第七十三話
クロノの戦闘は肉弾戦しかないから地味
期間開いたのはさぼってただけです…すいません
こっからは戦闘ばかり続きます
洞窟の外は、慌しく雨が降っていた。朝方の快晴が夢だったような驟雨。
結界に包まれた洞窟内に当然それが入ることはない。
外の動物たちは各々木陰に入り雨を凌いでいる。
そんな中、クラウンは雨を防ぐことなく洞窟の前に立っていた。術式結界によって存在に気づけないように細工が施された洞窟の前に。
顔も髪も酷く濡れているが、相変わらず白化粧はとれる気配がない。
結界にクラウンは手を触れる。
「認識錯誤の術式を光の結界の上に重ねがけしてるのかあ…」
ブツブツと独り言を呟きながら、最後にクラウンはいたずらっぽく舌を出す。
「まっ、僕には意味ないけど」
そういうと、クラウンの身体は結界の中へとすり抜けていった。
洞窟内
「……ぶな……」
俯きながら微かにクロノは声を発する。消え入りそうなか細い声。
顔を上げ、徐々に声を大にして叫んだ。
「…呼ぶな…その名前で! その名前で呼ぶなぁぁぁ!!」
額には汗が滴り、頬は力を入れているのかひくついている。普段では見られない焦燥しきった表情。怒りと憎悪が入り混じった眼。
だが、この憎しみは朱美に向けられたものではなく、自分を捨てた家に対するものだ。頭では納得していながらも、やはりどこかでは捨てられたことに対する憎しみがあった。それが今、朱美に捨てたはずの名前で呼ばれたことで爆発しかけていた。
なおも、朱美が止めることはない。
「なにを? アナタの本名を読んでいるだけでしょう?」
「違う…! 俺は…!」
「違わないわ。アナタはクロノ・ユースティアよ」
朱美は淡々とクロノを追い詰めていく。
「私が大嫌いなあの家の人間に変わりはないの」
朱美がなぜ、あの家を嫌いなのかは分からない。ただ、あの家のせいで自分が今彼女に嫌われているのだとすれば、それはなんとも理不尽なことだろうか。捨てられたはずの家が、未だに自分を縛る。ふざけるなと叫びたい。クロノの心の中で家に対する憎しみが深くなっていく。
同時にそんな自分を育ててくれた朱美が、今自分を殺しに来ているという現実がクロノを蝕んでいく。一番の理解者からの裏切り。
「ほら、クロノ構えなさい。今度は本気で殺すわよ」
クロノが落とした二振りの剣を放り投げ、朱美は笑った。恐ろしい笑み。笑み一つにすらクロノは恐怖を感じてしまう。
――止めろ、止めて
クロノの心の叫びは朱美には届かない。
朱美は地面を蹴る。耳に響く地面が砕けた音。クロノは震えながら一歩後ずさった。
「止めろおおおおおぉぉぉぉぉ!!!」
クロノの絶叫が洞窟内に響く。叫びながらクロノは逃げた。握った紅朱音を捨て、必死に。
だが、この洞窟内は朱美の結界の中。逃げることは許されない。それでも、クロノは逃げ続けた。息を切らしながら。結界に覆われた洞窟内を。
そんな無様としか言いようがないクロノを見て、朱美は呆れたように溜め息を吐いた。
「ああ、いい気味ほんとに、なっさけない姿」
被虐的な笑みを浮かべ、朱美は手に持った錆びた剣を地面に投げた。渇いた金属音が洞窟内に反響する。
クロノは怯えながら、朱美の方を見つめた。
「そんなんじゃ、私が直接手を下すまでもないわね。この子たちで十分」
