第百二十三話
こんなこと書いてるけど、ディルグ君はクロノのことに関しては反省してません。むしろ弱者を虐げるのは当然だと思っています。
これでもクロノ入れた姉弟の中で一番まともな人間。友達もいるしね
戦況は決して芳しくはなかった。兵士は死に絶え、騎士はもはや王を守れる場所にはいなかった。時間が経つにつれ、前線にいた戦車も機能を停止し、後列にいた僧侶までも神の加護などなく死に絶えた。そして、ついに最後の砦である女王まで捕えられ、玉座の王は丸裸で敵を迎えいれる。
「はいチェックメイト~」
軽そうな声を発したのは、一目で上質と分かる服を着ている若い男。服とは裏腹に、適度に乱しているその髪や態度からは、軽薄そうなヒモに近い印象を受ける。その向かいにいる男もどこか軽そうな、それでいて服だけは上等な格好をしている。
「あれ、マジで負けちまった」
「ハッ、俺に勝とうなんざ一万年早いわ」
「つい2ゲーム前に勝ったばかりなんだが?」
「俺は常に進化してるから、そんな前のゲームの雑魚とは違うのだよ。この2ゲームの間に一万年分進化したのである」
「マジで!? ……ん? じゃあお前もうジジイじゃん! 何で生きてんの?」
「確かにそうだな…………なんてこった! 俺は不老不死だったのか!?」
「お前らは人の家でなに馬鹿な会話してるんだ!?」
家主の男は二人とは違って態度も服装に相応のもので、二人のような軽さはない。むしろ、口調からは生真面目や堅物といった言葉が当てはまりそうだ。
我が物顔で高そうなソファーに座って、頭の悪そうな会話をしていた二人は、家主の声に顔も向けず答える。
「ちょっ黙れよー。目離したらコイツぜーったい盤面変えるんだから」
「うわあ、親友を疑うとか最低だわー。人間の屑だわー。昔のお前はそんなやつじゃなかったはずだ! 歳をとってそんなとこまで変わっちまったのか!?」
「もう……あの頃(ゲーム開始時)には戻れないんだよ……俺も、お前もな……」
片時も目を離すまいと若い男二人はテーブルの上にのったゲーム盤をじりじりと見つめている。その時、片方の男が右手をテーブルの下にひっそりと持っていった。
「いいや、違う! 俺たちは(このゲームを最初から)やり直せるはずなんだ!」
「そんな資格は(敗者のお前には)ない……これで終わりだ!」
ベシリと手を叩く音がテーブルの下から聞こえ、それと同時に存在しないはずの33個目のチェスの駒が絨毯の床に零れ落ちた。
「やっぱり駒隠し持ってやがったじゃねえか。ほら、金寄越せ」
「ありゃりゃ、最後まで負けゲーかよ」
敗者となったらしい男は観念したようにやれやれと首を振って、椅子の下においてあった重そうな袋を乱雑に放り投げた。
それを受け取って中身を確認してから、勝者は家主へとようやく顔を向ける。
「お前もやるか? カモにしてやんよ。負けた方200万な」
どっしりと椅子に腰かけたまま、家主――ディルグ・ユースティアは首を振る。
「やらん、賭け事は好かんと言った筈だ。それに、お前らほど暇じゃない」
ディルグはきっぱりと言い放ち不遜に椅子に座りなおす。
続いて、仮にもこの国ではトップに近い位置にいるディルグに、気後れなどする様子もなくふざけた言葉を投げかけていく若い男たち。
「さっすが名家筆頭の当主様、まっじめー!」
「堅い堅い。ダイヤより硬いよ? リラックスリラックス、肩の力抜いてこーZE?」
「お前らが緩いだけだろ! 仮にも要職についてるのだから、少しは真面目にやれ!」
言葉だけなら頭の緩いチンピラにも思えそうだが、これでもこの二人は多分に名家と呼ばれる位置にある家の跡取りである。
普段の素行はとても褒められたものではなく、湯水のように金を使い果たし遊びつくすのが日課となっている。その筋では遊び人で有名な二人だ。ディルグとの関係はというと、端的に言って悪友に近い。
一喝された二人はめげることもなく、相も変わらずふざけた調子でだらりと身体を伸ばしながら言った。
「え~、だってやることないし~」
「親父とかに任せときゃなんとかなるし~」
「所詮俺たちなんかお飾りなわけですよ。まだまだ上の代は現役で、そっちがずーっと牛耳ってんの。お前んとことは違うんですー」
「後何年かは脛かじったまま居られるもんなー」
ディルグ含め彼らはまだ二十歳にも満たない年齢であり、基本的に家の主導権を握るのは大分先のことになる。――ディルグの家のように親を隠居させない限りは。
「まあ、俺たちも? 出来れば仕事なんてめんどくさいことはしたくないし? 一生遊んで暮らせればいいかなって思ってるから、不満なんてないけどな」
