第百三十二話
短い
キャラとお話を忘れてしまった
見返したら致命的にセリフ回しが下手くそ
もう夜も更けていた。大量の足手まといを引き連れた勇者軍は野営をしていた。ここはもう敵との国境沿いだ。首都まではまだ遠いが、あと少し歩を進めればそこからは敵地に入る。
だというのに、敵の影も形もない。流石に前回のこともあって、気を抜くことはないにしても、全体の空気にはまだ余裕が漂っている。今回は特に異質だ。
今までと違って相手の情報は何もない。武力も持たない相手に攻め込んだところで何があるというのか、すんなりそのまま無条件で制圧できてしまうのではないか。微かにではあるが、下の方にはそんな空気もあった。
当のトップはというと、まったく逆の高揚感に包まれていた。昨日辺りに何か行動があるものだと思っていのだが、何もなかったということが逆に高揚感を高めている。目の前にある餌をお預けされている状態だ。何かあることは分かっているのだけど、まだ何も来ない。待てば待っただけそれを食べた時の喜びはひとしおだ。
肩すかしで終わるわけがない。今だって感じている。ひっそりと地を這う大量の鼓動を。一昨日より昨日、昨日より今日。段々と近付いている。そんな人間でもない雑兵に用はないが、こういったものを用意しているということは、もう相手の準備は整っているのだ。この間食べ逃した彼の準備はもう。
眠れるわけがない。もう距離はかなり詰まっている。そろそろ自分以外の誰かだって気づくだろう。それがスタートの合図になる。
ああ、待ち遠しい。早くしてくれ。もう待ちきれない。今度は――完膚なきまでに殺してあげよう。
直後、敵襲を知らせる甲高い鐘の音が耳に響いた。
⇔
当然野営をするのだから見張りはいる。四方に配置された見張り。前面に配置されたならば、それは運がない。一番敵に遭遇する確率が高い。相手の側を向いているのだからそれは当たり前だ。気を抜くなんてことはないだろう。
一番楽なのは後方だ。今まで通ってきた道を向くわけだ。敵がいるなんて可能性は低い。しかもまだ自国内だ。だらけはしないにしても、そこまで気を張るようなことはない。異常といえばここ1時間で兎を何匹か見たくらいだ。
風が吹いている。そんなに強風ではない。肌をなでる心地よい風だ。耳の中は風の音で溢れかえっていた。
ここで耳をよく澄まして聴いていれば、もう少し発見は早かったかもしれない。
だが、だからといって彼らの結果が変わったかと問われれば、それはきっと変わらなかっただろう。なぜなら彼らが一番最初に敵に出会う、無力な人間であることに変わりはないからだ。
ふいに風が止んだ。耳の中のテープが切り替わる。かすかに不規則なリズムが聞こえる。どんどんとどんどんと。その音は次第に強さを増す。暗闇の中の陰は未だ見えない。けたたましく敵襲の鐘を鳴らした。
空を見上げた。障害物のないはずの空には何かが浮いていた。いくつもいくつも夥しい黒い点。
点だったものが近付いてくる。それがはっきりとした輪郭を持ち――翼だと気づいた時には、地上はもう地獄と化していた。
人ならざるもの。地を覆い、空を覆うほどの魔物と呼ばれる獣達が、背後から一斉に向かってきていた。
魔物との戦闘経験がないわけはない。魔物討伐も治安維持のための兵士として、重要な役割の一つだ。数では勝っているのだから、多少の被害は出るにしても、壊滅的な被害を受けるなんてことはない。隊列を組んでいるわけでもない。ただただ本能に任せてこちらを襲うだけの相手だ。
――通常であれば。
問題はこれが通常ではなくて、見た事もない異形の存在だということで、決して足を踏み入れることのない世界に棲むものたちであったということ。
最初に敵を視認した一人は、まだ距離があるのを見て、隣の同僚と確認し合うように頷い――ている途中に同僚の首が食い千切られた。
黒い影がよぎったかと思うと、夜の闇は霧に包まれる。いつしか周りから人が消えた。振り返るとそこには後方にいるはずの同期の姿。歪なハンマーを振り上げた奇妙な姿。
驚いて声を上げようとすると、音もなく脳天めがけて振り下ろされた。そこで意識は永遠にブラックアウトした。
⇔
――癪に障る
阿鼻叫喚の中、勇者は呑気にそんな感想を抱いた。地上では3m超の魔物が人を薙ぎ、空では小型の飛竜の火炎弾が降り注ぎ、地中では巨大なワームがひしめき人を喰らう中で、淡々と魔物を始末しながらぼんやりとそう思った。
こうなることは予見出来ていたにしても、その後はアテが外れた。
この混乱に乗じて、ひっそりと彼がこちらに来てくれるものだと思っていたが、どうやら違うらしい。どれだけ待てど暮らせど気配はない。その間にも後で自分が殺すはずの命が消えていってしまう。自分が表に出るしかない。
相手の思い通りに動かされていることが腹立たしい。
人型の巨体から繰り出された拳を片手で受けとめる。自分の身体はともかく、衝撃で地面に足がめり込んだ。懐に入って一撃を加えると岩のように硬く重い。
ちらりと魔物を見やる。つい最近見覚えのある種族だ。一人で行った森の中で幾度となく見た姿だ。
――迷いの森にいたな、こんなやつ
他の雑兵が苦戦するのも無理はない。こいつらを彼らが楽に駆逐できるならば、あの森は秘境でも何でもないのだ。生半可な火力では通らない。相手の緑の肌には雑兵の抵抗の痕だろう、ほんの少し焦げ跡が残っている。それでもピンピンしているのだから耐熱性は高そうだ。
まあ彼にとっては、先程よりほんの少し力を加えるだけで、クッキーの様に脆くも崩れ去ってしまう程度の耐久性なのだが。
残骸を蹴飛ばして更に一歩彼は前に出た。
先程から血と煙の臭いに混じって鼻腔をくすぐる香りが漂っている。これもあの森で感じたことがあった。周囲には立ち尽くしたり、明後日の方向に向かって走り出す雑兵の姿。
幻覚を魅せる花の匂いだ。一度抗体が出来るとこの身体に効くことはないが、自分以外の人間には効果覿面だろう。
足元には花が蠢いている。ひょいとその花を持ち上げると、下から甲羅も一緒についてきた。
「お前亀だったのか」
亀の甲羅から美しい花が咲いていた。どうやらこの亀が幻覚の原因のようだ。驚いたのか生意気にも亀らしからぬ牙で噛みにきた。無理やり花を引っこ抜くと息絶えた辺り、花は亀の内部まで繋がっているらしい。
ようやく最前線へと辿りつく。雑兵の歓声が実に耳障りだった。そんな暇があったら前だけ見てろと言いたかった。歓声の間に何人かは息絶えた。この前線にいる人間の多くは自然と死に絶えるだろう。
ここでようやく気付いた。ああ、ここに引きずりだされたんだと。この一番前の目立つ、孤立するところに。こうすれば自分が一番前に出てきて戦闘を始めるだろうと。
望むところだ。であれば、きっと彼はここに来てくれるのだから。こんなもので殺せるとは努々思っていないだろう。これは邪魔者を避けて自分の居場所を把握するための下準備に過ぎないのだ。
待ち遠しい。さながら恋人のように待ち遠しい。
そんな感情を抱いて彼は――殺戮を始めた。




