第七十七話
朱美さんはヒステリー
この二人のお話は外伝書こう
みんな壊れろ
クラウンが去った結界の中で、朱美は考えていた。どうするべきかを。
あんな奴の言うとおりにするのは癪だ。
だが、これが彼と話す最後のタイミングでもある。ここを逃せば二度と機会はない。このまま悔恨を残したままでよいのか。
天秤にかける。あんな奴の言うとおりにしたくないという自尊心と、後悔を残したくないという悔恨の情を。
そして、天秤は大きく傾いた。
最初から論ずるまでもなかったのかもしれない。クラウンに対する嫌悪も、実は無くなっていたのかもしれない。クラウンはきっと、生への執着だけでこの世界に残っているのではないと、何となく知っていた。それでも、天秤にかけなければ自分の気持ちが納得しなかっただけで。
つくづく自分という人間はめんどくさいものだと、朱美は苦笑した。
朱美は自ら選んだ選択をここに今、実行する。
やり方はなぜか知っている。これがクラウンの言う支配権の移行の効果なのだろう。
言うだけでいい。彼の名前を。
「起きなさい。ルーク・ユースティア」
止まっていた男が、何かが割れた音と共に動き出す。
男は振り返って朱美を見る。朱美を見るその眼は、記憶の中と何も変わらない。青い切れ長の眼。
「久しぶり…だな…」
「本当に…ね…」
短い言葉を交わし、二人の視線が交錯する。
しかし、どちらともそれ以降言葉を発さない。気まずい沈黙が結界を更に厚くしていく。
お互いに、頭の中で考えていることは同じだ。
――なんて声をかければいい?
何を話すべきか、決めかねる。
話したいことはいくらでもある。だが、それらを言っていいのか二人には分かりそうもなかった。なまじ、あんな別れた方をしたから。
「…何か喋りなさいよ…」
沈黙を先に破ったのは朱美だった。
「お前から喋ってくれ…」
「嫌」
ルークは、困ったような呆れたような微妙な表情を浮かべながら、何の解決にもならない言葉を発する。
「お前…何も変わんないな…」
「その話題はつまらないから却下。それにこれでも変わってます」
「性格は元から変わってるけどな」
「余計なこと言わないでくれる?」
「無茶振りするお前が悪い」
「面白い話題の一つも提供出来ないような男が悪いと思うわ」
「俺のせい?」
「じゃあ、私のせい?」
一度広がった会話の花は止まることをしらないまま、その範囲を広げていく。
他愛ない会話をしている内に二人は気づく。
――なんだ。なにも変わらないじゃないか
こんな下らない会話をあの頃、自分たちは何度もやっていたのだ。
気づくと二人からは笑みが零れていた。
その笑みは誤魔化しなのか、本心のものなのか二人には分からない。
だが、互いにこれだけは分かる。こんな会話を続けても先には進めない。
恐怖が渦巻く。これ以上深く入ってしまっては、何かが崩れてしまうのではないかと。
甘く心の中で囁く。崩れてしまうくらいなら、このままでいいのではないかと。
互いに相手を傷つけることを恐れ、当たり障りの無い会話しか出来ない。
ここで、二人は間違いに気づく。
あの頃とは、まったく違うのだと。こんなに気を使う関係ではなかった。これは違う。
「そういやぁ、あの青年はどこの誰だ?」
「クロノのこと? 私の息子よ。最愛のね」
冗談めかした口調の朱美にルークは軽く切り込んでみる。
分かっている。このままでは良くないと。だからこそ、ここであえて深くいく。朱美が何かを隠そうとしているここで。
「それだけ、じゃないだろ…?」
朱美は急に冷ややかな眼となり、視線を逸らした。
「……当ててみなさい……」
冷たい、感情の篭らない声。
ここでルークは知る。今の朱美は自分の知っている朱美ではないことを。そして、朱美を変えてしまったのは自分であることを。
「…俺の家――ユースティア家の人間だな…?」
朱美は答えない。ただ、俯くだけだ。
「沈黙は肯定と受け取ろう。おそらく、弟の方の家系か…。あの時は王都にいなかったからな」
才能のある弟の顔を思い出しつつ、朱美に声をかける。
「まあ、そんな事はどうでもいい。大方、捨てられたんだろうしな」
「なんで…」
「予想はつくさ。俺と同じ無属性。ってことは、俺みたいな人生を送ったんだろうよ。幸い、俺は捨てられかけただけですんだがな。いい時期に死んでくれた兄貴に感謝するよ」
