第四十九話
次から本気出す
多分うそ
物語は動かすけど
翌朝 宿屋内
「アンタ、朝飯の手伝い…って、な、なんだいこりゃ!?」
娘に手伝って貰おうと女性が部屋のドアを開けると、ベッドはぐちゃぐちゃ、髪はぼさぼさ、眼の下には大きな隈を作った娘が寝言を言いながら豪快に寝ていた。
「うう…、芋が…土地が…客土…」
「………」
娘の口から色々な単語が飛び交う。大方昨日の客との勉強のせいだろう。
昨日はいきなり客の男が娘を抱えて戻ってきたと思ったら、男と娘はそのまま部屋へと消えていった。
気になって部屋を覗いてみると、理由はわからないが農業について熱心に講義する男とそれを聞く娘。
どうやらその講義は長く続いたらしい。娘も勉強などする方ではないので疲れたようだ。
起こすのも忍びないと思い、ぐちゃぐちゃになったベッドを整え直し女性は部屋を後にした。
昼 宿屋裏 畑
昼食を食べ終えたクロノは宿屋の裏にある畑に来ていた。
宿屋から出てきた影を見つけて声をかける。
(来たね。)
「遅かったな。」
「お、おはヨござまス。」
なぜかメアリーは片言気味だ。
よく見ると眼の下には大きな隈が出来ており、眼を何度もしばたかせ眠らないように必死になっている。
メアリーの頭は疲れから呂律が回っておらず、身体もふらふらで今にも倒れてしまいそうだ。
それもそのはずで昨日は慣れない勉強を深夜遅くまでやっていたのだ。
クロノからすれば大した時間ではなかったが、彼女からすれば大層な時間だったのだろう。己のミスに頭を掻いた。
(昨日一気に詰め込みすぎたなぁ…今日は無理だね。)
「……今日は良いか…とりあえず帰って寝ろ…」
「な、なんで……す……うっ…」
メアリーの身体はふらふらとよろめき茶色い地面へと落下していく。
「おっ、おい!」
落下する直前でクロノが慌てて受け止める。
どうやら、寝不足で眠ってしまったらしい。
何度か起こそうと試みるが、スヤスヤと寝息を立てたままメアリーは起きようとしない。
「とりあえず運ぼうか…」
昨日のようにメアリーを抱きかかえたままクロノは宿屋へと入っていった。
宿屋内
眼が開きそうで開かない。視界が真っ暗だ。
(どこだろう…?)
「……やりすぎたなぁ…」
(声?誰の?)
「後で謝っておこう…うん…」
身体に感触が戻ってくる。身体が動く。手を何度か握って確かめる。
そしてメアリーは眼を開けた。
見えたのは茶色い木の天井――それと、椅子に座り俯くクロノの姿だった。
黒いフードはしておらず、黒い髪が露出している。
慌ててベッドからメアリーは起き上がる。
「な、にゃにやってるんですか!?」
噛んだ。清々しいほどに。言った本人も噛んだことに気づいたのか顔を赤くして視線を逸らす。
「あっ、眼覚ました?」
クロノに気にした様子はない。
だが、ここでメアリーは違和感を覚えた。
何だろうか?違和感の原因を探る。クロノとの今までの会話を思い出す。
そして一つの壁に突き当たった。
「あ、あのクロノさん…」
「ん?なに?」
「口調違くありません?」
「………!」
気づいていなかった。
虚を突かれたクロノはさきほどのメアリーと同じように顔を背ける。
その様子をみてメアリーは笑う。
「プッ、ハハッ、ハハハ!」
「はぁー…まーたドラに怒られるよ。」
落ち込んだようにがっくりと肩を落とすクロノ。
それとは対照的にメアリーは楽しげに笑う。
「なんだ、クロノさんそういう顔も出来るんじゃないですか。もっと気難しい人だと思ってたのに。」
「まあ、なんていうか色々あってね。普段はあんな感じじゃないといけないんだ。」
