第百二十一話
白井君サイドのお話が少し続きそう。やっぱり白井君書きやすい、流石主人公
クロノが森の中で「仕事」をしている数日の間、クロノの相手となる男はクロノとはまた別の意味で忙しかった。
落ち着いた雰囲気の机の上には、乱雑に並べられた紙の山山山。よくみると机の上には台帳や国の地図や各種資料なども並んでいる。それをありえない速度で右から左に流しながら、何枚かに一枚の割合で「勇者」と呼ばれる男の声が紙の舞う中を飛んでいた。
「ここ間違ってる、明らかに金の流れがおかしい。その名簿に載ってる担当者洗え、多分そいつかそいつの下請けの下請け辺りが怪しい」
自らの風に乗せ一枚の書類を部屋の外に飛ばすと、向こうからよく通る声が聞こえ、小走りでどこかへと向かっていった。
その姿に一瞥もくれず、男は作業をひたすら超人的速度で続ける。
「ここもアウト、税金が高い、こんなの豪商しか払えない。厳重注意で様子見、御託並べるなら即刻王都連れてこい。この住民訴訟は突っ張れ、流石に調子乗りすぎだ。そうだな、この近辺の衛兵を一旦引き上げさせろ、それでどんだけ自分たちが普段守られてるか自覚できるだろう。これは要視察、見ないと分からん、現地に調査員派遣しろ、こっちも」
左で国内の地図や収穫高など各種データを纏めた資料を見ながら、右では収支報告の台帳や住民の請願などの書類をそれに照らし合わせる。傍から見れば、本当に全部確認しているのかと思ってしまう速度でそれを捌いていく。
実際彼はしっかり全てに目を通している。通した上で――全てとはいかないまでも――理解して問題点を抜き出していた。この速度で手を動かしているのは「勇者」としての力だとしても、情報処理能力は彼が元々持っている能力である。
こんなことは本来彼の仕事ではないのだが、興味本位で事務仕事をざっくり見学してみて、「ここおかしいだろ」と一枚の書類を指摘したのがことの始まりである。事務方としてもいくら彼がどれだけ偉い人物であろうと、ぽっと出の部外者に自らのテリトリーを侵されるのは少々思うところがあったのだろう。表情には不快感を出さず、一人が冗談混じりに「やってみますか?」と言った結果、見事に自信を喪失する羽目になった。
それが三日前の話。今はというと、各種あらゆる部署、あらゆる方面の書類を集め、一極集中して処理を行っている。
当然、資料と書類を見ただけで問題だと判断出来ることは少ない、疑惑を持つことすら難しい。それでも明らかなのは幾つか見えてしまう。こんな明らかな問題がスルーされるとはいくらか事務方内部も怪しいようだ。
また一枚書類を部屋の外に飛ばしかけて、止めた。問題無しを示す部屋の中に留めておく。
――これはスルーだなァ。
見たところ問題はあった。それでもこれはあえて見逃す。
載っていた名前が――めんどくさい。いくら自分が高い地位を得たからといって、まだまだ内政においては手を出してはいけない人間はいる。今表立ってやり合うのは得策ではない。同じような理由で事務方が大きく関わっていそうなのはスルーだ。ここで彼らを処罰すると内政に差し支える。なのである程度彼らが厳重注意で済みそうな軽いものだけを選ぶ。
――殺すってなら楽な話なんだがな。
今のところこの位置を手放す気はない。まだまだこの世界について知らないことが多い、それらを知るためにここは都合が良い。だから今は「勇者」を演じておく。
机から紙の山が消え、代わりに床に紙の海が出来たところで彼は一息吐いた。流石に何千枚という数を1時間で処理するのは目にも脳にも負担がかかる。
それでも彼は充実していた。暇つぶしとしては中々面白い。殺人をゲーム感覚でやっていると言われたら真っ向から反論し、いかに殺人が素晴らしいかを相手に教え込むが、ことこれに関してはゲーム感覚と言われても否定出来ない。
凝り固まった身体を伸ばしていると、ふいにドアの向こうで何かが煌いた。
「お疲れさまです「勇者」様。この辺りで一度ご休憩なされては? 丁度お昼時ですから」