自嘲気味に語るルーク。
「で、お前は俺にそんな息子を殺させるつもりか?」
「そうよ」
あっさりと、自分の息子を殺させると言う朱美。
知っている。彼女をこうしてしまったのは自分だと。
それでも、ルークは尋ねる。今の彼女を知るために。こうでもしなければ、前には進めない。
「…さっきの言葉は訂正しよう。お前は変わったよ。少なくとも、俺の知っているお前は、そんなことを言う人間じゃなかった。殺すとか死ぬとか、そういったものを激しく嫌悪する人間だったよ」
朱美は俯いていた顔を上げ、何かが壊れたように叫んだ。
「変わった…? あああああああああああああ!!!! どの口が言うの!?」
右手で頭をかき乱しながら、狂乱を見せる朱美。
「こうならなきゃ、私は生きていけなかったの!!! 壊れなきゃ、生きていけなかったの!!! 誰のせいだか分かる!?」
「俺だよ」
「そうよ! 「あの日」アナタが私を殺しに来たときから!! あっ、ぁぁぁぁぁ……!!」
壊れていく。ルークの中の朱美が。
眼を背けられない。こうしてしまったのは自分だと分かっているから。
涙を零しながら、縋るように朱美は尋ねる。
「ねえ、。なんで? ねえ、。!? なんで「あの日」私を殺しに来たの!? ねえ、。何がいけなかったの!? 答えてよ!!!!」
そこには『魔王』も『勇者』もなく、ボロボロになった一人の少女がいた。
こうしてしまったのが自分のせいなのであれば、責任はとらなければならない。
きっと、それは遅すぎることなのだけれど、それしか自分には出来ないのだ。
ゆっくりとルークは朱美に近づく。狂乱した朱美は光剣を造りだし、ルークに向かって刃を突き立てる。刃は鎧を貫くが、胸の中心に刃が刺さった状態でなお、ルークは歩みを止めない。
朱美の脳裏には恐怖が蘇る。初めて、死が自分に迫った時の。
「…やだ…来るな……来るな………来んなあああああああああああああああ!!!!!」
叫びながら、刃を振り回す朱美。出鱈目に振るった刃はルークの鎧を粉々に砕き、その下の身体を傷つけていく。
それでも、ルークは止まらない。いくら傷がつこうとも。
朱美は後ずさるが、結界の端に背をぶつけてしまう。焦燥しきった頭では、解除という単語が浮かんでは来なかった。
ようやくルークは朱美の元にたどり着く。そして優しく抱きしめた。
「落ち着けよ……可愛い顔が台無しだろうが……」
髪を撫でながら、そう囁く。
「…お前は何も悪くない。悪いのは俺だよ。ごめんな」
懐かしい匂い。懐かしい声。記憶の中で重なっていく。
同時に「悪くない」という言葉が何度もリフレインされる。
「あの日」自分が犯した罪が、ようやく許されたような気がしていた。
「…ぁ…ぁあああ…ああああああ……!!!!」
朱美はひたすらに泣いた。おそらく、人生の中で今までにないくらいに。
朱美が泣き止むまで、ルークは何も語らずその場に居続けた。ずっと。
「…落ち着いたか…?」
泣き止んだのを確認してからルークが声をかける。
「…うん…もう大丈夫だから離して」
「へいへい」
あれからどれくらい泣いていたのか、朱美には分からない。ほんの数分だったかもしれないし、途轍もなく長い時間だったかもしれない。だが、この空間には時間というものが存在しないので、確かめる術はない。
「どうする? まだ俺とあの少年を戦わせるか?」
ルークの問いに朱美は迷わず答えた。
「ええ。まだ、戦ってもらうわ」
「いいのか…? このままだと俺はアイツを殺すぞ?」
眉を顰めながらいぶかしむルークに、力強く朱美は笑う。
「アナタなんかに、私の息子は負けないんだから」
「なんかとはひっでぇ言われようだな。俺も舐められたもんだ」
「アナタなんてそんなもんでしょう?」
「そうかよ。んじゃあ、今からお前の息子とやらと戦いに行きますか」
「待って」
めんどくさそうに頭を掻きながら、背を向けてクロノの元に向かおうとするルークを、朱美は呼び止める。
「なにか?」
「その剣直してあげるわ」
視線の先にはぼろぼろに錆び付いたロングソード。傍目から見れば今にも砕けてしまいそうだ。
「あーこれか。お前どんな保存してたんだよ…。見た瞬間驚いて声を上げかけたわ」