「最低の有閑貴族だな、お前ら……」
「勝手に俺含めんなよー」
「え? じゃあなに? お前働きたいわけ?」
「断固拒否させてもらう」
二人はテーブルに広げたチェス版を億劫そうに片付け始める。その動作はとてもじゃないが機敏とは言えない。身体の全てからやる気のなさが溢れでており、ウィルスのように空気を介して周りに伝わっているかのようでさえある。常人がずっとこの場にいたとしたらきっと、この5月病に近いこのウィルスに毒されてしまうだろう。
「そういや、この前俺んとこのジジイがさ、「お前もあの姉弟のように優秀なら……」とかぼやいてて笑ったわ」
「あー、俺もそれ言われたことある。俺が優秀だったら、お前らの首なんかとっくに飛ばしてるっつーの」
「本当にそれだよな。ばっかじゃねーの?」
その発言には、自分たちが無能であるという意味も含まれていることにこの二人は気づいているのだろうか。
「……、」
頬杖を付きながらディルグは二人の会話を眺めている。
最後の駒をしまい終えチェス盤を片付けると、二人は退屈だとでもいうようにあくびを噛み殺す。
「どーっすかなー」
「カジノでも行く? それとも女でも引っ掛けに?」
「どっちも?」
盛り上がり始めた二人は一斉にディルグの方を見た。
「行っちゃう? ディルグも来るか?」
「言っただろうが、賭け事は好かん」
「それ、今まで何度も聞いたけど、なんでよ?」
「なんだろうな……こう……今までの行動を全て無駄にするような一発逆転があるのが気に食わない」
片方はつまらなそうに首を傾げ、片方は理解できないといった風に手を傾けた。
「わっかんねーな、それが面白いんだろ?」
「ジグソーパズルをちまちまやるタイプかよ」
「何とでも言え。それに、俺はこれから会議だ」
その言葉にふるふると首を振り、呆れたような、哀れむような視線を浴びせかける。
「お前みたいな才能なんてなくてよかったとつくづく思うね。めんどくさい生活はまっぴらごめんだ」
「上に行けば行くほどめんどくさくなるってんなら、俺たちはこのポジションで十分だもんなー」
「天才じゃなくて凡人でよかったわ」
好き放題言っていく悪友たちに一瞥もくれず、ディルグは椅子に座ったまま手で出てけと促す。
「俺はもう出る。お前らも早く出てけ」
「あー冷たすぎて寒くなってきた」
「お前の言葉が冷たすぎて風邪引きそう」
派手なブーイングを室内に響かせながら、それでも素直に去っていく二人。このブーイングは毎回のこと、一種の様式と化しているのでディルグもさして気に留めることはなかった。
いつもどおり勝手に来て好き勝手やっていく二人の友人を見送って、自戒するように一つの単語を反芻する。
「天才、か……」
⇔
『優の中の劣』
世の中の人間に優劣をつけて二分化するならば、きっと自分は優に入るだろう。ディルグはそう思っている。そしてそれは事実である。
おそらく彼はこの世に生まれた時点で、その後の行いなど関係なく、優に入っていただろう。家柄は名家の長男、魔法の才能も100万人に1人に近いレベル、容姿だって良い部類だ。
一般的に恵まれていると呼ばれる存在。他者から天才と呼ばれるには遜色のない存在。自分でもそれは自覚している。それをあからさまに分からないフリをすれば、他者からは嫌味に見えることだろう。
だが、と言うべきか、だから、と言うべきか、彼はこうも考える。
優の中でも優劣はつくものだ。優に残った中からまた優劣をつけていくと、何時か自分は、姉や妹よりも先に劣に分けられる。一回や二回の選別ではなく、何百回と優劣をつけ続けていくと、何時か自分は他の二人よりも早く劣になる。
地上にいる凡人からは、雲の上にいる自分たちは平等に天才に見えることだろう。その間にある些細な高さの違いなど、そんなに気に留めはしないだろう。
だが、その高さの違いこそが永久に超えられない壁なのだ。天才というカテゴリーの中での優劣を決める絶対的な差なのだ。
目線を下げれば、自分だって雲の上に存在するような人間だ。下には地を這う蟻の如く人間がいるだろう。しかし、なまじ身近な姉弟に自分より上の存在がいるから、それが出来ない。
天才の中で自分が劣っていることを心の奥底で知っている。それを感じたのは何時の話だったか。
姉弟の中で一番最初に魔測を受けたのは一番上のマリアだった。結果はその年のトップ。周囲の反応は称賛と、当然だ、という空気が混在したものだった。マリア自身も特別喜んだ様子はなく、当然だ、とでも言うような態度だった。
