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追放された少年  作者: 誰か
戦争編 第三部
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第百三十四話

 ふらり――ふらふら――ゆらり――ゆらゆら


 火と月だけが照らす大地の上を、クロノはまるで幽鬼のようにゆらめいていた。暗闇に溶け込むように黒いフードに身をやつし、実体がないかの如く、歩いているのか浮いているのか分からない調子で。風が吹けばどこかへ飛んで行ってしまいそうな調子で。

 ただ一つ分かるのは、少しずつ前へ前へと進んでいることだけだった。


 そんなクロノに誰かが気づいた。きっと彼は真面目だったのだろう。前方で派手な戦闘が行われ、多くの人間がそちらに目を奪われる中、じっと自分の持ち場を離れずに警戒していたのだから。

 或いは、彼は臆病だったのかもしれない。目の前の惨状を直視できずに、目をそらしていただけなのかもしれない。

 最初は暗闇の中で闇がひらひらと揺れた。最初は気のせいかと思ったが、目を凝らして見ると、それはひどく不安定な人影だった。音も立てずに黒いローブをはためかせるそれは、明らかに味方ではなかった。

 周囲の者は、前線に行ったり、前線を見たり、少なくとも目の前の異物に気づいた者はいなさそうだ。

 

 即座に異常を知らせなければならない。異物との距離はまだ大分あった。


 声を張り上げようと息を吸い込む、空気が喉を通――らなかった。


 通らない、飲み込むことが出来ない。空気が喉を通ろうとしない。喉の手前で急ブレーキをかけている。喉元が妙にひんやりと冷たかった。

 

 いつしか目の前には、人間がいた。それは吐息が聞こえるほどの距離で圧迫感を覚えた。景色は彼の身体で覆われ、視界が黒く塗りつぶされた。黒を纏ったこの人間は、さきほどまで視界の奥にいたはずだ。

 伏し目がちなその顔からは、決して表情は見てとれない。

 気づいた時には、喉元は死人のように冷たい手で、がっちりと握られていた。こんなに冷たいにも関わらずその手は強力で、動かすことさえ許してくれそうにはない。

 何度も声を上げようともがいてみるものの、ただただ息が詰まったような声が漏れるばかりであった。

 

 ボキリ


 音と同時に視界が――身体が――反転した。

 月が視界に見えて、ようやく自分が倒れたのだと理解した。

 背中が草に受けとめられるのと同時に、喉が燃えるように熱くなった。痛いのか熱いのか、もう自分でも分からなかった。

 どれだけ悲鳴をあげようとしても、音にはならず、穴の開いた風船のようにヒューヒューとした音が響くだけだった。

 月が巨大な影によって覆い隠された。じっと、大きな影はこちらを見下ろしている。

 ここで初めて顔が見えた。その顔はうっすらと笑って見えた。そこで彼の意識は途絶えてしまった。



 クロノは息絶えたことを確認してから、彼の服を剥ぎとった。ところどころ意匠の凝らされたこの服は、軍の戦闘用正装らしい。血は付かないように気を使った。

 かつてはきっと自分もこれを着るのだろうと思っていた。信じて疑うこともなかった。まさかこんな形で着ることになるとは思ってもいなかったが。自嘲気味に笑った。

 それを既に着ている服の上から更に羽織った。少々太く見えて不自然だが、この場で冷静に服装を見る人間もいないだろう。


 少しずつ勇者へと近付いている感覚があった。それはきっと距離だけの話ではない。

 この気持ちも――この溢れ出る感情も――この溢れ出る殺意も――この渇いたような飢えさえも、きっと同じだ。

 これは復讐か? この殺意は善なのか? と問われれば違うのかもしれない。

 勇者は特段悪いことはしていない。内心がどうであれ、ドラを殺したのは一般的に考えれば悪ではないのだ。魔物に襲われたからそれを狩った。ただそれだけでしかない。そしてそれは善だ。

 ドラも恨んではいないだろう。彼は自分が弱いから負けたのだと言うだろう。復讐してくれなんてことはきっと言わないのだろう。

 