「しょうがないでしょ。あれからなーんも手入れしないで、そこら辺に放置してたんだから。それとも、あっちがいい?」
朱美はクロノが落としかけているエクスなんたらを指さす。こちらはぼろぼろとは程遠く、しっかりと手入れされており、眩く光っているようにさえ見える。
「いんや。使い慣れたこっちでいい。あれ使ったことないから、使える気しねえわ。貰ってすぐ死んじまったし」
「…そう、じゃあこっちにするわ。鎧は?」
「いらん。アレ重いんだよ」
「騎士にあるまじき発言ね」
「騎士になったのなんて最後だけだしな」
言葉を交わしつつ、朱美は錆びた剣を奪い取り、地面に置く。
この剣の汚れは、大半が血によるものだ。長い年月を野ざらしで、血も洗わず放置していたら、こんな見るも無惨な姿に成り果ててしまった。今回のために、一応壊れない程度の強化はしておいたが、本人が使うとなれば、やはりあの当時の姿がよいだろう。
記憶の中から無数にある術式から、一つを引っ張り出し、剣に魔力で刻む。刻んだ術式に魔力を流し、起動させる。
すると、みるみる内に汚れが消えていき、終いには傷一つなくなった。
ただ、直したところでごく普通の剣なので、戦闘力が格段に上がるわけではない。この剣自体一般兵士に渡されるものだ。
当の持ち主はというと、子供のように眼を輝かせながら、感嘆の声を上げた。
「すっげえええ!!」
「あんまり声を上げない。洞窟だから響くのよ…」
耳を塞ぎながら言う朱美から新品同様となった剣を受け取り、軽い足取りでルークはクロノに向けて歩き出す。
しかし、それを朱美が再度呼び止めた。
「待って…最後に一つ聞いていい?」
「んだよ。まだなんかあんのか?」
この先を言うことを朱美は一瞬躊躇った。どんな言葉が自分に投げられるだろうか。そこには恐怖しかない。
会話の端々に見えた生前への後悔。
考えてしまう。彼がエクスなんたらを一度でも使ったら、彼があのまま騎士としての人生を歩んだら。
それでも朱美は、迷うなと、覚悟しろと、自分に言い聞かせてその先の問いを口にした。
「…アナタは私が殺したこと怨んでる?」
言った瞬間朱美は無意識で眼を閉じた。ほんの一瞬。それは恐怖感から来るものだった。
ルークは振り返り、青く鋭い眼光で朱美を射抜く。朱美には彼の眼に憎悪の炎が滾っているようにさえ見えた。
「……俺は、怨んでるよ……」
分かっていたことだ。自分を殺した相手を怨まないわけはない。
しかし、分かっていても、どうにも抑えられないほどの感情があふれ出しそうになる。彼からの怨念は、どの死霊人形の者よりも痛く刺さった。
俯きながら必死にそれに耐える朱美に、ルークが次に言った言葉は、そんな朱美の心を軽くするものだった。
「でもな、それはお前じゃない」
俯いていた顔をハッと上げる。
依然として、彼の眼には憎悪の炎が揺らめいていた。自分に向けられたものでないとすれば、その憎悪は誰へのものなのか。
朱美の疑問を見透かしたようにルークは言う。
「俺が怨んでるのは、俺自身だよ。もっと言うなら、「あの日」お前を殺せなかった俺の弱さに、だ」
「……」
うろたえる朱美にルークははっきりと続ける。
「お前には悪いことをしたと思ってる。だけど、あの選択が間違っていたとも思ってはいない。あの頃のお前は、個人的感情を抜きにして考えると、戦力にならず、ひどく危うかった。いつ暴走するか分からないくらいにな。暴走を危惧した上が、一番近い俺に殺害命令を下したのもしょうがないことだ」
ルークは淡々と事実を並べていく。
「だから、国として見たらあの選択は絶対に間違ってなかった。結果は見ての通りだがな」
ルークは言い切った。間違っていなかったと。
朱美はもう、取り乱すことはなく、冷静に尋ねる。
「…国よりも、私を優先することはなかった?」
「そうだ…。俺は一人の人間である前に、一人の騎士だったからな」
それ以上朱美が何も聞くことはない。きっと、これが彼の本心なのだ。最後に聞けてよかったとさえ思う。
これで、思い残すことは何もない。
「じゃあ、そんな騎士さんに一つ命令」
朱美の言葉に芝居がかった口調で答えるルーク。
「なんでしょうか? 『勇者』様?」
「あの子と…本気で戦ってきてね」
口元を軽く緩ませて一人の騎士は答える。
「仰せのままに」