地面に手を付く。朱美の頭の中は言葉とは裏腹に冷静だ。記憶の中にある術式を探り当て、魔力でそれを地面へと刻む。不自然な亀裂が入る洞窟内。
(死の恐怖を植えつけるのは成功……次のステップへ)
刻んだ術式に魔力を流し込む。起動を始める術式。
ぼこぼこと地面から湧き上がる土と石。うねりながら次第にそれらは増えていき、輪郭をはっきりさせていく。結界内を埋め尽くすほどの数。
出来上がったのは、人――と呼ぶべきか判断に困るような者。身体は泥のようなもので出来ているが、形は人間だ。細かい鼻も、眼も、唇も、全てが泥で出来ている。人間をそのまま泥に置き換えたら、こんな感じかもしれない。泥人形と呼ぶのがふさわしい。それもとても、リアルな。一人一人若い女性だったり、年老いた老婆だったり、幼い少年だったり、個性が見え隠れする人形たちの大群。
「さあ、行きなさい死霊人形」
朱美の合図と共に、一斉に泥人形たちはクロノに襲い掛かる。
動き自体は非常に単調で鈍い。それ以前に、クロノからすれば大概の生物は鈍いのだが。ただ、一直線に襲うだけのものだ。
普段のクロノであれば、相手にもならない雑魚の群れ。人間の姿形をしていても、そういう魔物だと割り切ってしまえば楽な相手。
けれど、クロノの手は動かない。頭に何かが直接入ってくる。
「イタイ……イタイ…」 「ウラヤマシイ…ニクガ…」 「…カラダヲ…カラダヲ……」
それは、声。紛れもなく人間の声だ。声の主はいうまでもない。目の前の泥人形たちだ。
実際には洞窟内にはなんの言葉も飛び交ってはいない。しかし、これが幻聴かといえばそうでもない。だとしたら、これはなんだ?
クロノの疑問を見透かしたように朱美の声が響く。
「聞こえる? この子たちの声が。頭に響くでしょ? それは彼らの怨嗟の念よ。彼らはもう死んでるの。でも、死人でありながら肉を求めてるのよ。生きてる人間が羨ましいってね。彼らは生者の肉を得られれば生き返れるって本気で信じてる。ほーんと馬鹿。彼らが生き返ることは未来永劫存在しないのに」
愉快そうに朱美は笑った。
「そんな、妄執に囚われたゴミ共なのよ。アナタを殺すにはふさわしい相手だと思わない?」
鳴り止まない亡者たちの怨嗟の念。吐き気がするほどにおぞましい声がクロノの思考を邪魔する。
泥人形たちはクロノにゆっくりと近づいていく。視界が汚い泥で覆われる。
それでもクロノは手を出す気にはなれなかった。先の話が本当だとすれば、彼らは紛れもなく人間なのだ。それが元であっても。人間の姿形をしていることが更にクロノを躊躇わせる。
一体の少女の形をした泥人形がクロノの懐に入った。同時に鈍い痛みが左わき腹に走った。見ると、自分の腹を噛んでいるらしい。口をパクパクと動かし、肉を抉っていく。幸いまだ出血までは行っていないが、このままでは噛み千切られるのも時間の問題だ。
「ほら、早く殺しちゃいなさいアナタたち」
朱美の冷徹な声が耳にいやに残る。完全に姿を捉えることは出来なくなっていた。
――殺す? 死ぬ?
自覚するべきだ。このままでは死ぬと。何もしなければ死ぬ。躊躇いを捨てようとクロノはもがいた。
殺さなければ死ぬというのであれば、相手を殺るしかないのだと。自分の力さえあれば、こんな泥人形を殺すことは簡単だ。
――これは人間じゃない…人間じゃないんだ!
