表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された少年  作者: 誰か
戦争編 第三部
145/150

第百二十九話

元旦に何やってんですかね

 これから始まるのは、愚かな選択をした二人の愚者の、特に面白くもない最期のお話。同日、同時刻に起こった、決して日の目を見ることのないお話。クロノがユイに服装を酷評された日。いらないハリボテの軍隊を遠足感覚で引き連れて、『勇者』が国を出た日。そんな夜のお話。



 暗い暗い荒野を駆け抜け、平野を抜け、盆地を抜け、山を抜け谷を抜け、そこまで走ってもまだ届かない。どれくらい時間が経ったのだろう。一向に目的地らしい明かりは見えてこない。

 この一寸先も見えない暗闇の中、知らない土地に行こうとするのは自殺行為と言っていい。一応、途中知っている土地は経由し、おおまかな現在地は把握出来るのでそこまでではないか。

 いや、もしかしたら自分が覚えていないだけで、ずっと昔にこの辺りは通ったのかもしれない。

 この国に入るのは生涯ないことだと思っていたし、情勢にも興味なんてなかった。まさかこんな形で再びここに足を踏み入れることになるとは。

 昔の自分がこのことを知れば、きっと丁寧な罵倒が飛んでくるだろう。

 星よりも遥かに汚い無数の光がどんどんと過ぎていった。村を一つ追い越して、街を一つ追い越して、その数を指折り数えてみる。目的地は目の前だ。

 ふと、汚い下界の光から煌々と空に瞬く星へと目を移す。暗い天空に氾濫する星の河。神秘と幻想の世界。何者にも侵されない聖域。人間の入り込む余地のない空間。本当に綺麗だ。これを見ると、人間の作る光が一層穢れたゴミに見える。

 気づけば足は止まっていた。少しして赤く自己主張する星を見つけてぼんやりと気づく。


「そろそろ誕生日だったっけ……」


 星を見て何となく季節を知って、興奮していた時期もあった。他にすることがなかったから、夜中はずっと空を見ていた。その頃が一番幸せだったと思う。あの頃は邪魔なものが何もない世界だった。全てが満ち足りていて、全てが必要な世界だった。

 誕生日という響きが可笑しくて笑ってしまいそうになる。誕生日というのはその人間が両親から生まれた日であり、ああもう駄目だ。この時点で駄目だ。そんなことを考えている自分が可笑しくなってくる。

 顔を前に戻せば再び現実がやってくる。目的地はもう見えていた。汚い現実はすぐそこだ。

 これからすることは多くの人間に反社会的で、不道徳的で、非人道的な行為だと罵られることだろう。それでいいし、なんでもいいし、どうでもいい。そんなことはもうなんだって、どうだっていい。

 さあ、足を進めよう。やることは一つだ。

 


「あーっくそ、扉重たいんだよ!」


 両開きの扉の前で悪態をつくその声は、上品な静寂を下品にぶち破って廊下の奥まで響いている。思ったより響いた自分の声にびくりとして慌てて周囲を見渡してみるが、誰か来る気配はなかった。

 目の前の扉は見るからに重たい。材質を調べればきっと木なのだろうが、装飾のせいでどうもそうは見えない。生クリームで塗り固めたケーキのスポンジは見えないようなものだ、と身近な物で勝手に自己解釈する男。

 扉の目の前に突っ立った男、扉に関して悪態をつくものの、10人いれば5人ほどからお前が言うなと言われてしまうことだろう。控え目に言ってだらしない身体をしている。出るところが出ている女はもてはやされるが、残念なことに男にそれは適用されない。いや、女だったとしても漫画の食事後のように腹が出ているのはマイナスポイントか。扉だってこんな男に重いなんて言われたくはないだろう。

 中年手前の大太り男が扉に四苦八苦している様は、あまり見ていて気持ちのいいものではない。

 9回の試行でようやく強敵を打ち倒した男の額には、じっとりと汗が滲んでいた。


「ふぅー……。休憩休憩」


 部屋に入ってすぐあった柔らかそうな椅子に腰を下し、乱れた呼吸を整える。たっぷりと蓄えたぜい肉が反動で揺れた。


「待てよ? 扉が重かったのってこれのせいなんじゃ……」


 扉の目の前に置かれた椅子の足には、赤い絨毯を引き摺った痕。一瞬でオアシスが仇敵になった気分だ。

 蹴飛ばしてやりたくなったが、ここがどこなのかを思い出し、つま先が当たったところで思いとどまることに成功した。

 カーテンを閉め切った部屋の中は異様に暗い上、他に生物の気配を感じられない。あまりの恐ろしさに身震いがした。自分がこの部屋の主になった暁には、思いっきり内装を変えてやろうと決意する。