煌く金の髪を腰まで垂らしたマリア・ユースティアは、とても眩しい社交辞令の笑顔を浮かべていた。
彼には一つ書類を見ていく中で気になっていたことがある。それは、不正が疑われる書類の中に彼女の名前はおろか、影すらも見えなかったということ。どう不正書類の粗を捜しても彼女にはたどりつけない。この女は綺麗すぎる。まあ見つけたところで、他の奴同様見逃す気ではあるのだが。
「そうだな、丁度終わったところだ。昼飯でも貰おうか」
返答にマリアは驚いたようで、ほんの一瞬目を見開いたが、すぐに表情をいつもの笑顔に作り変えた。
「良ければご一緒させて頂いても?」
「ああ、構わないが」
マリアとはよくこうして食事を交わすことがある。誘ってくるのは毎回向こうからだ。
最近巷では戦争に関して不仲説が囁かれているが、少なくとも表面上目だった争いはない。むしろ、この世界で一番の話し相手と言っても過言ではなかった。
そもそもこの女は裏で何を思っていたとしても、それを噂として流されるようなヘマはしないだろう。
だからあの噂は誰かが意図的に流した情報と彼は踏んでいた。
――まあ誰かは分かってるんだが。
目星はついているが、特に何かする気もない。現時点でそこまで不都合はない。それにその誰かとやらはこの国で一番相手するのがめんどくさい人間だ。
彼は首を回してからすっと立ち上がり、散らばった紙を風を操作して机の上に積み重ねてから、マリアを引き連れて第一食堂へと向かった。
中には既に二人分の食事が無駄に長いテーブルに隣り合って用意されており、スープには仄かに湯気が立っていた。テーブルは無駄に長いだけでなく、縦:横が20:1ほどの割合で非常にバランスが悪い。
彼がここに留まる理由として密かに料理があった。仮にこの世界で一人で放浪したとして、おそらく途中で食べるものに困るだろう。ゲテモノも食えるタイプではあるが、知識がない状況で毒のある動植物を食べて死んでしまいましたでは笑えない。どれを食べれるか分からないと、最悪毒がないと分かっている人間を食べなければならなくなる。昔、食人主義というものに興味を持ち食べてみたことがあるが、筋っぽいわ肉が薄いわでとてもじゃないが美味いとは言えなかった。未来永劫食人主義は理解出来ないなと思ったくらいだ。不味い食事は出来れば御免こうむりたい。
「――あの値段にはその費用も含まれてるんだろう。魚と氷の輸送費も馬鹿にならないしな」
「では我が国で寿司の製作は難しいと?」
「現状はそうだな、この国の最大の欠点は海に面していないことだ。魚は腐りやすい、遠くから輸送するにも大量の氷が必要だ。費用面を考えると非現実的と言わざるを得ないだろう」
食事の途中、こうして話すことが多い。基本的に向こうからの質問をこちらが返すといったものだ。内容は技術や別世界の話が主である。
今まで話して来て、一番食いつきがよかったのは、マスメディアと民主制についてだ。特に民主制については、普段ではまず見ることの叶わない怪訝そうな表情を見せた。
他人との会話というのは嫌いではないので、こうして色々会話するのは楽しい。マリアにしても特別親しい人間はいなさそうなので、自分が一番の話相手ではあろう。
――が、だからといってこの女が自分にとって敵か味方かというのは別の問題である。
何時かこの女は自分を殺しに来る。予感ではなく、確信としてそう言えた。
ディルグのように嫉妬からではなく、ユーリのように――理由は分からないが――憎悪からでもなく、時期が来ればこの女は敵意なき殺意で自分を殺しに来る。勢力を拡大し終えた後で、実権を握るのに邪魔になる自分を。
そこに敵意などないのだ。ただ邪魔だから殺す。使い終えた道具を捨てるように。
互いにある程度理解しているはずだ。相手がどういう人間かを。何時か自分を殺しに来るだろうことを。
それまでは、この白々しい仮初の演劇を続けよう。
「――本当にそうだな」
「ええ、全く」
顔をほころばせ二人は微かに笑いあった。