 だからこの殺意は善ではない。この殺意に正義なんてものは存在しない。

 だからこの殺意は誰のためのものでもない。他の誰のためでもない。


 紛れもなく――自分のエゴのためだけの殺意だ。

 自分のこの――溢れ出る殺意と――愛しささえ感じる渇いたような飢えを満たすためだけの殺意だ。

 もはや抱いた過程すら関係のない――たとえここでドラが生き返ったとしても止めることのできない――醜くて汚らわしいどす黒い殺意だ。


――嗚呼、最低だ。

 

 だが、今の自分はそれを満たさずにはいられない。満たさなければこの先、生きてはいけないのだろうと思ってしまうほどに、強烈な感情の奔流なのだ。

 狂っていようがなんだろうが、どうでもいい。この身体を蝕むように、にじみ出る殺意を向けられるならばどうでもいい。

 

 この心地良いとさえ感じる殺意に身を任せ、ゆっくりとクロノは前に進む。その顔に歪んだ笑顔を携えて――。

 


 三姉弟の長男――ディルグは最前線で戦っていた。

 

「おい、そっち壁が薄いぞ、もっと強く張れ!」


 最初こそ、ふいを衝かれて総崩れに近い状態だったが、今や戦況は安定していた。兵士をまとめ上げ、冷静に指示を飛ばす。

 土、水、炎で三重の壁を作りだし、上空と地上からの攻撃を完全防備した状態で、中から魔物たちに遠距離攻撃をしかける。周囲の兵士たちに最早怯えの色はなかった。

 魔物と人の違いは頭が使えるかどうかだ。いくら一斉に襲いかかろうが、頭も使わずに壁に阻まれているようでは結果は見えている。

 それさえ覆すほどの力を持ったものがいれば別だが、現状壁の一枚すら突破できそうにない。

 地中を這う魔物に至ってはディルグ一人で掌握していた。地中は自分のテリトリーだ。どこに姿を潜めようが、手に取るように位置が探知できる。地中の圧力を高めるだけで、内部で面白いように潰れていく。


 ディルグは遠く離れた勇者を見やった。彼はここよりもずっと遠く、前線だった場所で、たった一人で、戦っていた。

 接敵した初期段階でかなり押しこまれたお陰で前線は下がっている。それでも彼だけは最初の位置から下がるどころか、ただ前へと進んでいた。

 既に勇者がいる場所には他の生存者は存在していない。

 現状ここでは、彼のとりこぼした敵を処理している状態だ。それで何とか安定している。

 ディルグは仮に勇者がいなかったら――と考えて少しゾッとした。自分が死ぬことはないにしても、この場の何人かはおそらく既にこの世にいなかっただろう。

 

 自分の立場としては忌々しいところだが、彼の実力は認めざるを得ない。自分よりも遥かに兵士たちを守っている。この場で嫉妬心を抱くほど非常識でもない。今この瞬間だけは尊敬の念すら抱けた。

 

 それにしても――どこの誰がこんな汚い真似をしているのだろうか。

 崩れ落ちる魔物の首や腕には、例外なく隷属の首輪らしきものが装着されていた。

 魔物に効くという話は聞いたことがないが、おそらく隷属の首輪であろう。通常魔物が異種族で集団を形成することはあり得ない。

 

 戦いにも最低限のルールはある。少なくとも自分はそれを守ってきたし、それに反するようなことをした覚えはない。

 これがもう既に相手が追い込まれていて、なりふり構わずに少々逸脱した行為をしたというのならばまだしもだ。

 魔物を従えて、なんてことは、人のやって良い行いを遥かに飛び越えている。この強大な悪意を持った誰かは、軽々と人の境界を飛び越えていったのだ。

 そして、その誰かは未だに姿も現さずに、高みの見物を決め込んでいるのだ。

 

「ふざけた真似を」


 思わず唇を強く噛みしめた。怒りがふつふつと沸き上がってきた。この見知らぬ外道を許すわけにはいかない。

 

 だがその直後――そんなことがどうでもいいと思えるほどの出来ごとが彼の身に起こった。彼の身に、生涯しこりを残すことになる出来事が。

 その始まりは、まず空からやってきた。


 一匹の小型飛竜が勇者の上空を抜けてきた。基本的に地上戦がメインの勇者を抜けてくるのは、こうした飛行敵が多い。

 岩肌のようにゴツゴツとした鱗を見に纏い、燃えるように赤い翼を大きくはためかせ、品定めでもするかのように舐るような視線でこちらを睨んでいた。当然の如く、首元には隷属の首輪が、怪しく炎に反射し光っていた。

