第五十三話
「大丈夫。絶対に帰ってくる。だから、待ってて。」
そう言って消えた彼の言葉を心の中で反芻する。
不思議な安心感を持った彼に対する期待。
と、同時になぜ止めなかったのかという後悔がメアリーの心中で渦巻いていた。
窓を見ると、空は夕陽が落ちかけ、茜色に染まっている。
生温かいシーツを払い、メアリーは立ち上がる。
眩暈はしない。十分寝たことで体調は良好だ。
部屋の扉を開け、厨房へと歩き出す。
彼が帰ってきたときのために、夕食を作らねばならない。
厨房へと着くと、既に母が準備を始めており仄かに良い匂いが漂っていた。
母はメアリーの姿を認めるなり、手伝えと指示を出す。
「おっそいよ、アンタ!早く手伝いな!」
「うん…」
メアリーは曖昧に頷き、母の隣へと入る。
慣れた手つきで野菜を切っていく母。今日は野菜中心の食事らしい。
指示された通りメアリーも切っていくが、イマイチ集中力にかけ、自分の指を切ってしまう。
「いた…っ!」
血がじわりと人差し指から滲む。
見かねた母は呆れたように溜め息を吐いた。
「もういいから休んでな。血のついた料理なんてお客さんに出すわけにいかないからね。」
「…ごめんなさい…」
「集中出来てないね。あの人が気になるのかい?」
メアリーはその言葉に眼を丸くする。
母は彼がどこに行ったのか知るはずもないのに。
見透かしたように母は続ける。
「そりゃあ、アンタの様子とあの人の仕事を知ってれば予想はつくさ。伊達にアンタを育ててきたわけじゃないんだよ。」
「……」
「元気ないねえ…」
母はメアリーに近づき頬を引っ張る。
「ほら、笑いな。私たちに今出来ることは、信じて待つことだけなんだよ。帰ってきたときに、そんな辛気臭い顔なんてみせてどうするんだい。」
「そう、だよね。」
そうだ、自分に出来るのはそれしかない。
そう思うと自然に笑顔が出てきた。
「ありがとうお母さん。」
「分かったらとっとと止血してきな。」
「うん!」
母に礼を言ってメアリーは厨房を出ていった。
一度部屋に戻ろうと、メアリーが厨房を出て宿屋の入り口の前を通りがかった時、ふと、音が聞こえた。
当然それは自分のものではない。
ズサッ、ズサッ、と地面と靴がぶつかる音。
足音は徐々に近づいてきている。その音は外から。
メアリーは立ち止まり、じっと待つ。
これが何なのかは、もう何となく気づいてはいたけれど、彼女ははやる気持ちを抑えながら、その時を待った。
ギギィッと立て付けの悪い扉から歪な音が響く。
開いた扉から茜色の光が差し込む。光の中心には一人の男。
メアリーは決めていたその言葉を、夕陽に負けない眩しい笑顔で、彼へと吐き出した。
「おかえりなさい!」
「うん。ただいま。」
それは今まで誰にも言えなかった言葉。誰も帰っては来なかったという現実がなせる業。
他にも言いたいことはあったのだけど、それがなによりも一番であった。
クロノはそれに優しい笑顔で答える。
続いてどんなことを言おうかと、メアリーは色々考えてはいたのだが、次に口から出てきたのはどの予定していた言葉とも違う言葉だった。
「その子は、誰、ですか…?」
数十分前
目の前で首領が死んでいるという現実を見たクロノは、半分これは夢なのではないかと、思っていた。
太く尖った岩に貫かれた首領。胸にはぽっかりと穴が開き、そこから噴出した血が岩を赤く染めている。
触ってみると首領の身体はほのかに温かい。さきほどまで確かに生きていたのだ。
何があったのか、クロノには理解出来なかった。
罠でもあるのかと思い、実のところ内心ワクワクしていたクロノの少年のような好奇心は消え失せ、言い知れぬ喪失感が押し寄せる。
頭が急速に冷めていく。
もう、ここに居ても意味はない。そう判断したクロノは穴の中から飛び出した。
10mを優に超える岩山からの大ジャンプ。
平然と死ぬであろう高さから飛び降りたクロノは、ドスン!!と地鳴りのような音を響かせ無事着地する。
