第百二十六話
全体的に適当
いつでもどこでも威風堂々とわがもの顔で闊歩する彼が、今回ばかりは日本人らしい引きつった笑顔と共に足を止めた。
「げッ……!」
珍しく気まずそうな声を漏らした白井の前には、怒っても笑ってもいない、何を考えているのか分からない表情のマリアが突っ立っていた。
魔境から引き上げた彼が、行きと同じルートを通ったところ、城の裏口で見事にバッティングしてしまった。というより、マリアは待っていたのだろう。放蕩勇者様のことを。
「さて、弁明はございますか?」
詰問に近い口調でこちらにぐっと近づく。
杓子定規的な物言いをして煙に巻こうと試みることにする。形勢は明らかにこちらが不利なのだが、白井はいけしゃあしゃあと悪びれた様子もなく答えた。
「本日の議会は、国内内政に関する議題が主だ。門外漢のオレが内政に干渉するべき問題じゃない。たとえ、立場がオブザーバーだとしてもだ。自分の影響力くらい分かってる。いたずらに発言して議会を混乱させるのはオレの本意ではない」
実際にはこれは詭弁だ。それっぽいことをそれっぽく言っただけ。既に色々なところに口出ししている白井が、内政不干渉などと言ったところで説得力の欠片もない。
勿論、その程度のことをマリアが分かっていないわけもない。彼女は一度頷いてからもう一度改めて言った。
「成程。――して、本当のところは?」
「MCがグランだからめんどくさくなって行くの止めた」
あっけらかんとサボりの理由を口にする白井に、マリアは呆れからか、かぶりを振った。
白井はわざわざグランの口調まで真似して、自分自身の勝手な想像を口にする。
「どうせろくすっぽ進まなかっただろ? きっと出だしはこんな感じだ、「果たしてこの案件にどう対応すべきか、そこのところについて、皆様がどのようにお考えになるか、皆様の意見を統合した上で勘案し、可及的速やかにどのような対応をはかるべきか、多くの方々の厳正かつ中立的な意見を踏まえた前提で、どういった……」」
言っている白井自身、途中でげんなりして諦めてしまいたくなる。
無駄に豊富な修辞の語彙を使った怒涛の遠回り。これこそがグランという50後半の古株貴族の得意技。議題の全てを靄の中に埋もれさせ、出席者全員を睡魔の罠にかける天才。彼の手にかかれば子供の謎解きもメビウスの輪に早変わりだ。
「その中でお前はオレを探すと言って、まんまと睡魔からの脱出に成功したわけだ。感謝こそされ、文句を言われる筋合いはないな」
傲慢にも感謝しろとまで言い始めた白井に、マリアは表情を微塵も変えず、それについて何も言いはしなかった。
「それにしても酷い格好ですね」
白井の服装は、服という服が焦げ付いており、ところどころ肢体が見え隠れしている。現代に戻れば紛うことなき変質者の仲間入りだ。
「ちょいと爆撃喰らっちまってな。――で、何かオレに用か? お前の性格からして、探してくるって言ってそのまましれっと家に帰りそうなもんだが」
これでもマリアの性格はある程度知っていると自負している。無意味なことはしない女だ。だからこそ、あの迷宮と化した無駄な議会からエスケープしたに決まっている。その女がここにいて自分を待っていたのだから、何かしらの用があったということだ。
「明日以降についての最終確認、と言いたいところですが、立ち話もなんでしょう。お部屋に移動しましょうか」
「先に行っててくれ。こんな恰好じゃ、城内を歩くこともままならん」
焦げ付いた服をこれみよがしに引っ張って見せ、二人は一旦別れた。
――さってと、そろそろこのごっこ遊びも潮時かね。
いずれ来る終局、その始まりはもうすぐそこまで迫っている。そして、その口火は相手が切ってくる。予感がある。確証もある。
振り返ってみると、長かったような、短かったような。もう少し遊んでいたかったような気もする。
だが終わってから始まるのは、最高で最低の世界。ごっこもクソもない。そこには屍しか残らない、待ち望んだ世界。
想像するだけで顔がニヤついてしまう。凶暴の中に無邪気を秘めたその笑顔が止まらない。
自室で服を着替え、マリアの待つ部屋に向かう途中も、彼の気分はなかなかにハッピーで、薬でもキメたかのように頭が蕩けそうだった。
――どうせ――どうせ壊れてしまうなら――。
どかっと偉そうに足をテーブルに投げ出し、マリアの前に腰かける。