やってしまったと、クロノは頭を掻く。
「色々って…」
「色々だよ、あんまり深く突っ込まないでくれ。それより身体は大丈夫?」
これ以上聞かれても困るクロノは強引に話題を変える。
メアリーは現状の自分がいる場所を確認し、どうしてこんなところにいるのだろうと首を傾げた。
「身体…?」
「ああ、覚えてないのか。君は倒れたんだよ。寝不足でね。」
メアリーの脳裏におぼろげな記憶がよみがえる。
足元がふらついて、浮遊感に襲われたあの時。地面にぶつかると思ったところで寝てしまったのだった。今この瞬間も若干眠く、油断すると瞼を閉じてしまいそうだ。
「そっか…私倒れたんだ…。」
ここでメアリーはあることに気づく。
畑で倒れたはずの自分が今いるのは自分の部屋。当然自分で帰ってきた覚えはない。
よく記憶を思い返せば、地面にぶつかるはずだった身体にも衝撃はなかったし服も汚れていない。
つまり、運ばれたわけだ。昨日のように。
そう思うとなぜだか恥ずかしくなって、思わず俯いてしまう。
俯くメアリーにクロノは頭を下げて謝罪の言葉を口にする。
「ごめんね。俺が昨日無理させすぎたみたいで。」
「い、いえっ!そんなことは…むしろ感謝してるくらいですし…私とか何も知識なくて。」
「いや、昨日のは俺が悪いんだ。ごめん。」
精一杯クロノは頭を下げる。申し訳なさそうに。
突如として怪しい男から謝罪されたメアリーはというと、途端に手を大きく振って制止する。
「本当に私が悪いんですよ。知識もないのに始めたりして。皆が沈んでいるときに、暢気に村の人に聞くのも何だか、申し訳なくなって……一人で何でもやってやるって……私一人で出来るわけでもないのに…本当馬鹿です…」
話を進めるたびにどんよりとメアリーの顔は暗くなっていく。
今にも泣き出してしまいそうなメアリーの頭にクロノはポンと手を置いた。
「そんなことはないよ。君が行動していなかったら、俺は手を貸そうとも思わなかった。君が行動したから、俺は君に教えようと思った。それだけでも、君の行動には意味があったんだ。あの畑もまだまだこれからだ。時間はかかるだろうけどね。まあ、その前に盗賊を潰してこないといけないんだけど。」
そう言ってクロノは笑顔をメアリーに向けた。
メアリーは不安そうにクロノへと言葉を投げかける。
「危ないですよ…今まで盗賊と戦って帰ってきた人はいません。」
それは今までの経験からの言葉。二度と帰って来なかった彼らから学んでしまった恐怖の言葉だった。
本音を言えばもう誰も行って欲しくない。もう、誰かが死ぬのは嫌だ。
しかし、クロノはメアリーの言葉に臆することはない。それどころか、笑っているようにさえ見える。 彼は自分が負けるなどと微塵も思ってはいない。
クロノは力強く言い放つ。メアリーを安心させるために。
「大丈夫。絶対に帰ってくる。だから、待ってて。」
己を信じているからこその言葉。
メアリーの根拠のない自信とは違う、別種の裏づけがある自信だ。
負けはしない。
今までの人間とは違う不思議な感覚をメアリーは感じ取る。
彼ならばいけるかも知れないという期待と不安。
期待してはいけない。期待してしまう。
相反する二つの感情が入り混じって、上手く言葉が出てこない。
何とかメアリーは言葉を捻り出す。
それはたった二文字の言葉で、とてもシンプルな言葉で、分かりやすい肯定の言葉。
「はい。」
「うん。じゃあ、行って来るね。夕飯までには戻ってくるから。」
メアリーの口から出たその言葉にクロノは頷く。
次の瞬間――クロノの姿は部屋から忽然と消え失せ、部屋にはメアリーただ一人が残された。