 生物の気配がしないのはきっと気のせいだ。だって自分は呼び出されてこの部屋にいるのだから。忍び足をしつつ相手を小声で呼んでみる。

 

「父上ー……どこにおられるのですか……」


 耳を澄ましてみるが、聞こえてくるのは自分のどすんどすんという足音だけだ。

 呼びだしておいて寝ているのか。二人だけで話したいというから来てやったのに。

 憤慨しつつ、窓側に位置する天蓋付きのベッドにこっそりと近付いていく。暗くてよく見えないが、人影がいるように見える。

 ひっそりと慎重に、巨体を揺らして近付いていった。かなり近くまで寄らないと見えない。

 呼吸音は弱く聞こえるものの、枕元まで来てもやっぱり顔がよく見えない。これではシルエット状態だ。

 カーテンの端を少し寄せて、顔に月光を当ててみる。そして――


「頭ァ下げろボケ」


 身体が赤い絨毯に叩きこまれた。頭を叩かれただけなのだが、全身がそれだけで屈服した。少し遅れて、背後のガラスが割れる音が聞こえた。

 鼻から熱いものがぽたぽたと滴っている。色は見えなくてもこれが何かは痛みがすぐに教えてくれた。

 カーテンが完全に開かれ、月光によって部屋の全容が露わになる。

 伏せた状態のまま上を見上げると、ベッドの上にはいつのまにか見慣れない男が一人突っ立っていた。どうやら頭を叩いたのはこいつらしい。しかもこの男こっちを見てすらいない。ずっと扉の方を見つめている。

 ギロチンにかけてやりたい気分だが痛みで文句の一つも言えそうもない。


「この世界でんなもん使うとかロマンあるぜお前!」


 言い終わらない内に頭の上を銀色のナイフが通過して、窓ガラスを破壊していった。

 

「おいっ! お、お、お前はなんだ! なんだこれは!」


 必死に絞り出した声は音量調節がしっかり出来ていない上噛みまくり。頭の中は竜巻やら地震やら津波やらが踊るパニック状態だった。


「オイオイ、これでもオレ、今をときめく有名人の『勇者』様だぜェ? クソデブ豚野郎の王子様は脳みそまで豚ですかァ!?」


 会話している間にもナイフはいくつも頭の上を通過していく。どうやら出所はこいつではないらしい。

 言いたいことは山ほどある。痛みも引いてきた。早口でまくし立てる。

 

「何だその言葉遣いは! 私に向かって! 大体……」


「あ゛ーお前はとりあえず黙ってろ」


 抑揚のない声、あっさりと後頭部に衝撃が奔り床に叩き伏せられる。一回目と同じ展開だ。ただ、最初と違ったのは、二度と立ち上がれなくなったということだけだった。


 虫けら一つ潰されたって世界は何一つ変わらない。相変わらず白井の元にはナイフが飛んでくる。

 相手の一発目は豚を狙ったものだったが、途中から標的をこちらに変更している。正しい判断だ。だって今、豚は死んでしまったのだから。豚の人間界での役割は王子様だった。残念ながら万人が想像するようなさわやか系イケメンではなく、三十路過ぎのデブだったが。

 狙いは正確。姿は見えない。余計な回転はしていないナイフ。

 白井は非常に感動していた。

 投げナイフなんて正直曲芸の範疇を出ない。白井もやったことがあるが、確実性は低いし、殺傷能力も高くない。そのくせまっすぐ投げるのは難しいときた。

 利点を訊かれても上手く思いつかないレベルだ。刃物=恐怖の方程式が成り立っている一般人になら、分かり易い恐怖として、威嚇くらいの効力は発揮してくれるか。

 それでも扉の向こうにいる人間は、相当の努力の末この技術を会得しているわけで、その努力は素直に称賛したい。

 しかもこの魔法優位世界で、こんなものを使っているのだ。これをロマンと言わずして何と言うか。ここに来るのはどうせ刃物使いだとは思っていたが、まさかこんな人間とは、

 

「へーイ、ちょっとお話しようぜ? ……無駄だって、こんなんじゃ死なねェよ」


 飛んできたナイフを片手で軽く掴み投げ返してやる。こんなこと何か使わなくたって、素の身体能力で出来るというのに、それでこちらを殺す気とはお笑いだ。

 

