思った。命令であろうと。
しかし、クロノは逆だった。
「嫌ならいいけど。あくまでお願いだから…」
逆にその言い方の方が卑怯だと思った。断りづらいだろうと。そこまでクロノが計算しているのかは分からないが。
その後、子供の姿だから無理だろうと粘ったが、クロノの
「ドラ、大人にもなれるでしょ」
という一言によってそれも灰燼と化した。
よく覚えてるなと感心すると同時に、それ以上の抵抗を諦めたのだった。