 戦闘が始まってから幾度となく見た種族。幾度も見た光景。敵の射程も火力も既に知っている。

 この種族の放つ、人の大きさ程度の球状の火炎弾では、一番外側の炎壁すら貫けはしない。そのまま炎壁の一部に吸収されるだけだ。

 一撃放った後に、反動で少し仰け反ったところを仕留めるだけの簡単な相手だ。

 

――そうであるはずだった。

 

 竜は息を大きく吸い込んだ。ここまではいいのだ。問題はここからだった。

 

 その口から吐き出された炎は――球状ではなかった。いや、もしかしたら球状だったのかもしれないが、少なくともディルグには判別できなかった。


 なぜなら、視界の端から端までが炎で埋め尽くされてしまったからだ。炎の全容が視界内に収まりきらない。

 射程とか火力とか、そういった常識は全て通用しない。絶対的な力が眼前に広がっていた。

 暗闇などどこにもない満天の炎が、地上の全てを焼き尽くさんと頭上から降ってきた。闇に包まれた空がまるで昼間のように光って見えた。

 兵士たちの反応はそれぞれだった。ポカンと口を開けて目の前に広がった光景を見ている者、必死に壁を維持しようと集中を続ける者、逃げ道はないかと走りだした者。

 今からどこに行こうというのか、どれだけ走ったところで人間の足では、この炎から逃げる術はないというのに。

 兵士たちにはまるで前回のシーンを焼きましたようにさえ見えていた。


 やがて炎は第一層――炎壁を軽々と貫き、それさえも一部として吸い込んでいった。

 勢いは衰えるところを知らずに第二層――水壁へ。衝突した瞬間、けたたましく蒸発音が鳴り響いた。音に場が支配されたのもつかの間、激しい音は一瞬で消え去り、そこにはまるで壁などなかったかのように、炎だけが煌々とした輝きを放っていた。

 これが最後の壁だ。分厚い、地上全体を覆うような土の壁。ディルグがたった一人で作り上げた大きな防壁。

 


 その頃――ただ一人で戦闘を続けていた勇者は、ほんの一瞬空を見上げて――鼻で笑った。


「この前より大したことないな」


 先日の戦いで見たものに比べれば、遥かに小規模で、きっと何の手段も講じなかったとしても、前回と違って全滅することはないだろう。

 精々前線にいる兵士を残さず焼き尽くす程度に過ぎない。

 前回の規模であれば、敵味方関わらずここら一帯が残さず更地になっている。

 それに――


「あれくらいならなんとかすんだろ」


 


 兵士の何人かは縋るような視線で勇者を見るが、彼は目の前の戦闘に夢中で、一切振り返る気配もないのを見て諦めムードが漂っていた。

 兵士たちだって前回のことは知っているし、前回よりも規模が小さいことは分かる。

 しかし同時に、自分たちにはどうにもできないことも分かっていた。それほどまでに自分たちが無力な存在であることを分かっていた。


 ただ一人を除いては――


 ディルグはただ一人まっすぐに絶望の空を見上げた。そしてその心に絶望はなかった。

 前回、勇者がこれ以上の規模を受けとめ、破壊したというならば、自分もそれをやらなければならないし、やれない理由などどこにもない。

 

 これは精一杯の抵抗だ。ぽっと出の勇者に指揮権を奪われたことに対する、精一杯の抵抗だ。

 きっとヤツは気にも留めないだろう、だからこれは自分に対する――勇者に屈しようとする自分――への抵抗だ。

 ヤツがいなくても、十分皆を守れるのだと、自分にはその力があるのだと、自分に言い聞かせるための。


 ついに炎は最後の壁へと接触する。衝撃と共に熱波が壁の真下にいたディルグの肌を襲った。じわりと焼けつくような熱が、壁の真下を一陣の風となって駆け抜けた。

 たとえどれほどの熱が襲おうとも、ディルグは微動だにしない。

 意識が土と同化する。土は我が手であり、足に等しい。土が炎を受けとめた感触が、じんわりと自分にも伝わってきた。そこまでの勢いは感じない。

 圧し負ける気は、微塵もしなかった。

 しっかりと受け止めて、手のひらで包むように、炎の側面に壁を伸ばす。壁はまるで生き物のように、ぞわぞわと側面を奔った。

 地上は蒸し風呂にも近い暑さがそこら中に充満し、それだけでも既に倒れそうだ。

 しかしディルグは暑さにさえ気づかないかのように、強い意志と瞳でただ上だけを見て集中していた。

 