家の血筋を考えれば、それは当然と言えば当然。おそらく、こんなに魔法の才能に恵まれた血筋はこの国にはなかっただろう。
それから二年後、今度はディルグ自身が魔測を受けることになった。周囲は当然トップを期待していたのだろうし、本人も当然のようにトップなのだろうと思っていた。
そして、結果は――二位。悪い結果、だとは言わない。二位だったからといって、彼が天才であるという事実は何も変わりはしない。トップとの差だってそんなにはなかった、本当に微々たる差であった。
だが、それでも、二位だったという事実が幼い彼のプライドを傷つけた。
周囲の反応は多くが称賛だった。生まれた年が悪かった、差なんてほとんどない、そんな言葉をよくかけられた。その中にあって僅かに聞こえた、失望の声。声は決して大きくない。それでもその声は、他のなによりも大きく聞こえた。
そして芽生えた劣等感。ほんの少し、若葉が土から顔を出すか出さないかくらいの僅かなものが。
だが、その時はそれだけで済んだ。それ以上劣等感を感じる機会というのは無かったし、そのことを深く考えることは無かった。もっと他に、身近に、自分より出来ない人間がいたから。
彼の弟は、そもそも評価する土俵にすら立てない存在だった。弟がいる間は、家族の目もそちらに向いていた。それに、自分より下の存在が身近にいることで一種の安心感を得られた。何かをする度に弟が下であると実感ができる。自分が優れていると悦に浸ることができた。
問題はその後――弟がいなくなった後、弟に向けられていた目は彼に向けられた。残念なことに家族に彼より下の存在はいなかったのだ。姉も妹も彼より優れていたし、両親はそもそも親というだけで格上の存在だった。
やがて親は姉や妹と比べて、彼の出来が悪いと密かに嘆くようになった。子どもでもその言葉はいやでも耳に入った。他人の目もそう言っているように見えるようになったし、きっとそれは事実だっただろう。
誰も彼も、基準が高すぎた。「他の二人の化物と比べて才能がない」という一文をすっかり失念していた。
いや、もしかしたら、言っている本人たちはそれを理解していたのかもしれない。だが言われた本人にとっては、自分が劣っているという事実だけで劣等感を覚えるのには十分だった。
弟さえいれば、こんなことにはならなかった。そんなことを何度か考えた。
人間は自分よりも劣っている他者を見つけて優越感に浸りたがる生き物だ。身近に下の存在がいることで自らの自尊心を保っていた。今思えば自分が弟をいじめていたのはきっとそういう理由なのだろう、とディルグはぼんやり理解している。
とりわけ、対応が変わったのは姉であるマリアだった。何時からか愚弟と呼ばれるようになり、冷たく当たられるようになった。今ではろくに口も利かなくなり、家督も実質彼女が握っている。今の自分など、彼女の手の上で踊らされたお飾りの当主に違いない。
戦いでも、政治でも、彼女には勝てないということを思い知らされた。何度も何度も。勝とうと思うことさえもおこがましいと思わせられるような、圧倒的敗北感と劣等感が彼の中で次第に増大していった。
自分は天才であって、本物の天才ではない。本物の天才には勝てない。それはもう決まっていることなのだ。きっと、生まれながらに勝てない相手と勝てる相手は決まっているのだ。
だからこそ、本当に自分より下の存在には負けられないとも思っている。ジャイアントキリングなんて認める気はない。ゆえに、それが起こりやすいギャンブルを嫌悪する。ディルグはギャンブルというものは、ちょっとした運で勝てるものだと思っている。当然、そこには駆け引きだってあるのだろうが、最後には運だろう、と。それが我慢ならない。
「勇者」にいくら対抗心を燃やしたところで、勝てないであろうことは知っている。あの男も本物の天才。もしかしたらそれ以上の存在だ。ただ、ぽっと出の彼にいきなり上に立たれて、未だ彼が上であると完全には認められていないだけなのだ。ディルグは心の隅ではそう思っている。
何時か、彼に抵抗することを諦める日が来る。そのことを漠然と知っている自分が、知っていて諦めている自分が、情けなく思う。今の自分は、小動物が身体を大きく見せて、抵抗するフリをしているだけ。
こんな自分が、天才と呼ばれることに違和感がある。それを誰かに言ったところで、意味はない。嫌味ととられるのがオチだ。
天才であると自覚しながら、本物の天才ではないと思う。
そんな矛盾した思いを1人で抱えて彼は、今日も凡人の海の中に身を投じる。虚ろな目で上を見上げながら。