「オレさァ、殺し屋ってこの世で一番嫌いな存在なんだよ。お前らはさァ! 人の命を金なんぞに換えやがる! 人の命の価値ってやつを分かってねェんだよ! あんなに素晴らしいものを金ごときに換えるとか最低だよ! なァ!」


 相手も無駄だと悟ったのか、ぱたりとナイフの雨が止んだ。そんなことお構いなしに短い刃物を取り出して上機嫌に白井は続ける。


「でもオレはとても気分が良い。5秒以内に出て来いよ。出てこないなら今すぐ殺す。出てきたら魔法なんぞ使わないでナイフ戦に応じてやる」


 間延びした声のゆっくりとした5カウント。期待で胸が高鳴ってくる。こういう短い刃物を使うのが一番大好きだ。最初に人を殺した日も刃物だった。あの日の興奮が人生で最高で最上の時間だった。

 だが、0を告げても誰も現れなかった。気配すらも消えていた。

 正しい判断だ。理屈では理解できる。でも許せない。とにかく許せない。殺したいほど許せない。


「やっぱ殺し屋って屑だわ」


 屑は屑箱に入れて部屋に戻ってくると、そのままベッドの上に仁王立ちした。足元には残りの一人が、酷く痩せこけ息も絶え絶えでかろうじて生きていた。


「どうよ王様、気分は?」


 呼吸するのがやっとという体の老人は、篭った呼吸音を吐いているだけで、どう見ても何かを答えられる状況ではない。

 

「これでもオレは命の恩人だぜ? お前を狙ってた殺し屋を始末して、息子の命まで一時助けてやった。これだけでも凄いじゃん? そしてそしてェ! なんと! あの屑が女狐の差し金だってことも知ってる。やったなァ、これで裏切り者の処罰には困らねェ」


 痩せ衰えた腕が亡霊のように伸びてくる。しかし途中で勢いは衰え、折れた枝のようにへたり込んでしまう。


「まだ殺す気力はあるみたいだな。足りないが」


 逆に生き生きとした右腕をゆっくりと、乾涸びた肌に這わせ喉元に持っていく。追いすがるように皺くちゃの腕がそれを掴むが相手にもならなかった。


「2年も世話になったな糞爺」


 ぐしゃりと右手の中で弾けた音がした。ただでさえ冷たかった体温が急激に下がっていく。身体が何度か跳ねるように動いた。完全に動かなくなった頃には室内には静寂が戻っていた。



「クロノは来た?」


「ええ、言われた通り渡しておきましたけど。何に使うかは訊いてませんね」


「森に捕り損ねだってさ。もう行ったんじゃないかな」


「色々彼と話したようですね」


「リルちゃんの使い方とか色々ね……。大体予定通りだよ。予定外のことと言えば――あっそうだ。クロノに両親の行く末を聞かれたことかな」


「それは意外ですね。彼は当の昔に忘れ去ったものだと思ってましたが」


「それはどうかな。案外昔のことを気にしてる節は以前からあったように思うね。一切過去のことを口にしないのも、気にしている証拠だと私は思ってるよ」


「そういうものですかね」


「そういうものだよ。特に血縁っていうのは、そう簡単に切り捨てられないものさ。クロノの父ですら……ね。知ってるかい? あの家でクロノの追放がどういった扱いとなったか」


「さっぱりです。私はユイさんと違って諜報部ではないですから」


「じゃあ少し話をしよう。といっても簡単にだけど。現在、クロノ・ユースティアという人間は存在しない。だが、その代わりに彼に関係するものがある。それは――墓だ。長いこと放置されて今じゃボロボロだろうけど」


「成程。死んだことにしたと」


「せいかーい。葬儀はしめやかに身内だけで行われたそうだよ。本当にやったのかは甚だ疑問だけどね。ただ、ここで疑問が一つ生まれる。そんなめんどくさいことするくらいなら、本当に殺してしまえばよかったんじゃないか」