 ほんの数秒で側面を奔りきった壁たちは、その炎の光さえも届かぬように、がっちりと穴という穴を塞ぎ、ついには炎全体を、傍目にはただの巨大な岩へと変えてしまった。


 だがこれで終わりではない。内部ではまだ炎が猛り狂っている。

 より一層意識を研ぎ澄まし、イメージを高める。手のひらで包み、ようやくこれが球状なんだと理解した。

外から圧力を加え、内部を押しつぶすように抑え込む。巨大な岩と化した炎は、徐々に小型化していく。


 そうして――岩が最初の大きさの半分以下になったところで――穴が開き、炎が隙間から一瞬燃え上がった。

 同時に包んでいた岩がボロボロと崩れ落ちる。その中には――何もなかった。炎の光の一欠けらさえも残ってはいなかった。

 

 固唾を飲んで見守ることしかできなかった兵士たちから、大きな歓声が湧き上がった。

 一仕事終えたような、爽快感がディルグの胸いっぱいに広がっていた。



――ここまではよかった。――ここまでは。

 ここで終わっていれば、ちょっとした英雄気取りで、気分よく終われたのだろうけども、残念なことに、この時の感情を彼は覚えられなかった。

 なぜならすぐに、こんな爽快感は、風のようにどこかへと消えてしまったからだ。

 


 ディルグは、瞬間的に自分に酔いしれたが、すぐに思いとどまった。今この場でそんなことをしている暇はない。

 慌てて視界から消えた飛竜を追った。もう一発来ても受けとめる自信はあるが、そうむざむざと何発も貰うわけにはいかない。

 今までの傾向からして、あの個体だけが飛びぬけて強いのだろう。他の敵は無視しても、真っ先にやつを仕留めなければ士気にも関わる。

 冷静に周囲を見渡した。その時にはもう、浮かれた気分なんてものは、微塵も残っていなかった。

 

 この時のディルグは冴えていた。興奮冷めやらぬ状況で、もっとも浮かれていていいはずの彼が、おそらく一番最初にその姿を捉えたのだから。

 視界の端に映る一匹の飛竜の姿。いつの間にか地上へと降り立って、ひたすらにこちらを睨んでいた。実際に地上に降りてみると、小型といってもその体躯が人の4~5倍はあることに少し驚いた。

 

 しかし何より驚いたのは、その上に見える小さな影。明らかに飛竜の一部とは異なったシルエット。というよりも、それは明らかに人の影だった。

 この状況下で飛竜に乗る人間――この騒ぎの張本人と考えるのが妥当な結論だ。

 そう考えると納得がいった。先程の炎が飛竜のものではなく、人間のものだとすれば、個体差などではない。人為的な悪意を持った炎だ。

 この悪意に満ちた、人の法を越えた、汚らわしい行為を実行した許されざる外道だ。


 影が飛竜から飛び降りて地面に着地する。

 徐々に暗闇の中の影に焦点が定まって、はっきりとした輪郭に色が見えてきた。同時に瞬間的に始末できるよう、相手の足もとの土に意識を向ける。

 姿が見えた瞬間に、その間抜けヅラを拝んで、その場できっちり始末する。死にざまを目に焼き付けて、この胸に残る怒りと、死んでいった者たちへの餞としよう。


 そして、ついに全貌が露わになる。


 それは――誰よりも知っている相手で――この場に至ってようやく、今戦っている敵が、善だとか悪だとか、もはやそういったレベルで語ることのできない、吐き気がするほどの下衆だと理解できた。

 

 一歩二歩と、それは近付いてくる。

 言葉に出すのも憚られた。一度言葉にしてしまったら、この光景が現実だと認めてしまうような気がして。

 しかし、これが現実だというかのように、それはゆったりとしたペースで歩を進める。何をしようが否定できない現実が、今まさに目の前に現れた。

 もうこの現実から逃げることはできない。

 ゆっくりと、口を震わせながら、尋ねるように、縋るように、言った。


「父上……」


 首元には鈍く光る首輪が見えた――。 

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