自分に必死に言い聞かせる。そうでもしなければ、戦えそうもなかった。
まずは懐に入り込んだやつからだ。エクスなんたらを抜いている暇はない。未だに腹を齧っている少女の形をした泥人形に右肘を叩き込む。
刹那――少女が不意にこちらを見上げた。そばかすのある幼さの残ったショートヘアの少女。見れば見るほどよく出来た泥人形だ。
少女の口がわずかに動く。同時に、頭にいくつも響く怨嗟の声の中で一つの声をクロノの脳が拾った。
「……タスケテ……」
それが、目の前の少女のものだったかは定かではない。だが、間違いなく少女の口はそう動いたように見えた。
「ッッ!!!!」
歯を思いっきり食いしばって、振り下ろしかけた肘を止める。髪に当たりかけたところで、肘は急ブレーキをかけ、寸でのところで止まった。
すると、少女の顔は凶暴なものへと変貌し、再びクロノを齧り始めた。
「…ざっけ…んなああああああああ!!!!」
絶叫。或いは獣のような咆哮ともとれる叫びを上げる。
これ以上好き勝手やらせると間違いなく死ぬ。
死ぬ。その言葉がいよいよ持って現実味を帯び始める。
――死ぬ。俺が死ぬ?
泥人形の大群はクロノに飛び掛りいたるところを齧っている。肉を求めているのだ。出血もところどころ見られてきた。
死ぬ。そう考えたとき思ったのは案外シンプルで、理性なんかいらないんじゃないかと思うほどに、単純なことだった。
――死にたくない
ではどうするか? 答えは簡単。
――殺すだけだ
心は冷静だ。冷静にクロノは身体を動かす。敵の殲滅に向けて。
迷いはしない。相手が人間であっても。そうでなければ、死ぬのだから。
朱美の頭には、声が鳴り響いていた。止まない怨嗟の念。
クロノと同じ程度かといえば、そうではない。クロノに聞こえる声よりも、遥かに多く、遥かに大きい声。
クロノが聞いていたのはごく一部。どの声も実際はクロノに向けられたものなどではなく、全てが術者である朱美に向けられたものだ。
そもそも死霊人形は、本来罪人に使わせるものであった。自分が殺した人間たちの怨念を聞き、自分の罪と向き合うのが本来の用途だ。人間の怨念というのは相当重いらしく、大概の人間は怨念の声に耐え切れず精神を壊す羽目になる。ごく稀に耐え切って怨霊さえ使役する者もいるが。
朱美も例に漏れず、自分に向けられた怨嗟の念を余すことなく耳に響かせていた。クロノに聞こえていたのは単純に近くにいたというのと、量が多すぎて溢れてしまっていたというだけのこと。クロノに向けられていたのは精々1000分の1といったところだろうか。
朱美は、おそらくこの術式を使った人間の中で自分が一番怨念が重いであろうということを自覚していた。
首都一つ分の人間の殺害。例をみない虐殺だ。
事実として、脳には狂いたくなるほどの声が響き続けている。
だが、朱美は狂わない。こんなもの、あの時の虚無感に比べればどうってことはない。
――五月蝿い
朱美は心の中でそう言うと、目線をクロノを覆う泥人形の塊へと移した。蠢く塊は醜悪と呼ぶのが適切そうだ。
わざわざ死霊人形を使ったのは、擬似的に人を殺すということを体感して貰いたかったということが一つ。まずは何事も慣れからだ。ここで死ぬような人間ではないと、朱美は信じている。
まだ二つほど理由はあるのだが、まずはあの泥人形共を全て消してからだ。
剣などいらない。こんな相手は素手で十分だった。
クロノが行動を起こすだけで、泥人形は脆いクッキーのように砕けていく。
でたらめに身体を動かし、まとわりつく泥人形を砕く。そこには、洗練された剣術など必要はなかった。必要なものは、獣のような獰猛さだけ。
一体砕く度に、もう一体がその泥人形の残骸から湧き上がる。まるで無限に湧いてきそうだ。
――それがどうした
だったら、全てを砕きつくし続けるだけだ。
それから何体砕いただろうか。クロノの指が1000人分あっても足りないほど砕いたところで、泥人形の生成は止まった。
洞窟の中は、泥人形たちの残骸が残り、壁は穴だらけになっていた。
泥人形の残骸の中心で、クロノは虚空へと泥と血に塗れた拳を突き上げた。