「出来なかった。その辺りが親子の情ってやつですかね」


「多分ね。それでも冷遇と虐待の事実は変わらないけど。いやだからこそ、それが最初で最後の父性と言えるのかもしれないね」



 身体の節々が軋みを上げる。大したことはしていないし、する用事もない。年齢にしても老けこむにはまだ早い。よって、これはきっと喪失からくる心身的な症状であろう。

 自分はどこで間違えたのだろうか。表舞台から引きずりおろされ、こんな閑職に追いやられた今の自分が滑稽に見えてしまう。

 いや、きっと間違えてはいない。先代よりこの家は発展した。そして今なお発展を続けている。

 ただ、そこに自分はいない。自分はとっくに必要とされていない。既に彼らは自分を軽々と飛び越えていった。

 今でも夢に見る、最後の会話。耳にこびりついた、目に焼きついた光景。冷たい蔑視線を携え、すれ違い様に呟いた一言。


「敗者が」


 あれ以来この狭い館に閉じ込められている。息苦しい埃まみれの遺跡のような場所だ。だからなのか、眠ろうにも眠れない夜が続いている。眠れないからこんなつまらないことを考えるのだろう。

 

「……なんだ……?」


 思考を邪魔してくれる音がした。何かが壊れたような音。感謝の弁でも述べてやりたいが、そんな呑気なことを言っている場合ではなさそうだ。続々と館が破壊されていく音がする。ついでに数少ない使用人の悲鳴も。狭い館だ、嫌でも音は響く。

 それにしても派手に音が響く。部屋を全て物色しているようだ。潜入といった感じではない。隠れる気はなさそうだ。今の自分に政治的な価値はろくにない。だとすると、ろくにものを知らない賊か。

 舐められたものだ。いくらなんでも賊如きにやられはしない。音はこの2階の寝室に近付いている。


――燃やすか。


 イメージは怒り。舐められたことに対する憤怒を具現化させる。炎のイメージに怒りは最適だ。長らく実戦から遠ざかっていたが、お陰でイメージがしやすい。

 自分の周りから徐々に炎の範囲を拡大する。自らを囲う炎の壁は部屋を飲みこんで更に外へ。

 突っ込んでこられてもこの厚さの壁を抜けて中の自分に届く前に死ぬ。突っ込んでこなくても炎は拡大しいずれ館ごと敵を飲み込む。この古臭い館を建て替えるにも丁度いいころ合いだ。

 

「逃げたか……」


 もうそろそろ館を焼き尽くすころだが、まったく反応はない。逃げたかそのまま飲みこまれたか。それとも、解くのを外で待っているのか――。

 そう、思っていた。それが間違いだったと気づいたのは、炎に違和感を感じたとほぼ同時に首筋が痛んでからだった。

 わけも分からないまま焼け残った床に叩きつけられる。視界には黒い人影が一つ。馬乗りに組み伏せられ、首筋には冷たい鉄製の何かが押し当てられている。

 不審者の顔は黒い布で覆われ、誰なのか窺いしることは出来ない。かろうじて見えるのは口元くらいだ。

 いや、それよりも信じられないものを一瞬見た。突如として現れたこれは、確実に厚い炎の壁から出てきた。それも生身で。右手からすっとすり抜けるかのように苦も無く。

 その証拠に人影の黒いフードには炎が燻っている。右手の辺りには火傷の痕も見える。しかしその傷痕は痕すら残さず皮膚ごと再生していた。

 ついで、首の辺りでかちゃりと何かが閉まる音がした。


「誰……」


「黙れ」


 疑問が口に出ない。強制的に喉元で止められた感じだ。

 黒いフードはようやく立ち上がったものの、こちらはおき上がることが出来ない。いくら頭で思っても、その指示が神経に至らない。


――まさかこれは……。


「お前の妻はどこだ?」


「死んだ」


 勝手に口が事務的な答えを用意する。誰かに糸付きで操られているようで、相手の言葉に抗えない。


「骨だけ持っていっても意味はない、か。お前はこれから百鬼夜行の神輿に担がれろ」


 頭の中に指示の内容が詳細に入ってくる。言葉の意味は分からなくとも脳みそに直接指示を植えつけられる。その意味を理解して、驚愕することも許されない。

 いくつもの疑問を必死に口にしようとして、ようやく少しだけ捻り出せた。

 

「お前は……」

 

 声帯がこれ以上音を出すことを拒否し、完全には言葉に出来なかった。

 人影は何を言いたいのか分かったのか、じっと上からこちらを見下ろして動きを止め――笑った。口元を醜く歪めた、明らかに作り笑いと分かるその笑顔は、まるで拷問を見せつけられているように吐き気がして、それでいて見覚えのある顔をしていた。

 

「誰かって? ……亡霊だよ、お前が殺した」


 ただ、誰のものであったか、これから先――最期の時まで分かることはなかった。

 

 


 

 

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