その足で、真っ先にクロノは盗賊の生き残りの元へと向かい、胸倉を掴んだ。
目の前でいきなり超人的な行為を見せつけられた男からすれば、それは恐怖でしかない。
「おい、お前らの首領が岩に貫かれて死んでたんだが。アレはどういうことだ!?」
「しっ、知らねぇよ!」
クロノは男を放り投げまた別の男に同じ質問を繰り返すが、同じ回答が帰ってくるばかりだ。
そんな中一人の男が別のことを口にした。
「あの人自殺したんだろ、それ。」
素っ気ない口調で答える男。
「な…に…!?」
「どうやって死んでた?岩にでも貫かれてたんじゃないか?」
男は冷静だ。とても胸倉を掴まれているとは思えないほどに。
しかし、男は内心怯えていた。
これが非常時の彼に与えられた役。
最初から死因を言い当てては信用されない。嘘がばれてしまう。
ある程度相手が聞きに回ったところで口を開く。いかにもそれらしい理由をつけて。
別に最初から彼と決まっていたわけではない。
たまたまある程度のところで、彼に回ってきただけのこと。
「あ、ああ…」
「なら自殺だよ。あの人は負けるってことが嫌いだったからな。耐え切れなかったんだろ、アンタに負けたことに。今までだってそうだよ。あの人は細心の注意を払って負けないようにしてた。そこのガキを捕まえて、無理矢理恐怖で縛って奴隷にして作戦に組み込んだりな。子供だったら誘いやすいだろ?まあ、結局つかえなかったけどなあ!ったく、テメェは使えねえ!」
怒気を含ませながら苛立ったようにチェスを指さす男。
男はさり気なく、この作戦で一番重要な部分を会話の端に挟み込む。
「そこのガキを捕まえて、無理矢理恐怖で縛って奴隷にして作戦に組み込んだりな。」
という、一文を。
これで男の役割は終了。
男に指さされたチェスは怯えたようにビクッと身体を震わせる。
「なるほどな。お前らがゴミだってことはよく分かった。とりあえず、もう口を開くな。」
ドン!!とクロノは男の鳩尾に裏拳を叩き込む。
「ガハ…ッ!」
男は呻き声を一瞬上げ地面へと倒れていった。
クロノはチェスへと近づき、無愛想に言葉を投げかける。
「…俺はお前を信用したわけじゃあない。脅されていたとはいえ、今までも同じようなことをやっていたのだとすれば、それは許されないことだ。」
眼から涙をボロボロと零すチェス。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」
「だから、これからはしっかりと生きろ。いいな。」
チェスは泣きじゃくりその言葉に答えることはなかった。
それからは盗賊を全員見張りながら、村長の家にある鉄製の牢屋に連れて行った。
村長は人の好い好々爺といった印象で終始笑顔でクロノに接し、スムーズにことは運んだ。
牢屋は網目状になっている一般的なものではなく、閉じた黒い箱らしきもので、扉を閉めると中からはどうやっても開けられない構造になっており、抜け出せる気配はない。
そこに盗賊を纏めて放り込み、クロノは村長の家を後にした。
チェスはというと、盗賊と一緒に牢屋に放り込むのは憚られたのでクロノが一時的に引き取ることとなった。
クロノはこの時の事を、今でも後悔している。
なぜ、チェスを牢屋に放り込まなかったのかと。あるいはなぜ殺さなかったのかと。
よく考えれば、奴隷として扱うのであれば隷属の首輪をつければ済む話なのだ。
どうして、ついていないのかとこの時疑問に思わなかったのかと。
甘かった?油断していた?まさか、こんな少年が「首領」だと思わなかった?
言い訳はいくらでも出来る。
だが、いくら悔やんでもこの時には戻れない。
人生とは取り返しがつかないものなのだから。
盗賊団壊滅の知らせは明日の朝には、村全体へと広まり、一躍村は活気づくこととなる。
その活気の裏で何があったのか。
クロノにとって二度と忘れ得ない苦い記憶。
これからの一ヶ月をクロノは生涯忘れない。
絶 対 ニ 。