どこまでも傲慢で不遜な彼は、「勇者」の皮を完全に剥がし、初めて彼が彼である本来の顔になって言った。
「腹ァ割って話そうや、女狐ェ。くっせェ三文芝居は止めようぜ?」
――自分から壊してしまおう。
凶悪さの中に冷静を混ぜた顔で彼は続ける。
「今回の作戦を最後にオレは御役ご免だ。お前の描くその先の未来にオレはいない。そうだろ?」
「そうね、今回でアナタとはサヨナラ」
間髪いれずにあっさりとマリアはそう答えた。何でもないことのように表情すら微塵も動かさず。
マリアの言葉を引き継いで、白井は続ける。
「そして、今回が一番重要なところ。相手は化け物どもの巣窟。大陸統一において最大の癌だ。お前には勝てる確証がなかった。そこでオレを使おうと思った。逆に言えばオレが必要なのはここまでだ。後はお前1人で制圧出来る。あそこをどいつもこいつも小国だと舐めちゃいるが、そんな奴らはこの世界を分かっていないただの阿呆だ」
「この世界の人間じゃないアナタが分かっていると?」
「楽観的阿呆共はこの世界の兵力の差がどれだけ無意味か分かってねェ。たとえばオレの世界じゃ、10人の精鋭より1万の雑兵が強い。だがここでは10万の雑兵よりたった1人の天才だ。個人の力の差がデカ過ぎんだよ、ここは。たーだ残念なことに凡人はそれに気付かない。お前らの言う天才が、テメェの矮小な脳みその理解を遥かに超えてるってことに。あくまで常識の範囲に当て嵌めて語ろうとしやがる」
「……本当に、理性がクレイジーな猿じゃなければ欲しい人材なのだけれど」
「だとしたら、そいつァオレじゃねェよ」
皮肉げに白井はそう笑って見せた。
「そこまで知ったアナタはどうするの? 今ここで私をヤる?」
「おいおい、お前みたいなのに「ヤる?」なんて言われたら、別のことを邪推したくなる」
「あら、アナタにはそういう思考はないのかと思ってたわ。以前、そっち方向で手懐けようとした時、まったくの無反応だったから」
「別に、これでもオレはお前の立場を尊重して遠慮してやっただけだよ。大抵の男はお前に誘われただけで、それこそ盛った犬みたいに尻尾振って喜んでついてくっての」
「勇者」の顔とは程遠い、そこらのチンピラにも似た下卑た笑いに、マリアは侮蔑の視線を投げつけていた。
「オレは今ここで何かしようってわけじゃない。最後くらい、お前と真面目に話してみたくなっただけだ。お前が今回の後で、あるいは途中で、オレを殺しに来るっていうなら、どうぞウェルカムだ。相手側と協力して殺すのもいい。終わった後疲弊した状態を殺すのもいい。おそらく後者の予定だろうが。オレは逃げも隠れもしてお前らを迎え撃ってやるよ」
白井は決して死にたがりではない。自分で処理出来ない範囲のことはしない。手を出したらいけないラインをきっちり見極めて、そのギリギリを綱渡りしてきた男だ。不利だと判断したら撤退だってする。
「どうやったらこんな猿が出来上がるのかしら。親の顔を見てみたいものね」
「オレの親は悪くねェよ。かなりしっかりした親だったと思うぞ。悪かったのはオレの脳みそだけだ。これでも、親には申し訳なかったと思ってる」
そこまで言って、ふと親の顔を思い出してみるが、どうにも曖昧で、インクの滲んだようなぼやけた表情しか出てこない。最期の顔も、後ろから刺したものだから確認していない。
そこまで自分は不義理な人物だったかと思い返すと、親殺しをした時点で不義理もへったくれもないということに気づいて軽く自己嫌悪に陥った。
「あらそう。――とりあえず、アナタに奇襲が効かないってことは分かったわ。待ち構えられたら、それはもう奇襲として意味をなさないもの。いくつか手を考える必要が出てきたみたい」
「嘘つけ。お前のことだ、他にも腐るほど用意してやがんだろーが。オレを消した後のシナリオも既に書き終わってるくせして。ウワサ・ネットワークの掌握は順調かい?」
「お陰さまで。これで、アナタがいなくなった後も苦労しないで済みそうだわ」
「結構なこった。オレが死ぬといいな?」
「シュガ―の主力全員落としてから、領主辺りと相討ちがベストね。それでも死ねなかったら介錯してあげるわ」
「言ってろ。――明日は予定通り出発する、そこに変更はない」
白井は椅子から立ち上がって、ふらふらと部屋を出て行った。背中にマリアの不穏な視線を受けながら。
――今回でオレを消す気なら、あっちの方は明日辺りか。




